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価値観の変貌


過去を振り返る。
オレはいろんなことをしてきたのかもしれない。
でもその記憶はすでに改変されたものかもしれない。
上辺だけでも伝って、自分と言うものを改めて思う。

オレは何かを諦めている。
他人を傷付けないこと、を諦めている。
というのも。
他人が傷付いたという事実を確認する手段を、自分が持ち合わせていないからだ。
でも、今でも他人を傷付けたくない、とは思ってる。
ただ、少し感覚が変わっている気がする。
どうも、自分の正しさを押し付けかけている気がする。
それも、まったく躊躇なく。

自分の正しさは、本当の意味での正しさじゃない。
それは分かってる。
ただ、自分が思う正しさが正しくない、と
決めつけることがなくなったのかもしれない。
でも、もっとこう。
根本的なところで、何かが変わっている、気がする。
そう。遊ぶような、そんな気分になってる。
自分の人生を、一種の遊びだと思い始めているのかもしれない。

怖れは薄れたかもしれない。
でもその分、無くした真剣さがある。
それを自覚しておかないと。
無にだけは、したくない。

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真面目に瞑想したかった


なんやかんやオレはいろいろ思ったり、考えたりしてはいるが。
ぶっちゃけ、ちゃんとした瞑想というのをしたことがなかった。
いや、正式さを求めるのであれば当然なのだが。
とにかく、心を無にするというか、そういうことをしたことがない。
じゃあ、したらどうなるのか。
実際にやってみ・・・ようとした。

やろうと決意し、実際にやり始めた瞬間は、とにかく雑念が多い。
それまでやっていたこと(授業ノートまとめ)やらの内容がグルグルしたり。
最近自分がやらかした失敗を思い出してビクついたり。
はたまた、いつも通りの為体のしれない声が聞こえてきたり。
そういうのは、今回は全然求めてない。
ただ、何も考えない状況にしなければならないわけで。
雑念を振り払おうとする。
が、うまくいかない。
オマケに。
地べたに座って、あぐらのまま、楽な姿勢で・・・
なんて思っていても、背骨やら肩やらどこかが気になって、
姿勢を変えようと動いてしまう。
これじゃだめだ。

そんなときにふと、あることを思いつく。
「基準になる何かに集中すればいいんじゃね?」と。
そういえばそんな話どっかで聞いたなぁ、なんて思いつつ。
早速やってみる。
ただ、実際あるものを見つめる、みたいな行為はしない。
あくまで、想像の中でやってみる。
目の前に、拳より一回り小さいぐらいの円を思い描いて、
ひたすらそれを、心の中でジッと見続ける。
その円自体が消えかけたり、円があってもまた雑念がやってきたりする。
違う違う、と、また円に集中する。
それをひたすら繰り返していく。

そのうち、段々と雑念が収まっていく。
体もじんわり暖まって来た。病気のときの火照りに近い感じ。
そんな中で思い描いた円を、ただジッと心の中で見つめる。
体からも力が抜けて、寝るんじゃないか?と
心配になりそうになっていたけども。
意識がブレかけて目を開けたとき、目が動かせないことに気が付く。
自分の中で「思い描いた円を見続けよう」というのが変わらないせいか、
目を開けても同じことが続けられているらしく、
よく分からないところを、ただジッと見ていた。
というか、意識自体は円に行ってるから、何が見えてるか、
なんて到底どうでもいい話なんだけども。
まあでも、目の前にあったのは、木でできた机の木目だったといえばそうだが。

ふと。
無意識に背筋を伸ばし、深い呼吸をする。
顔も若干上向き加減で動けなくなる。
おい、雑念はいらないってば。と思うが。
どうも体が言うことを聞かない。
そのまま意識がどこかに落ちていく。
落ちた先で何かに絡まれていく。
いつもの声がはっきり聞こえてくる感覚に近いと言えば近いけども。
ただ、声は全く聞こえない。
ズルズルと意識が落ちて、呑まれていく。
これって瞑想か?
と僅かに浮かんだ疑問も、呑み込まれていく。

