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ブログ日記のようなものPAGE | 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 | ADMIN | WRITE 2011.07.17 Sun 22:00:10 欲望でモノを言うな「人」を感じる。他人から「感情」を感じる。 こうしたい。でもこうだから。こうするんだ。 不安。悔しさ。願い。 機械的でない、理論的でない、感情。思い。 勉強したって、分からないもの。 オレにはきっと理解できない。 それでも。 その存在を否定したり、見捨てたり、失うようなことだけは。 したくない。 嫌みのない、綺麗な色を見ている気がする。 怯えで、その色が褪せてしまいそうな。 そんな様子すら、見ている気がする。 この色を、世界というキャンバスの上で。 表したい。どうにか、したい。 忘れかけた、夢の色。諦めかけた、夢の色。 オレが愛したい世界。 そこにある色は、きっと今の世界の色じゃない。 誰かの心に触れて、思う。 世界に足りない色を、感じる。 その人が、世界にいない。 本当の意味で、その人が、世界に存在できていない。 吐き出せずにいる。 どうにかしたい。 どうにか、したい。 オレは、部外者なのに。 PR 2011.07.16 Sat 22:55:56 水を被るように自分は何が不満なのだろう。 何故こんなにも我が儘なのだろう。 ・・・いや。 不満なんじゃない。 考えること。触れること。見ること。 いろんなことが、楽しい。 楽しい? 楽しいってなんだ? 自分ですら、その理由が分からない。 なんなんだろう。 それはまるで冒険のように、未知の世界に触れる過程。 触れた瞬間から生じる何か。 なんなんだろう。 ・・・そう。 まるで綺麗な水を被るように。 使い古され汚くなった水ではなく、 なんの汚れもない水を被るような。 そんな感じ。 しょうもなく足掻いて来た過去を洗い流し、 それでも自分の中に残る確かなものに感激する。 誰の産物、誰の汚れでもない。 自分の中からいろんなものが流れ落ちて、 自分という存在が露骨になっていく。 それは決して生温いものじゃなく、冷めきったものでもない。 ピンと張りつめたような冷たさ。そして綺麗さ。 心地いい。 でも自分から落ちた汚れはどうなってしまったのだろう。 それが気がかりで気がかりで仕方がない。 そもそも、こんな幸せをオレが味わっていいのか? ・・・あぁ。 また思考回路が握られる感覚。 そのまま注がれる水。 自分の中へ染み渡っていく。 これは洗礼か? いや所詮妄想だ。 でも、なんなんだろう。 オレは、汚れきった罪人なのに。 この汚れは、血は、こんな水なんかじゃ落ちない。 落ちるはがない。 2011.07.15 Fri 23:54:08 知を愛する・・・あぁ。もうこんな時間か。 早いなぁ。 で。 「伝わる」ってなんだっけな。 そんなものは幻覚や思い込みでしかないんだろうけど。 「伝わった気がする」って、なんだろうな。 「伝わる」って。 一方向じゃないのかも。 もし一方向、一方的に、どこかへ何かが流れていったとするなら。 それがどうなったか確認する余地はないし、 どうなったって、誰も文句が言える状態じゃない。 双方向的に。 「こうだよ」「こうなの?」と言い合う。 その中で「そう」とか「違う」とか。 いつしか「そう、そうだよ」と言うようになったとき。 そこでやっと伝わったんじゃないだろうか。 流すだけ流して、満足できるのか。 オレは。満足できない。 オレは知らない。向こうも、オレを知らないだろう。 でも。 知ろうと足掻くことは。 嫌いじゃない。 2011.07.14 Thu 22:38:22 鏡鏡。その奥に手が伸びる。ふと気付く。 鏡の向こう側にあるもの。 それは反転した世界じゃない。 所詮水面に浮かぶ虚像のようなもの。 本当にあるものは、そう。 映り込むことが叶わなかった未知の世界。 目も。そう。 目に映り込む世界に、その目そのものは映らない。 所詮自分が見ている世界は世界じゃないんだ。 自分は世界を知らないんだ。 だから自分は、世界に何かを言えるような立場じゃない。 そう言い聞かせてきた。 なのに。 何かの拍子に、世界が自分という水面に手を突っ込んできて 掻き回されるような、そんな感じ。 当然、目に映らない。見えない。何をされているのか分からない。 オマケに、それが自分なのか世界なのかすら、分からなくなっていく。 自分だと思っていた境界線が、かき乱されていく。 