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ブログ日記のようなものPAGE | 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 | ADMIN | WRITE 2011.09.15 Thu 23:57:17 思い過ぎたが故に世界最近、自分の意識がどこか遠くへ行くことが多い。 いやというか、遠いなんてものじゃないかもしれない。 自分のことについて考えようとして、 答えを求めて思考をめぐらせていたら。 為体の知れない世界に自分が浮いている、というか。 言うなれば心の世界、というヤツなのかもしれない。 重力を感じない。目には何も映らない。 一面、よく分からない色に染まって見える。 黒のような、白のような、とにかく無彩色だ。 でも見えないだけで、何かの気配がする。 その気配を辿ろうとすればするほど、 自分がその世界に存在していることを自覚させられる。 どういう場所なんだ。 くだらない妄想、というには何もなさ過ぎる。 あるのはただ、気配だけ。 「なぁ」と声にすれば、その声が耳元で聞こえる。 もちろん、問いかけも、自分自身に向かって聞こえる。 乱暴に答えを聞き出そうと、自分を問いつめていく。 自分自身も、その問いに答えようと必死に考える。 すると。 段々、自分の意識の外側にある何かが滲み出てくる。 染まる、というか。意識が乗っ取られる、というか。 そんな感覚に近い。 でももう、それしか手がかりがない。 乗っ取られる勢いで、その何かを引っ張り出していく。 段々と、思考が停止していく。 何が正しいとか、感情とか、今の状況とか、諸々。 全部がよく分からなくなる。 それでも問いかけだけは忘れずに、突き進んでいく。 別人格、なんてものじゃない。 何もなさ過ぎる。 ただ、その分とても穏やかだ。 問いかけそのものが呑まれていく。 答えを知ってどうするのか。 納得できたらそれでいいのか。 そんなもの思い込めばそれで解決じゃないか。 真実なんてない。 そっと、答えがその何かと共に滲み出る。 でも、何か納得できない。 そして、それのせいでしつこく何かをしたくなる。 求めて手を伸ばせば、自分が引き寄せていたはずなのに。 いつの間にか自分が引き寄せられていく。 目の前の何か。風のように吹き抜ける気配。 冷静に、冷静に、それを思う。 決して理想や妄想の果てに現れた存在ではない。 オレが問いかけるべき相手なのか。 答えを知っている誰かなのか。 じっと、見て、考える。 それがこちらを見る度、 吹き飛ばさない程度に風が大きく吹き抜ける。 ゆっくりと、近付いてみる。 何事もなく、オレはそれの目の前まで辿り着いた。 それは以前、なんの変化もない。 グッと探るように、それを深く見ようとしたら、 また自分の思考が何かに停止して、何かに呑まれる。 というか、意識が飛び過ぎて、眠気もナシに寝そうになる。 そして、関係のなさげな映像ばかり流れていく。 よく、分からない。なんなんだろう。 分からない。 PR 2011.09.14 Wed 23:12:15 自問自答の奥底で優しい、ってなんだろう。 お前は優しい、とか。優しくなれる、とか。 言葉は聞くものの、なんなんだろう。 辞書やらで引くと、思いやり、と出る。 オレは「優しい」という評価が欲しいとは思わない。 自分を優しい、とは思わない。 でも。 思っていたいのは、確かだ。 思えないものがあることが、悔しい、というか。 どうも、心苦しく感じる。 なら、それはどうしてだろう? そう考え始めた瞬間から。 トン、と。 目の間辺りを押される感覚。 心がざわざわする。 揺らぐ意識を保つ。 どうして思いたいのか、という疑問を引き寄せる。 ・・・。 手の届く場所に、平凡そうで、大きな存在が、 なんの威厳もなく、乱雑に座っている。 こっちを見てそっと笑ってる。 握りしめている疑問を見せる。 そっと、それに触れてくる。 ざわざわする。何かが近付いてくる。 自分の、奥深くへ、何かが入り込んでいく。 自分の中の何かが、そっと目を開けて。 その目が、自分の目に重なって。 自分ではない何かの視野が、その目を通じて、流れ込んでくる。 深く、思う、という言葉が合っているかもしれない。 自分の解釈を越えた、自分というグラスのかかっていない映像が。 流れ込んでくるかのような。そんな感覚。 意識が朦朧としかけながらも、疑問は手放さない。 何故、こんなことになっているのか。 何故、思うのか。何故、見ようとするのか。 自分に問いかける。が。 が。どうしてだか。 そこにいる何かに意識が呑まれていく。 オレは。 何かに何かを迫られている。 大きな大きな、何かを。 迫られている。 気がする。 2011.09.13 Tue 23:22:27 視野の狭さ故に2011.09.12 Mon 23:59:49 愚かな意見お前のことなんてどうだっていいんだよ。 勝手に泣いてろ。 と、背を向けられたら。 それが最後だと知っているんだろうか? 逆に言えばそう。 背を向けさえすれば、もう関係ない。 苦しんでいようが、死んでいようが。 何をするわけもなく。 気持ちの繋がらないもの同士で集まって何を言っているのやら。 「私を納得させなければ完成とは呼ばせない」 じゃあ未完でいいよ。 そんなに完成させたいなら、 自分で納得行くように改造すればいいだろ。 具体的な指示も出せないくせに。 人の気持ちも知らないで、文句ばかり言う。 オレは作品(子ども)にエリート教育受けさせたいんじゃないんだよ。 1番を取れ、あの人のご機嫌を取れ、なんて指示したくもない。 かといって、手を抜こうとは思わない。 否定されてもいい。 何が正しいのか。どうありたいのか。 