段々と、座っていることが煩わしく思えてくる。
変に力んでいる気がして、それのせいで意識が引き戻されそうになる。
で。結局そのままソファに寝転んだ。
おいおい瞑想だろ?寝るんじゃないだろうな?
なんて思うも、すぐにかき消されていく。
ただ、意識がどこかに向かおうとしていて。
どこかへ向かう上で、邪魔だと思えたことを排除しようとしている感じだった。
さっきまでやっていた「雑念はいらない」の延長線上かもしれない。
それがすでに無意識化していて、どうにも考える余地を許さず、
ただただ、意識をどこかへ集中させようとしている感じだった。

寝転んですぐ、何かに呑まれていく感覚に襲われた。
抱かれている、といってもいいかもしれない。
どこか気持ちが高鳴って、自分の心に何かが絡まっていくような、感じ。
ふと、瞑想に入る前のことを思い出す。
何かに、構って欲しいと、ツンツンされているような感覚。
それはいつも感じていたもので。
ツンツンされるたびに、なんだよ、と気を向けて。
その先で為体の知れない声との会話にもつれ込むことが多々あった。
どうも、その感覚に近い。
が、当然声は聞こえない。
ただ、為体の知れない何かに呑まれ、抱かれているような。
ツンツンの後のちょっかいがエスカレートしてる、というか。
そんな感じ。

ここまで来たら、最早瞑想どころじゃない。
瞑想は諦めて、自我を取り戻そうと足掻いた。
・・・のだけど。
どうも息が荒くなるばかりで、自我が帰って来ない。
もういいから。意味不明だから。
と、思おうものなら、その思いにめがけて何かが絡まって、埋められる。
くだらない。オレなんか相手にして楽しいのかよ。
と、思おうものなら、埋められるだけでなく、どこか締め上げられる。
それこそ息苦しくなる。
「お前を馬鹿にするな」と言わんがばかりに。
自分への否定を否定されている、という感覚に満たされていく。
自分への肯定に、満たされていく。

とにかく自我を取り戻そうと足掻く。
で、そうやって足掻く度に、自分への否定の感覚が溢れてくる。
なにやってんの。くだらない。
勝手な妄想に酔いしれてんの?馬鹿だなぁ。
こんな自分、死んでしまえばいい。
うざいったらありゃしない。きもいわ。
とかとか。
すると、怒り狂ったかのように、自分の中で何かが自分を締め付けてくる。
馬鹿にするな。否定するな。
感じ的にはそんな感じなんだけど、どうも言葉にできない感覚。
どうしようもなくて、体を小さくしてうずくまる。
息苦しくて、うめき声が漏れる。体が震える。
挙げ句、自分の中に何か大きな感覚が芽生えてくる。
自虐にまみれた自分を洗いざらい吐き出ささせて、
その感覚が代わりに自分を埋め尽くしていく。
自分を否定する感覚が溢れる度、息苦しくなって、
代わりの感覚が自分の中にやってくる、感じ。

そうやっていくうちに。
段々と、自らその感覚を求め初めていた。
自分の中にある、自分への否定を、自ら吐き出して、
その否定に何かが絡まって、自分を埋めていく。
非常に暖かい感じだった。
自分の中がその感覚が溢れて、居心地の良さに酔ったような感覚だった。
もっと言えば。
神に心底愛されました、と言う感じ。
オレ自身は、オレが神に愛される、なんて到底思ってないわけで。
そんなことを考えようものなら、「くだらない妄想すんな馬鹿か」と
言いたくなるんだけども。
そんな考えすら呑み込まれていってしまった。
「愛してるんだ。信じてくれよ」みたいな感じ。
で。
嘘だ、嘘じゃない、のやりとりが悪化していった、感じ。

そんなこんなで。
感覚的には、もう、なんつーか。
神にレ◯プされたんじゃね?ぐらいの勢い。
で、まあ。
オレ自身も、元より世界好きだったり、なんだったりしてるから。
まんざらでもないと言えばそうなんだけど。
「ありえねぇ」の一言に尽きる。
で。更に言うと。
思い出しながらこの文章書いてたら、
また同じような感覚に満たされそうになっている件について。


