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思い過ぎたが故に世界


最近、自分の意識がどこか遠くへ行くことが多い。
いやというか、遠いなんてものじゃないかもしれない。
自分のことについて考えようとして、
答えを求めて思考をめぐらせていたら。
為体の知れない世界に自分が浮いている、というか。
言うなれば心の世界、というヤツなのかもしれない。
重力を感じない。目には何も映らない。
一面、よく分からない色に染まって見える。
黒のような、白のような、とにかく無彩色だ。
でも見えないだけで、何かの気配がする。
その気配を辿ろうとすればするほど、
自分がその世界に存在していることを自覚させられる。
どういう場所なんだ。
くだらない妄想、というには何もなさ過ぎる。
あるのはただ、気配だけ。

「なぁ」と声にすれば、その声が耳元で聞こえる。
もちろん、問いかけも、自分自身に向かって聞こえる。
乱暴に答えを聞き出そうと、自分を問いつめていく。
自分自身も、その問いに答えようと必死に考える。
すると。
段々、自分の意識の外側にある何かが滲み出てくる。
染まる、というか。意識が乗っ取られる、というか。
そんな感覚に近い。
でももう、それしか手がかりがない。
乗っ取られる勢いで、その何かを引っ張り出していく。

段々と、思考が停止していく。
何が正しいとか、感情とか、今の状況とか、諸々。
全部がよく分からなくなる。
それでも問いかけだけは忘れずに、突き進んでいく。
別人格、なんてものじゃない。
何もなさ過ぎる。
ただ、その分とても穏やかだ。
問いかけそのものが呑まれていく。

答えを知ってどうするのか。
納得できたらそれでいいのか。
そんなもの思い込めばそれで解決じゃないか。
真実なんてない。
そっと、答えがその何かと共に滲み出る。
でも、何か納得できない。
そして、それのせいでしつこく何かをしたくなる。
求めて手を伸ばせば、自分が引き寄せていたはずなのに。
いつの間にか自分が引き寄せられていく。

目の前の何か。風のように吹き抜ける気配。
冷静に、冷静に、それを思う。
決して理想や妄想の果てに現れた存在ではない。
オレが問いかけるべき相手なのか。
答えを知っている誰かなのか。
じっと、見て、考える。
それがこちらを見る度、
吹き飛ばさない程度に風が大きく吹き抜ける。
ゆっくりと、近付いてみる。
何事もなく、オレはそれの目の前まで辿り着いた。
それは以前、なんの変化もない。

グッと探るように、それを深く見ようとしたら、
また自分の思考が何かに停止して、何かに呑まれる。
というか、意識が飛び過ぎて、眠気もナシに寝そうになる。
そして、関係のなさげな映像ばかり流れていく。
よく、分からない。なんなんだろう。
分からない。

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自問自答の奥底で


優しい、ってなんだろう。
お前は優しい、とか。優しくなれる、とか。
言葉は聞くものの、なんなんだろう。
辞書やらで引くと、思いやり、と出る。
オレは「優しい」という評価が欲しいとは思わない。
自分を優しい、とは思わない。
でも。
思っていたいのは、確かだ。
思えないものがあることが、悔しい、というか。
どうも、心苦しく感じる。

なら、それはどうしてだろう?
そう考え始めた瞬間から。
トン、と。
目の間辺りを押される感覚。
心がざわざわする。
揺らぐ意識を保つ。
どうして思いたいのか、という疑問を引き寄せる。

・・・。
手の届く場所に、平凡そうで、大きな存在が、
なんの威厳もなく、乱雑に座っている。
こっちを見てそっと笑ってる。
握りしめている疑問を見せる。
そっと、それに触れてくる。

ざわざわする。何かが近付いてくる。
自分の、奥深くへ、何かが入り込んでいく。
自分の中の何かが、そっと目を開けて。
その目が、自分の目に重なって。
自分ではない何かの視野が、その目を通じて、流れ込んでくる。
深く、思う、という言葉が合っているかもしれない。
自分の解釈を越えた、自分というグラスのかかっていない映像が。
流れ込んでくるかのような。そんな感覚。

意識が朦朧としかけながらも、疑問は手放さない。
何故、こんなことになっているのか。
何故、思うのか。何故、見ようとするのか。
自分に問いかける。が。
が。どうしてだか。
そこにいる何かに意識が呑まれていく。

オレは。
何かに何かを迫られている。
大きな大きな、何かを。
迫られている。
気がする。

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視野の狭さ故に


「こうすればいいのに」
と言いたくなる自分とはなんなのか。
正しさを押し付ける嫌なヤツだ。
なら、何故押し付けたいのか。
自分にはそれしか見えていないからだ。

見えていないものがある。
手の届いていない場所がある。
そこには一生手は届かないかもしれない。
だからこそ。
せめて「見えていない」と自覚していたい。
そう思う。

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愚かな意見


お前のことなんてどうだっていいんだよ。
勝手に泣いてろ。
と、背を向けられたら。
それが最後だと知っているんだろうか?
逆に言えばそう。
背を向けさえすれば、もう関係ない。
苦しんでいようが、死んでいようが。
何をするわけもなく。

気持ちの繋がらないもの同士で集まって何を言っているのやら。
「私を納得させなければ完成とは呼ばせない」
じゃあ未完でいいよ。
そんなに完成させたいなら、
自分で納得行くように改造すればいいだろ。
具体的な指示も出せないくせに。
人の気持ちも知らないで、文句ばかり言う。
オレは作品(子ども)にエリート教育受けさせたいんじゃないんだよ。
1番を取れ、あの人のご機嫌を取れ、なんて指示したくもない。
かといって、手を抜こうとは思わない。
否定されてもいい。
何が正しいのか。どうありたいのか。
周りがどう言おうが、作品そのものに問いたいよ。オレは。