周りがどう言おうが、作品そのものに問いたいよ。オレは。 タダの道具としてしか見ない連中に、 使われるだけの存在なんて創りたくないんだよ。 オレ自身がそんな存在に憧れているのもある。 どんなに否定されても構わない。 自分は自分でいたいだけだ。 そのために全力を尽くすだけだ。 そう。あの人たちはきっと。 作品と話す感覚を知らないんだ。 「もの」や「道具」としてしか見ていないんだ。 でも。分かってる。 別にそれ自体が悪いことなんじゃない。 あの人たちも自分でいたいだけ。 手段が悪いんだ。 どうしたい、という気持ちだけ訴えて。 どうすればいいのか、考えようとしていない。 というか、浮かばないんだろう。 そしてそのことに危機感を感じてない。 足掻こうとしていない。 どうすればいいのか、本当に考えようとはしていない。 その答えが自分の中にないんだ、ということを、知らない。 だから会話が成り立たない。 人とも。作品とも。 足掻こうという気持ちさえあれば、 答えは会話の先で自ずと見えてくるはずだ。 自分自身ですらびっくりするほど。 それは突然降りてくる。 決して自分の中にはなかった答えが、そこに降り立ってくれる。 オレはその感動を知ってる。 でも、それが無価値であり、無意味だと言うのなら。 あの人たちは、自分自身で答えを探すべきだ。 以後、チームでどうこうする話に関わるべきでない。 例え評価されたとしても、誰も幸せにしない。 オレはそう思う。 2011.09.11 Sun 23:36:30 可能性という生と絶対という死人は何故生きるのか。 人は何を目指すのか。 楽しい。嬉しい。幸せだ。心から喜べる。 それは生きていることに価値を感じ、 生きていたいと願える理由になれるものかもしれない。 でも、評価はどうだろう? クラスで一番になった。 学校で一番になった。 世界で一番になった。 認められた。褒められた。欲しいと言ってもらえた。 資格を得た。合格した。歴史に残った。 それ自体は価値か? きっと違う。 それを「嬉しい」と思うから、価値なんだ。 人のマネをして評価されたらそれで満足なのか。 無難な方法で評価されたらそれで満足なのか。 ただ一番になれれば、それで満足なのか。 自分が自分でいられない世界を、そんなに目指していたいのか。 評価に振り回されて、だただた苦しいのに。 それでも評価されたがるのか。 評価されないことが、無価値なのか。 自分の思いを殺してまで生きて、その人生に価値があるのか。 なぁ。 なぁ・・・ オレは思うんだ。 オレが評価されるためには、オレはオレでいてはいけない。 オレの考えの中に、評価を得るための答えはない。 より多くの人に意見を聞いて統計を取るだろう。 より多くの資料を集め、そのデータを整理するだろう。 ここで100点を取るためにしなければならないことを導き出す。 ここで認められるためにしなければならないことを導き出す。 そしてそのすべてを実行し、失敗を繰り返しながらも、 いつか評価を得ることはできるかもしれない。 でも。 そうやってできあがったものは。 きっと当初、自分が思い描いていたものじゃない。 自分の手を大きく離れた、 為体の知れないものができあがっていくんだ。 愛情の注げない、ただの理論の塊。 創り出した自分自身すら受け付けない、遠い遠い存在。 万人に評価されるためだけにできあがった、何か。 最早それは当たり前になりうる定義。 まるで、1+1のような。 本当に誰しもが求め、認める仕組みかもしれない。 絶対的存在。感情なんてあるはずもない。 そう。その先には何もない。 それ以上もそれ以下もない。 きっとそれは、死んだ世界。 生きる世界で生きられない何か。 生きることができたはずの、何か。 1+1。 人によって生まれた何か。 でも本当は自由だったはずだ。 1が1でなく、+は+でなかったはずだ。 この文章そのものが1+1となり得ることだってあったはずだ。 その可能性を奪うことが、価値なのか? ・・・いや。 違う。 本当に評価されるものは。 元素にも似た、基礎なんだ。きっと。 時間が何故存在するのか。 そこにある基礎が応用へと変化していく。 その瞬間に変化が生まれ、それが時間となる。 応用は時に消滅し、また新たな応用が生まれ落ちる。 基礎がなければ応用は存在しないかもしれない。 でも応用がなければ、そこに変化は生まれない。 「絶対」とは死んだ世界だ。 「絶対を目指す」とは、死ぬことじゃないのか? それこそが自殺行為じゃないのか? きっと「絶対」は、自問自答ではやってこない。 自分の中に証拠がないから。だから外に求める。 その果てで答えを導こうとする。 でも「絶対」とは「保証」だ。 信用できる何かであり、無視して何かを したところでその「絶対」は揺るがない。 生きることに怯えた先に求めるもの、じゃないか? そう思えてしまう。 1+1を知らなくたって、生きられる。 評価を得られなくたって、生きられる。 幸せになれる。 だからそれは、生きる仕組みにはなれても、生きる理由にはならない。 世界はなんのために自分を創り出したのか。 仕組みを知って欲しかったのか? きっと違う。 仕組みを使って、何かをして欲しかったんだ。 プログラマがライブラリやフレームワークを創るように。 その先で、新しい何かをして欲しいと願っている。 そう思えるんだ。 ・・・? 人が「絶対」に触れるとき。 それは神になれることを指すのかもしれない。 でもきっとそれは今の神が理想とすることなのだろうか? ? 可能性の果てに。 神は己の存在すら。 否定しようと言うのだろうか? 分からない。 そもそも神なんているのかすら分かっていないのに。 なんだろう。 疑問を指で押さえられている気がする。 払いのけられない。 グッと。考えに耽る。 |