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ブログ日記のようなものPAGE | 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 | ADMIN | WRITE 2011.08.11 Thu 22:26:18 そんな状況オレの親のスペックは高い。 数学をパズルと言って、趣味は因数分解だという。 パソコンは専門家の中の専門家で、 改造するとなると、ハンダを使うレベルで改造することもできる。 ぶっちゃけそういう方面に対してはクレーマーでもある。 クラシックオタクでもあって、吹奏楽に参加、なんてこともある。 絵を描ける。そして絵にはうるさい。 現実では有り得ない状態の絵を許せないのか?と言いたくなるほど。 形、影、関節、遠近、動き、バランス、色。何から何まで口を挟む。 おまけに服を一からデザインして自分で縫う。 文系理系共にハイスペックな親を持っている子どもはハイブリッドなのか? いや。難儀なだけだ。 文句を言えば否定しかされない。そして言い返せない。 何をしても褒められない。感心されない。 あったとしても「上手くはなった」とかぐらい。 その後に続く言葉は大抵「でもこれはこうだ」だ。 そして何より、どんなことにもすぐに口を突っ込みたがる。 「やろうか?」とか。「教えようか?」とか。 やってもらったら二度と手を付けられない代物になる。 自分のレベルでは到底届かないから。 教えてもらおうとしたって、レベル差が大きすぎて。 「なんでこんなことも分からないんだ」と言われる。 自分以外の兄妹も似たようなもので。 読書好きで知識豊富。行動力が異様に高い。 意見は問答無用で言う。好き嫌いもはっきり言う。 そして成績優秀。赤点万歳のオレとは大違いだ。 そう。 ぶっちゃけ馬鹿なのはオレだけだ。 親に怒られて。 閉め出しにあったのも。パソコンのハードディスク壊されたのも。 携帯を折られかけてボロボロにされたのも。 そこまで親をブチギレさせたのは。オレだけだ。 それでもそこには常識があって。 守るべきルールがあって。 それに従うことが、生きる理由に近い。 オレを生んだのは親だ。オレを欲しがったのは親だ。 親がいらないと言ってくれない限り。 オレは死ねない。そして文句も言えない。 じゃあオレは不幸か? それは違う。 むしろ誰よりも恵まれている。 親に頼んでできないことは、ほぼない。 大喧嘩になることも、ほぼない。 オレが喧嘩をふっかけない限り。 お金も言うほど困らない。 オレ自体が趣味にお金を割かないからだろうけど。 なにより。 オレ自身、こうやっていろんなことを考えられる。 触れられる。感じられる。 世界を好きだと心から思える。 十分幸せだ。 そんな中で。 家族以外からのコメントをもらうとき、新鮮に思える。 自分が「従うしかない」と思っていたことですら。 あっさり覆される。 というか。 歯向かう理由が自分にない、と言った方が正解なんだろうか。 そんな中で無意識に諦めていたことを、易々と払いのけられる。 嬉しい半面、不安になる。 オレは家族を否定したいんじゃない。 かといってその人を否定したいわけでもない。 自分が諦めさえすれば解決できた問題が、複雑に絡み合っていく。 他人に関わらない方がいい、 その方が他人のためでも家族のためにもなる、と。 改めて思ってしまうほどに。 葛藤、だろうか。 泣きそうになってる。 でも、不思議と嫌な気持ちはない。 そっと、思うような。そんな気分だ。 身を捧げる、と言った方がいいかもしれない。 そしてなにより。 そんな気持ちのとき。 何かに頭を触られてる気がする。 哀れみを含むような。そんな感じ。 でも決して、否定はせず。 ただそっと、そこに何かがいる。 オレは。 どうしたいんだろう。 なんなんだろう。 よく、分からない。 PR 2011.08.10 Wed 23:54:55 命のマネごと「生きている」とは何か。