タダの道具としてしか見ない連中に、
使われるだけの存在なんて創りたくないんだよ。
オレ自身がそんな存在に憧れているのもある。
どんなに否定されても構わない。
自分は自分でいたいだけだ。
そのために全力を尽くすだけだ。
そう。あの人たちはきっと。
作品と話す感覚を知らないんだ。
「もの」や「道具」としてしか見ていないんだ。

でも。分かってる。
別にそれ自体が悪いことなんじゃない。
あの人たちも自分でいたいだけ。
手段が悪いんだ。
どうしたい、という気持ちだけ訴えて。
どうすればいいのか、考えようとしていない。
というか、浮かばないんだろう。
そしてそのことに危機感を感じてない。
足掻こうとしていない。
どうすればいいのか、本当に考えようとはしていない。
その答えが自分の中にないんだ、ということを、知らない。
だから会話が成り立たない。
人とも。作品とも。

足掻こうという気持ちさえあれば、
答えは会話の先で自ずと見えてくるはずだ。
自分自身ですらびっくりするほど。
それは突然降りてくる。
決して自分の中にはなかった答えが、そこに降り立ってくれる。
オレはその感動を知ってる。
でも、それが無価値であり、無意味だと言うのなら。
あの人たちは、自分自身で答えを探すべきだ。
以後、チームでどうこうする話に関わるべきでない。
例え評価されたとしても、誰も幸せにしない。
オレはそう思う。

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可能性という生と絶対という死


人は何故生きるのか。
人は何を目指すのか。
楽しい。嬉しい。幸せだ。心から喜べる。
それは生きていることに価値を感じ、
生きていたいと願える理由になれるものかもしれない。

でも、評価はどうだろう?
クラスで一番になった。
学校で一番になった。
世界で一番になった。
認められた。褒められた。欲しいと言ってもらえた。
資格を得た。合格した。歴史に残った。
それ自体は価値か?
きっと違う。
それを「嬉しい」と思うから、価値なんだ。

人のマネをして評価されたらそれで満足なのか。
無難な方法で評価されたらそれで満足なのか。
ただ一番になれれば、それで満足なのか。
自分が自分でいられない世界を、そんなに目指していたいのか。
評価に振り回されて、だただた苦しいのに。
それでも評価されたがるのか。
評価されないことが、無価値なのか。
自分の思いを殺してまで生きて、その人生に価値があるのか。
なぁ。
なぁ・・・

オレは思うんだ。
オレが評価されるためには、オレはオレでいてはいけない。
オレの考えの中に、評価を得るための答えはない。
より多くの人に意見を聞いて統計を取るだろう。
より多くの資料を集め、そのデータを整理するだろう。
ここで100点を取るためにしなければならないことを導き出す。
ここで認められるためにしなければならないことを導き出す。
そしてそのすべてを実行し、失敗を繰り返しながらも、
いつか評価を得ることはできるかもしれない。

でも。
そうやってできあがったものは。
きっと当初、自分が思い描いていたものじゃない。
自分の手を大きく離れた、
為体の知れないものができあがっていくんだ。
愛情の注げない、ただの理論の塊。
創り出した自分自身すら受け付けない、遠い遠い存在。
万人に評価されるためだけにできあがった、何か。
最早それは当たり前になりうる定義。

まるで、1+1のような。
本当に誰しもが求め、認める仕組みかもしれない。
絶対的存在。感情なんてあるはずもない。
そう。その先には何もない。
それ以上もそれ以下もない。
きっとそれは、死んだ世界。
生きる世界で生きられない何か。
生きることができたはずの、何か。

1+1。
人によって生まれた何か。
でも本当は自由だったはずだ。
1が1でなく、+は+でなかったはずだ。
この文章そのものが1+1となり得ることだってあったはずだ。
その可能性を奪うことが、価値なのか?
・・・いや。
違う。
本当に評価されるものは。
元素にも似た、基礎なんだ。きっと。

時間が何故存在するのか。
そこにある基礎が応用へと変化していく。
その瞬間に変化が生まれ、それが時間となる。
応用は時に消滅し、また新たな応用が生まれ落ちる。
基礎がなければ応用は存在しないかもしれない。
でも応用がなければ、そこに変化は生まれない。
「絶対」とは死んだ世界だ。
「絶対を目指す」とは、死ぬことじゃないのか?
それこそが自殺行為じゃないのか?

きっと「絶対」は、自問自答ではやってこない。
自分の中に証拠がないから。だから外に求める。
その果てで答えを導こうとする。
でも「絶対」とは「保証」だ。
信用できる何かであり、無視して何かを
したところでその「絶対」は揺るがない。
生きることに怯えた先に求めるもの、じゃないか?
そう思えてしまう。

1+1を知らなくたって、生きられる。
評価を得られなくたって、生きられる。
幸せになれる。
だからそれは、生きる仕組みにはなれても、生きる理由にはならない。
世界はなんのために自分を創り出したのか。
仕組みを知って欲しかったのか?
きっと違う。
仕組みを使って、何かをして欲しかったんだ。
プログラマがライブラリやフレームワークを創るように。
その先で、新しい何かをして欲しいと願っている。
そう思えるんだ。

・・・?
人が「絶対」に触れるとき。
それは神になれることを指すのかもしれない。
でもきっとそれは今の神が理想とすることなのだろうか?

可能性の果てに。
神は己の存在すら。
否定しようと言うのだろうか?
分からない。
そもそも神なんているのかすら分かっていないのに。
なんだろう。
疑問を指で押さえられている気がする。
払いのけられない。
グッと。考えに耽る。

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