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ブログ日記のようなものPAGE | 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 | ADMIN | WRITE 2011.12.30 Fri 23:37:16 愛だか恋だか知らないが2011.12.29 Thu 23:48:35 過去ゆえの今2011.12.28 Wed 23:54:32 理由自分が何かに呑まれていく。 自分とはなんだったか、よく分からなくなっていく。 馬鹿でゴミでカスで邪魔でうざくてこの世から消してやりたくて。 そんな自分という存在が、何かと入れ混じっていく。 憧れ、偉大、目標、夢、そばにいるだけで幸せ、 なんて、ありえない感覚が自分のすぐそばで燻る。 憎くて殺したくて仕方がない自分を庇う。 包み込んで、抱き寄せて、「大丈夫」と根拠もない言葉を発する。 腹立たしい。 意味不明理解不能な感覚のせいで、こんな愚か者が今存在している。 許さない。許すわけにはいかない。 オレはなんとしても、オレを殺す。 オレにとっての唯一の正しさ。その行為すら愚かだと知ってる。 それでもオレはオレを殺す。オレにとってそれがすべてだから。 まるで芽を出し茂るように包まれていく。 寄生されているような気さえしてくる。 振り払おうとしても振り払えず、ただただ大きくなっていく。 意味が分からない。理解ができない。 これがいわゆる本能や欲望というヤツなのだろうか。 何故こんなものが自分にあるのか。 自分という存在が自分のものでなく誰かのもので。 その誰かが自分の中に仕掛けた何か、とでも言うのだろうか。 だとしたら、目的が分からない。 まるで自分をオモチャにされているような。 抗うことのできない、でも理由が全く分からない、何か。 が。暴れても力つきるのは自分の方で。 気が付けば自分のすべてが呑まれている。 意識がどこかへ飛んでいって、なされるがままになる。 自分が自分ではない誰かになっていく。 そして何をするかと思いきや。 大抵、祈る。ただただ祈る。 といっても。 誰かの幸せとか、世界の平和とか、そんな単純なものじゃない。 ありとあらゆるものを包容するような思い、というか。 すべてを大切にしたい気持ち、というか。 到底自分には手が届かず、関係のないような気持ちに襲われる。 酷いときには、涙すら零れる。 意味が分からない。 世界が好きだ。愛してる。 時々そんなことを口走るが、根底にあるのはこの感覚だろう。 認めたくない自分、溢れてくる自分。 当然、オレは神じゃない。ただの人間だ。分かってる。 でも、その感覚が溢れ出てくるとき、 引っ張り上げられるような錯覚に襲われる。 プログラミングをするとき、絵を描くとき、曲を作るとき、 誰かを助けるとき、何かを創るとき、何かを勉強するとき。 今の自分には到底できないことをできるように、 グイグイとひっぱりあげられる。 自分を殺したい、自分なんていらない、死ねばいい、 という気持ちを裏手に取られて、 ボロボロになりながら、それでも死なない程度に、引っ張り回されて。 気が付けば、認めざる負えない、自分の価値を突きつけられる。 泣きたい。これは普通に悲しくて泣きたい。 オレが死にたいのは、自分が無価値で無意味だから、という部分もある。 だから死ぬ理由を奪われつつあるのは確かだ。 でもそれだけじゃない。オレは生きたくないんだ。 価値を与えられ、意味を与えられようが、関係ない。 誰かの居場所を奪い、運命を変え、何かを創り壊す行為をしたくない。 存在する限り逃げることができない現実から逃げ出したい。 根底にあるのは、自分が奪ってしまう可能性のために、といえばそうだ。 自分が奪う可能性に対して、一切の責任が背負えない。 無責任な自分から逃げ出したい。ぶっちゃけそれだけだ。 でも、その奥にあるのは、世界を愛しているから、なのだろう。 無責任な自分を許せないのは、世界に対して申し訳ないからだと思う。 自分を生かすために与えられるすべてを、無に返すような。 そう感じるだけで胸の奥が抉れるように痛くなる。 きっと、そのことに対する「大丈夫」という言葉が、 どこから降ってきているのだろうと、どこかで分かってはいる。 でも認めるわけにはいかない。 為体は知れなくとも、所詮自分の言葉でしかない。 だから静止を振り切って、自分を壊そうと自分の胸ぐらを掴んで爪を立てる。 抉れるような痛みが自分の中に満ちて、自分が絶望していく。 その先で勝ち取れるであろう『死』を夢見て、深く深く傷付ける。 根源にあるものが為体の知れない、愛というヤツだったとしても。 それが世界ではなく、ただの人間という自分である限り、 自分の判断で、自分の思う最善を、死を、思う。 それだけだ。 オレは本当の世界を知らないし、永遠に知ることなんかできない。 妄想の中にありながら、無責任に生きる自分に、自分で罰を与えるだけ。 誰のせいでもない。悪いのは自分だ。行動するのも自分だ。 本能や欲望なんてものに負けるわけにはいかない。 例えその先にあるものが自分にとって、世界にとって、 幸せな何かだったとしても、関係ない。 オレは幸せになりたいんじゃない。 死にたいんだ。 自分への憎しみにまみれて、死んでいきたいんだ。 2011.12.27 Tue 23:45:10 空を駆ける龍の如く「年賀状を描け」と言われてから頭の中にあったイメージを吐き出した。 それらしい格好をした男性と龍。 まだ線は雑だし色は塗れてないけど。 珍しく、ほぼイメージそのままの絵を描けたと思う。 人が龍を従えているでもなく、龍が人を従えているでもない。 上下関係のない、ただ同じ思いの下、共存する存在。 人の平和を願うでもなく。ただ破壊を望むでもない。 忘れ去られた何かを背負い、振りまきながら空を駆ける。 そんなイメージ。 龍と言えば、どうしてだか思い入れがある。 自分のハンドルネームを空竜にしてるからとか、 その元となった自分のオリキャラの擬人化版の苗字が 空竜(こうりゅう)だからとか、まあそのあたりもあるけど。 そんなレベルではないほど、どうしてだか深く思うところがある。 というのも。 小学生の頃、意味不明な絵本を2冊描いてしまうほど、 龍の絵を頻繁に描いていたからだ。 カッコいいから、なんてものじゃなかった。 現に描いていた絵は決してカッコいい龍ではなかったし、 かといってカッコよさを追求するでもなく、偉大さもなかった。 どちらかというと、龍の巣(家)や龍の親子といった、 もっと親近感のあるような表現をしていた。 どこか、そばにいて欲しい、遊んで欲しい、みたいな気持ちがあった。 理由は分からない。どこで龍の情報を得たのかも分からない。 気が付いたときにはすでに、龍に対してそんなイメージを抱いていた。 今でも龍をイメージすると、多少カッコよさや偉大さといった イメージが付きまといはするものの、 根底にあるイメージは払拭できていない。 というか、まるで自分と深い深い関わりがあるような、 家族なんて生温い表現では済まされないほどの親近感がある。 当然、そんなことはありえない。架空の動物なのだから当然だ。 それは分かってる。分かってるけども。何かがおかしい。 イメージすると高確立で見つめられ、目を通して自分の奥底から 何かが引きずり出されるような、そんな気さえする。 よく分からない。 |