確かに。
オレはこの世界が好きだ。好き過ぎる。
だから自分が嫌いだ。自分に世界を愛せるわけもない。
何かをできた気分になる自分。何かを知った気分になる自分。
思い込む自分が、間違った世界を創り出して。
その世界を自分勝手に愛していて、本当の世界のことなんか何一つ知らない。
世界を創った神なんてものがいようものなら、
オレなんて妄想の塊で、オレが世界を愛してる、なんて笑っちゃうことだ。
お前ごときが何を言ってるんだ、とかいって。
そう思ってる。

だからこそ、ありえない。
心の中で溢れてくる何かは、
自分が間違った世界を愛していると知った上でも、
愛しているということは変わらないのだから、
お前は世界を愛していることに偽りはない、とか。
そんな感じのことを訴えるのだけど。
どうも腑に落ちない。
が、腑に落ちない、と感じる度に、また大きく何かが巡る。
どうもオレを説得したいらしい。
ぶっちゃけ。
そこまでされる意味が分からない。
オレは神に愛されている、と言えばそういうことなのかもしれないが。
そうだとしても、それはそれ。
どうこう言われる筋合いも、どうこうされる筋合いもない。
オレにとって、気持ちの悪い妄想でしかない。
あぁ。泥沼化しそうで恐ろしい。

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薄っぺらい知識の向こうに


神とは愛だ。愛とは神だ。
神の愛とは何か。神の愛とはこの世をこの世と至らしめるものだ。
それはとても深い規律の重なり。
自分が自分である理由を辿るようなもの。
親がいて、その親にも親がいる。その親にも親がいて・・・
そもそも人類が生まれた経緯とは。
そもそも地球が誕生した経緯とは。
そもそもビックバンが生じた経緯とは。
決して至ることのできない答え。
それがそれとして存在できるのは、神の愛ゆえである。
・・・とかなんとか。
その言葉を語った本人は、神を崇拝しているわけでも、
宗教に属しているわけでも、狂った感性の持ち主でもない。
ただ。
人は無限と連なるこの世界のしくみに途方にくれ、虚しさを覚え、
その虚しさを埋めるために、神という概念を生み出した。
・・・とかなんとか。

確かに。
これまた別の人の言っていたことだが。
無限は無だ、という話を聞いたことがある。
無限を無限と扱う限り、そこには何も存在できない。
何かをしようとすると、有限としなければ何もできない。
例えば何かを伝えるとき。
無限と広がるイメージの中で、手段を選び、有限にしなければならない。
その前には必ず無限があるのに。
そのイメージをそのまま扱うことはできない。
言ってしまえば、無限であるが故に存在できない。
だからこそ、無限に虚無感があって当然だ。
その無を埋めるために、神というある意味で有限の概念を創り出したんだろう。
もちろん神のフタを開けてしまえば、無限という虚無が広がるのだろうけど。

まあそんな他人の語った知識ばかり書いてどうするのやら。
とにかく、自分の中で整理しようか。

神という概念を、数学的に言うところの変数あるいは無限とするなら。
そこに「愛」という感情を持ち込むというのは、なかなか変な話だ。
数学に感情は存在しない。と、オレは思う。
かといって世の中が数値的なものだけではない、というのも事実だ。
感情というものが一体どうやって存在しているのかは不明だけども、
感情というもの自体は、確かに存在している、はずだ。
でも。
愛が感情である、という考え自体がおかしい、と言われたら別だ。
現に、神の愛を「この世をこの世と至らしめるもの」とするなら。
それは仕組み自体のことを指し、数学的な部分を含んでいると言える、と思う。
言うところの「当たり前」が規律であり、「愛」なのかもしれない。