何が起こっているのか整理しよう、自我を保とう、と足掻こうとすれば。 ゆるりゆるりと思考が掻き回されて、抵抗できなくなる。 おかしい、違う、有り得ない、どうなってる、と声を荒げても。 なされるがまま、深みにはまっていく。 何かが自分の中へ落ちていく。 見えないんだ。 と、声が聞こえる。 声は意味を語り出す。 誰かの前、何かの前にいれば、鏡に映るように自分が見える。 でも、鏡の奥には、見えない自分がいて。 その鏡の奥を、自分は知らない。 だから手を伸ばす。そんな見えない自分に会うために。 見える自分は、もう存分に見たんだよ。 生まれ落ちた命、鏡は。 鏡である以上に、大事なものを秘めている。 鏡の外に出ておいで、とまでは言わない。 でも、隠さないで欲しい。なくさないで欲しい。 例えそれが、私の中にないもので、他の鏡に映らなくても。 ここに見えない私、貴方はあるんだ。 貴方が鏡に映った私しか知らなくても、私を思うように。 私も貴方を思おう。 貴方を映す鏡のように。 そうやって、鏡を越えた場所にある意味を語る。 いろんなものを手探りしながら。いろんなものに触れながら。 オレにはできない。 きっと壊してしまうから。 2011.07.13 Wed 22:42:46 共感の先共感の言葉が刺さる。提示される実例に共鳴する。
「そう、そう」と、相づちを打ち、相づちを打たれる。 そこで交わされている言葉は、決して現実となってはいけないもの。 概念、常識、ルール、正しさ。いろんなものを壊すことになる。 だからすべて、空論であり妄想でしかない。 実行する力もなければ、実行する理由もない。 今の世界は十分幸せであり、それを壊すことは幸せを壊すことなのだから。 でも。それでも。 「間違っている」と訴える、自分の気持ちに嘘は無く。 他人の言う言葉を、どこか歪んで聞いてしまっているのかもしれないが、 それでも同意を得た気がした。 綺麗に絵が描けるツールキットを薦められた。 綺麗にデッサンが書ける方法を教えられた。 確かに綺麗になった。 でもそれは、決して自分が描こうと思った絵じゃなかった、と。 その言葉に対してオレは、 自分が思った絵が描けるようになるための努力の方が大事だと思う、 と言った。 うなずいてくれた。 平等平等と言って、劇で自分の子どもに主役を、と訴える親も、 仕方なしに主役を増やす教育する側も、何かがおかしい、と。 それに対してオレは、 よい劇を演じよう、伝えよう、という本来の気持ちがなくなってしまった、 と言った。 そうだ、それだ、と言ってくれた。 頼ってばかりでは自分でいられない。 自分らしさを否定される。自分の思いを否定される。 自分の思い描くものを吐き出せないまま、描けないまま、 それでも受け入れざる負えなくて。 自分が流されて、自分を見失って。 ただ無難な、自分らしさのない絵を描いて、 皆と同じであることを喜ぶ。 そしていつか。 自分なんかいなくても、こんな絵を描ける人はいるんだ、と。 自分の価値を見失っていく。 皆で一つ劇をするにしても。 「こうでなければ平等ではない。不公平だ」 皆が主役。皆が評価される。そうして本来の目的を忘れていく。 この劇は何を伝えたかったのだろう。 この劇によって何を表したかったのだろう。 この劇における感動とはなんなのだろう。 そんなことには目もくれず。 形だけにこだわって。結局何も伝わらない。 形だけに満足して。 物語の感動を、心を、忘れていく。 平等は。 誰かが誰かでいられるための最低ラインであるべきじゃないのか。 そこから人は自分らしく生きていけるようになるんじゃないのか。 自分という存在は、平等のままでは生まれないんだ。 このまま平等の中に埋もれていては、 誰もが自分の価値を見出せなくなってしまう。 誰かは今、誰かでいられているだろうか。 ありのままでいられているだろうか。 本来そこにあった心を、忘れてはいけない。 自分でいられない人生なんて、捨てたくなったって、 大量にいる人間の一人ぐらい死んだって変わらないと思ったって、 そんな一粒の自分の価値を見出せなくなったって、 当然じゃないか。 でも自分だけを見ていてはいけない。 人には創る力がある。 それも、着飾るだけの力じゃない。 自分の身を守るためだけの力じゃない。 自分という存在が、他という異なる存在と絡まりあって、 目指した何かが生まれる感動を、忘れてしまってはいけない。 理解に苦しみながら、喧嘩しながら、 悲しんだり、苦しんだり、悩んだり、迷ったり、 それでも何かを得ようと足掻くことの意味を。 忘れてしまってはいけない、だろう? なぁ。こんな状況でも。 誰かは、誰かでいられているのか? |