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年が終わる


あぁ。年が明ける。
どうすればいい?どうあればいい?
何も答えを見出せぬまま、年が明ける。
どうしてこんな存在なのか。
腹立たしささえ覚える。

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愛だか恋だか知らないが


「愛でないならそれは恋だ」と言われた。
世界を愛するにせよ、世界に恋するにせよ。
どちらにしても恐れ多い。
あまりにも小さく、あまりにも無知無能すぎる。
小さい故に、無知無能故に、愛し恋するとするなら。
本当の意味での愛や恋ではないだろう。
それはただの憧れでしかなく。
幼い子どもが夢見る大きな存在と同レベルだ。
何より、別に愛したくて愛するわけでも、
恋したくて恋するわけでもない。
元々が偶発的な何かでしかない。

まあいい。
さっさと死ねればそれでいい。
愛だろうが恋だろうが、死んでしまえば関係ない。
あまりにもしょうもない話だ。
しょうもない存在がしょうもなく生きて考えている。
それだけだ。

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過去ゆえの今


哀しきかな。
何かをしようと思えば、そのよりどころは過去でしかなく。
過去見たもの、過去経験したものが、今に生きている。
そこには真新しさはなく、過去の模造品でしかない。
創るとはなんだったか。作ることから脱却できない。
自分とはどうしてこんなにも無力な生き物なのか。
何も産み出せやしない。
しょうもない存在だ。

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理由


自分が何かに呑まれていく。
自分とはなんだったか、よく分からなくなっていく。
馬鹿でゴミでカスで邪魔でうざくてこの世から消してやりたくて。
そんな自分という存在が、何かと入れ混じっていく。
憧れ、偉大、目標、夢、そばにいるだけで幸せ、
なんて、ありえない感覚が自分のすぐそばで燻る。
憎くて殺したくて仕方がない自分を庇う。
包み込んで、抱き寄せて、「大丈夫」と根拠もない言葉を発する。
腹立たしい。
意味不明理解不能な感覚のせいで、こんな愚か者が今存在している。
許さない。許すわけにはいかない。
オレはなんとしても、オレを殺す。
オレにとっての唯一の正しさ。その行為すら愚かだと知ってる。
それでもオレはオレを殺す。オレにとってそれがすべてだから。

まるで芽を出し茂るように包まれていく。
寄生されているような気さえしてくる。
振り払おうとしても振り払えず、ただただ大きくなっていく。
意味が分からない。理解ができない。
これがいわゆる本能や欲望というヤツなのだろうか。
何故こんなものが自分にあるのか。
自分という存在が自分のものでなく誰かのもので。
その誰かが自分の中に仕掛けた何か、とでも言うのだろうか。
だとしたら、目的が分からない。
まるで自分をオモチャにされているような。
抗うことのできない、でも理由が全く分からない、何か。

が。暴れても力つきるのは自分の方で。
気が付けば自分のすべてが呑まれている。
意識がどこかへ飛んでいって、なされるがままになる。
自分が自分ではない誰かになっていく。
そして何をするかと思いきや。
大抵、祈る。ただただ祈る。
といっても。
誰かの幸せとか、世界の平和とか、そんな単純なものじゃない。
ありとあらゆるものを包容するような思い、というか。
すべてを大切にしたい気持ち、というか。
到底自分には手が届かず、関係のないような気持ちに襲われる。
酷いときには、涙すら零れる。
意味が分からない。

世界が好きだ。愛してる。
時々そんなことを口走るが、根底にあるのはこの感覚だろう。
認めたくない自分、溢れてくる自分。
当然、オレは神じゃない。ただの人間だ。分かってる。
でも、その感覚が溢れ出てくるとき、
引っ張り上げられるような錯覚に襲われる。
プログラミングをするとき、絵を描くとき、曲を作るとき、
誰かを助けるとき、何かを創るとき、何かを勉強するとき。
今の自分には到底できないことをできるように、
グイグイとひっぱりあげられる。
自分を殺したい、自分なんていらない、死ねばいい、
という気持ちを裏手に取られて、
ボロボロになりながら、それでも死なない程度に、引っ張り回されて。
気が付けば、認めざる負えない、自分の価値を突きつけられる。
泣きたい。これは普通に悲しくて泣きたい。