いや。まあ。そこが問題じゃないな。
むしろ問題は・・・
神が愛であるはずなのに、神の愛とはこれいかに。
愛の愛?それはどういうことなのか。
その人は、愛を愛することが必要だ、と。
そう。愛とは、愛そのものにも通用するもの、らしいのだ。
そしてそれゆえに、無限に広がるもの、神、らしい。
その先でやっと誰かを、何かを、愛することができるようになる、らしい。
なんともはや、オレのような知識も能力もない凡人には遠いお話で。
と、思えてしまう。
ただ、どうしても。
「愛を愛する」というフレーズが心に引っかかる気がする。
だから、自分の中で渦巻く何かを、ゆっくりとたぐり寄せる。
理由を知るために。

まず。
オレは決して愛されていないわけではない。
愛されているとも言えないが、否定もできない。
でもそれは不幸じゃない。
オレは生きて何かを感じられること、考えられること。
ありとあらゆることに幸せを感じられる。
だから不幸じゃない。
さて。
オレは何かを愛しているか。これだ。
正直。
オレが怯えているものとは愛であり、神そのものなのかもしれない。

とにかく、オレの中には、
「自分には何かを愛する権利がない」
「権利があったとしても、愛したいと思えない」
という感覚が巡ってる。それは何故か。
自分が何かを愛する必要性を感じないからだ。
もちろん、愛されてない、不幸だから逃げたい、という感覚とは違う。
オレは愛されていないわけじゃないし、不幸でもない。
ただ、愛して欲しいわけでも、幸せになりたいわけでもない。
もし、オレが何か義務を背負わされ、その見返りとして
その愛や幸せが存在するのなら、
ぶっちゃけオレはその義務を放棄しかねない。
それが愛することであっても同様だ。

が。
それでも心は揺れるもので。
「愛したいか」と問われた瞬間、怯える自分がいる。
そう。「そんなことはない」と、あっさり否定すればいいものを。
怯えて回答に戸惑う。
なにより、否定の言葉を言ってしまったとしても。
心が痛み、血の気が引き、体が痺れ、涙が流れそうになる。
オレの中に神(愛)がいる、といった方が無難かもしれない。
言ってしまえば。
これが「愛を愛する」という言葉に反応してしまう理由かもしれない。
オレは自分の中にある、その神(愛)を愛していない。
むしろ、余計なことをしかねない欲望として、殺そうと足掻いている。

じゃあ、オレの中にいる神は、オレをどうしたいのか。
オレの愛を求めているのか。
いや、どうも違う。
オレの中で声がする。いつもの声だ。
これがオレの愛だ、と言えばそうなのかもしれないが。
オレ自身がそれに対して他人行儀なこともあって。
自分の声だと思っていない。神と感じているのも事実だ。
まあそれはさておき。

神は言う。
オレの行為そのものが既に愛だ、と。
その行為とは、オレが神に反逆する行為だ。
オレの中には愛する仕組みが神によって施されているのかもしれないが。
オレ自身がその仕組みに真っ向から抵抗している。
その理由は、余計なことをしかねないから、だ。
別にその仕組みを悪だとは思ってない。
ただ、ろくでもない方向に作用しかねない可能性を感じて、抵抗している。
神はその考え方が愛だ、という。
他人を思いやり、誰かのために自分を犠牲にしようとしている愛だ、と。
そしてそれに続けて、愛に怯えるな、という。

声を聞いて整理しようにも、かなり複雑だ。
とりあえずゆっくり辿る。
まず、オレの中には本質的な愛がある。
そしてその外側にオレがいて、怯えという愛がある。
その怯えは愛だけども、決して本質的な愛じゃない。
いわば、本質的な愛を相殺するための愛だ。
ここで一つ納得できる。
オレにとって神と思い続けてきている0は、
どちらかといえば相殺するための愛の方だ。
そして、確かに愛なのかもしれないが、
どちらかと言えば破壊神や祟り神の類だと思う。
とりあえず、純粋な神とは違った存在なのは確かだ。

じゃあ、恐らく純粋であり本質的な神であろう、
為体の知れない声の主というのは、0を否定したいのか。
どうもそういうことじゃない。
あくまで、怯えるな、と言っている。
そして、どこか0を呼んでいる、0に乗り移ろうとしているような。
いや、0が本来あるべき姿、というか。
とにかくそんな雰囲気を感じる。