「命を吹き込む」とは何か。 確かに自分は生きているんだろう。 でも「生きている」ことをマネて見せることは、そう簡単な話じゃない。 「命を吹き込む」ことは、「生きている」ことのマネごとでしかない。 それを理解しておきながら、生きて見えるように、努力するとき。 自分はどうするだろう。 それはもう。 コンマレベルの調整の繰り返し。 速度も角度も時間も。 そのときそのときに応じた振る舞いも。 何もかも。 すべてを考慮して、やっと命のマネごととしてなんとか成り立っていく。 自分の未熟さが浮き彫りになる。 生きてるってなんなんだ。 動けばそれでいいのか?違う。それだけじゃない。 物理数学の法則に従うことか?違う。それは命がなくても同じだ。 表情があること?感情があること?それが表現できない命だってある。 じゃあなんなんだ。 こんなことをどうして考えているのか、分からない。 考える必要なんかどこにもないのに。 だから考えることをやめようとする。 すると。また。 為体の知れない何かが、優しく微笑んでる。 考えたいんでしょう?さあ、考えてごらん、と。 思考回路をまた押さえつけられて。 深みにはまっていく。 2011.08.09 Tue 23:39:09 嫌いなもの2011.08.08 Mon 22:52:19 生きること死にたい。もういい。もう嫌だ。 生きたくない。壊したくない。 何も見たくない。何も感じたくない。 そう言って。 いろんなことを否定して、落胆して。 グダグダしていると。 また。よく分からない声が聞こえて来た。 「そんなこと言わないで。遊ぼう。遊ぼうよ」と。 相も変わらず、気の抜けたというか、軽い感じの言葉。 遊んでどうするんだ。誰のためになるんだ。 と、まあ。 これまたいつも通りの返答をして。 そこまではよかった。 なんやかんややりとりても、進展もなかった。 で。あまりにも進展がないから。 「どうしてそこまでして逃げようとするの?」 そう聞かれた。 理由を素直に言おうとして、出て来た返答は 「自分のせいで誰かを傷付けたくない。変えたくない」 だった。 「死ねって言うの?」 唐突にブッ飛んだ言葉が返って来た。 でも、どういう意味なのか、薄々分かってはいた。 変化がない、不変、変わらない。 それはつまり、時間が止まるような出来事で。 おおざっぱに言えば「生きている」とは言い難い状況。 嬉しかったり悲しかったり、迷ったり理解したり。 それは変化であって、生きている限り付き合わなければならない。 でもそれがなくなる。言ってしまえば死んでいる。 多分。 そういった変化を拒むということが、 ある意味、死ぬということなんだろう。 分かってる。分かってるけど。 「死んで何が悪いんだ」 と言い返してやった。 酷いことを言っている。それは分かってる。 でもそれが事実で、そういうものだと納得してる。 変化を求めたところで、意味がない。 世の中は十分変化を遂げて、十分幸せになってる。 必要なのは平和であり、それは不変だ。 すると、「違う」と言う。 「遊びたいんだ。遊びたいでしょ?遊ぼうよ」 どうしようもないほど、しつこい。そしてよく分からない。 遊びたい気持ちがない、とは言わない。 やってみたいこと、触れたいもの。それは確かにある。 でも、そんなものを理由に何かをすべきじゃない。 だから否定し続けているんだ。 自分にそう言い聞かせて。 また堂々巡りをしかけた、その時。 「遊ぼう(生きよう)?」 そう聞こえて、ビクッとした。 遊ぶことが生きること? 違う。違うはずだ。 でも、言葉が聞こえた瞬間、よく分からなくなった。 自分はなんのために生きるのか。 自分は偶然の産物だから、生きる理由なんかない、と。 分かっているはずなのに。 まるで、遊ぶために生きているような。 というか、遊ぶために生かされているような。 そんな感覚が、あった。 そうだ。 遊ぶって。自分一人じゃできないことじゃないか。 何か自分ではない別の何かが与えられなければ。 遊べないじゃないか。 そう自覚した瞬間から。 まるで自分の心臓が動かされているような感覚に襲われた。 でも、それは完全に自動ではなく。 自分が心のどこかで、遊びたい、生きたい、と思った結果として、 誰かが心臓を動かしてくれているような、そんな感覚。 オレがどこかで遊びたいと思っているから、 見捨てずに生かしてくれているような。 いや、そんな受け身的なだけじゃない。 言葉通り、誘ってくれているような。 そんな感じがした。 遊びたい、という気持ちは確かに消えてない。 その気持ちが消えない限り、見捨ててくれないのだろう。 でもそれ以前の問題が出て来た。 遊びたい、ということがイコール、生きたいのか? オレは生きたいのか?という疑問。 だとして、生きて遊んで、どうするんだ。 なんのためになるんだ。 と思っている最中にも。 考えているオレを見て微笑む何か。 null、なんだろうけど。 よく分からない。 ただ、非常に満足そうだ。 2011.08.07 Sun 23:00:21 滅びを望む |