オレが死にたいのは、自分が無価値で無意味だから、という部分もある。
だから死ぬ理由を奪われつつあるのは確かだ。
でもそれだけじゃない。オレは生きたくないんだ。
価値を与えられ、意味を与えられようが、関係ない。
誰かの居場所を奪い、運命を変え、何かを創り壊す行為をしたくない。
存在する限り逃げることができない現実から逃げ出したい。
根底にあるのは、自分が奪ってしまう可能性のために、といえばそうだ。
自分が奪う可能性に対して、一切の責任が背負えない。
無責任な自分から逃げ出したい。ぶっちゃけそれだけだ。

でも、その奥にあるのは、世界を愛しているから、なのだろう。
無責任な自分を許せないのは、世界に対して申し訳ないからだと思う。
自分を生かすために与えられるすべてを、無に返すような。
そう感じるだけで胸の奥が抉れるように痛くなる。
きっと、そのことに対する「大丈夫」という言葉が、
どこから降ってきているのだろうと、どこかで分かってはいる。
でも認めるわけにはいかない。
為体は知れなくとも、所詮自分の言葉でしかない。
だから静止を振り切って、自分を壊そうと自分の胸ぐらを掴んで爪を立てる。
抉れるような痛みが自分の中に満ちて、自分が絶望していく。
その先で勝ち取れるであろう『死』を夢見て、深く深く傷付ける。
根源にあるものが為体の知れない、愛というヤツだったとしても。
それが世界ではなく、ただの人間という自分である限り、
自分の判断で、自分の思う最善を、死を、思う。
それだけだ。

オレは本当の世界を知らないし、永遠に知ることなんかできない。
妄想の中にありながら、無責任に生きる自分に、自分で罰を与えるだけ。
誰のせいでもない。悪いのは自分だ。行動するのも自分だ。
本能や欲望なんてものに負けるわけにはいかない。
例えその先にあるものが自分にとって、世界にとって、
幸せな何かだったとしても、関係ない。
オレは幸せになりたいんじゃない。
死にたいんだ。
自分への憎しみにまみれて、死んでいきたいんだ。

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空を駆ける龍の如く




「年賀状を描け」と言われてから頭の中にあったイメージを吐き出した。
それらしい格好をした男性と龍。
まだ線は雑だし色は塗れてないけど。
珍しく、ほぼイメージそのままの絵を描けたと思う。
人が龍を従えているでもなく、龍が人を従えているでもない。
上下関係のない、ただ同じ思いの下、共存する存在。
人の平和を願うでもなく。ただ破壊を望むでもない。
忘れ去られた何かを背負い、振りまきながら空を駆ける。
そんなイメージ。

龍と言えば、どうしてだか思い入れがある。
自分のハンドルネームを空竜にしてるからとか、
その元となった自分のオリキャラの擬人化版の苗字が
空竜(こうりゅう)だからとか、まあそのあたりもあるけど。
そんなレベルではないほど、どうしてだか深く思うところがある。
というのも。
小学生の頃、意味不明な絵本を2冊描いてしまうほど、
龍の絵を頻繁に描いていたからだ。

カッコいいから、なんてものじゃなかった。
現に描いていた絵は決してカッコいい龍ではなかったし、
かといってカッコよさを追求するでもなく、偉大さもなかった。
どちらかというと、龍の巣(家)や龍の親子といった、
もっと親近感のあるような表現をしていた。
どこか、そばにいて欲しい、遊んで欲しい、みたいな気持ちがあった。
理由は分からない。どこで龍の情報を得たのかも分からない。
気が付いたときにはすでに、龍に対してそんなイメージを抱いていた。

今でも龍をイメージすると、多少カッコよさや偉大さといった
イメージが付きまといはするものの、
根底にあるイメージは払拭できていない。
というか、まるで自分と深い深い関わりがあるような、
家族なんて生温い表現では済まされないほどの親近感がある。
当然、そんなことはありえない。架空の動物なのだから当然だ。
それは分かってる。分かってるけども。何かがおかしい。
イメージすると高確立で見つめられ、目を通して自分の奥底から
何かが引きずり出されるような、そんな気さえする。

よく分からない。

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