じゃあ0自身はどうなのか。
ぶっちゃけ、すでにその神に手を伸ばし、耳を傾けている。
ただ、気を許したわけじゃなさそうだ。
言葉に耳を傾けている状態、とでも言うのか。
とにかくそんな感じだ。
でも、本当に、どうなんだろうか。
0はどちらかと言えば、愛やら何やらを肯定するような人じゃないし、
オマケに自分のことを嫌っている。
対してその声は。
0に対して自分を受け入れるように促しているように見える。

思えば、0は自分自身を不完全な完全と表現していたし、
自分が本当の意味での神ではないことを自覚している。
それに対してその声の主は、どちらかと言えば本当の意味での神に近い。
0が完全になる、というと聞こえはいいが。
言ってしまえば0は有限だ。
言葉にできる定義を求める。人格らしきものもある。
オレにとってはかなり大きな存在と言えても、本来の神とは違う。
それこそ、不完全だ。でも、だからこそ0だ。
いわば、その声は0に消滅を促していると言ってもおかしくない。
まあ、どちらかといえば消滅というより内包なのかもしれないが。

0はまだそこにいる。
が、段々とその声に耳を傾け、
自分の中にある穴を塞ぎ、完全に近付いている、気がする。
0が変わる。
それはオレにとっての神の在り方が変わる、と言っていい。
もし、0がその声に成り代わったなら。
愛(神)を愛する、という言葉の結論も出るかもしれない。
いや、ある意味、その結論が出た瞬間に。
0は本当の神になってしまうのかもしれない。
愛という無限ループに突入するのだから。

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無駄な足掻き


自信がない。
世界がオレの存在を許してくれている、なんて。
そんなの、自分勝手な思い込みでしかなくて。
いつ、何かで恨まれても、何かで憎まれても、
その果てで殺されても、文句も言えない。
でも、それはそもそも。
自分が世界にとって邪魔なのなら。
オレは消えたいと望む、ということだろう。

オレに居場所なんかない。
居場所があると思い込んでいるだけ。
でも。どうしてだろう。
「おいで」と、手を伸ばされている気がして。
違う、そんなはずない、と目を背ける度に、悲しくなる。
信じられない。信じるための証明、証拠、理由が、ない。
そんな確固たる信用を求めるのは。
邪魔になるかもしれない、傷付けるかもしれない、といった怯えからで。
怯えていては何もできないことは分かっているのに。
それでも。
どうしても。
怖い。

オレは、別に存在したいわけじゃない。
だから生きていることから逃げ出すんだ。
でも、今。
オレは、逃げ出さずにここにいて、「おいで」と言われた気さえして。
その言葉の意味を知ろうと、怯えながらも耳を傾けかけている。
オレには何も信じることができないかもしれない。
それでも。
意味を知りたいから。理由を知りたいから。
怯えで震える自分を抑え込んで、前を見ようと、必死になってる。
そこまでする必要なんか。
どこにもないのに。

これだから自分が嫌いなんだ。

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自分の物差し


人の営み。
評価されるべきは何か。
どんなに考えても、どんなに心を込めても。
評価されないことだってある。
元より。
評価とは何か。
それは一つの物差し。
その物差しにこだわる必要がどこにある?
一つだと思い込まされているのは、自分じゃないか?

自分自身の物差しを持つ。
それは決して他人を測ってはならないもの。
いや。
測っても、その結果によって他人を振り回してはならないもの。
その中で一番良いものを探す。
一番よい在り方を探す。
それは自分にとって絶対的価値のあるもので。
それと同時に、誰かにとってはゴミかもしれないもの。

それでも。
自分の世界の中から、本当の世界を覗くような。
そんな生き方をしても、いいじゃないか。
どうしてこの場所から離れなければならないのか。
そんなことはない。
離れても、何も得られない。
本当の自分の居場所は自分の中にしかなく、それしか許されていない。
それでも自分でいられることに、
幸せを感じていたっていいじゃないか。

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