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ブログ日記のようなものPAGE | 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 | ADMIN | WRITE 2010.11.18 Thu 23:31:41 嫌になる2010.11.17 Wed 22:28:47 Not Found = Not Exist見つからない=存在しない このとき、貴方はどうやって創りますか? 思っている、考えているだけなら、それはまだそこにはなくて。 存在させるには見えるものにしなきゃいけない。 思っている、考えている何かが、見えるようになったとき、 やっとそこに創り上げることができる。 でも何かをマネして見えるようになったなら、 それは見えていたものを写し取った写真でしかない。 写真は過去の記録でしかない。 見たことがあるなら、それは既存のもの。 すでに存在しているものなら、それは『作る』であって『創る』じゃない。 雲が描く絵を見て、「ワタガシだ」とか「ウロコだ」とか。 それは雲でしかないのに、そう見えてしまったのなら、 その空にはワタガシが浮かび、ウロコが浮かんでいることになる。 でも雲は何かを写し取ったわけじゃない。 創ったらたまたまそうなっただけ。 そんな形になった雲を見て、それが過去の産物だと思うのか、 未知の産物だと思うのか、それは見物客に委ねられる。 それでいい。 例え誰かには創ったものに見えなくても、 自分が創れた、と思う瞬間こそが自分にとって何よりも重要だ。 自分の思いが形としてそこにあると感じられることが。 何よりも祝福だ。 本当に自分から新しい何かが産まれ落ちるのなら。 きっとそれは、人の積み上げて来た規則を凌駕する。 過去の出来事からできあがったその規則を凌駕する。 平和どころか平凡も常識もぶち壊す。 積み重ねられた多くの物事の上で暮らす人々を、 地の底から揺さぶり落すような。そんな行為。 そんなことが起こらないように。 人の世界には手を出しちゃいけない。 そう思う。 創ることは楽しいと思う。嬉しいと思う。 でも人まみれなこの世界で、人に手を出さないことは難しい。 そんなことを考えたくもないのに、壊したくないから考えるしかない。 存在していたのに自分のせいで消えてしまう、見えなくなる。 それは。悲しい。 だから。 人には見えない場所で。一人で。 創っていることが理想なのかもしれない。 あぁ。そうすれば。 誰かだって創っていられる。 オレのせいで創ることの意味を見失う必要なんか無いもんな。 2010.11.16 Tue 22:12:56 不要なもの理由を聞かれたなら。 きっとそれには答えられない。 意味を問われたのなら。 きっとそれには答えられない。 だから何もしない。 理由も意味もないものは、もう存在してならない。 そんな世の中。 今あるものの頂点を目指すことが当たり前で。 すべての物事に説明が無ければ無意味無価値になるのも当たり前で。 遊び心の領域はそこに存在してはならなくて。 与えられた目的を、説明されるがままに生きることが要求される。 もし何かをしたいと願っても、それを分かるように 説明できなければすることは許されない。 情報社会と化した今じゃ、形だけが明確になったものを基準として、 その基準から外れることを許されなくなった。 常にその頂点を目指すことを要求され、 常にその形の中に収まるもので無ければならなくなった。 最低限。そんな世の中で生きていたいとは思わない。 もしも。 そのすべてに納まり、理論に従うだけの道具として産まれて来たのなら、 何故理論以外の不要な部分を削り取ってくれなかったのか。 そんな部分があること自体が不良だと言うのなら、 オレは不良品で使い物にならない。 不要なものだ。 捨てた方がいい。 もしもこの世に自分がもう一人いたなら。 泣きついてたのかもしれないなぁ。 2010.11.15 Mon 23:20:05 眠い落ちているだけのゴミのよう。 そこにある。確かにある。でもそれだけ。 そんな感覚。 役に立ちたいとは思わない。 存在意義が欲しいとは思わない。 ただ、明確な何かを聞いてみたい。見てみたい。 それが何なのかを自分に問いただすと、 見えそうで見えない、掴めそうで掴めない何かがちら付く。 優しそうで、甘えを許さない。 求めたものは与えてくれるけど、 求めることのできない知らないものは与えてくれない。 そんな存在がそこにある。 もしも。 今感じていること、今考えていることを、 分かってもいないこの世界に吐き出したなら。 どんな答えが帰ってくるだろう。 いや、その答えを理解することもできなければ、 聞かれた方も困るだけだろう。 意味の無い質問に、困惑するだけだ。 そもそもどうしてそんなものを求めてしまうのか。 何故か惹き付けられる。 足掻くことの意味を見薄なった今では、 それにただ従い、ずるずると落ちていくだけ。 落ちた先に答があればいいのに、と思いながら。 ひたすら落ちていくだけ。 あぁ。 声が、聞こえない。 2010.11.14 Sun 23:04:40 創る、創られる一つ。 世界を創ってみよう。 そこにあるのは、砂のように小さな小さな点。 それはそれより大きくなれず、小さくもなれない。 壊れることも、増えることも、できない。 そこに線がある。 点は線の上を歩む。 進むことも戻ることもできるが、 それは常にゆっくりと動き、止まることはできない。 線はあらゆる次元を繋ぐ。 まるで面と呼ぶにふさわしいほどに、張り巡る。 このとき、点は自由だろうか。 いや。 線の外を歩むことはできない。 止まることもできない。 大きくなることも小さくなることも、 壊れることも増えることもできない。 それは確かにルールの上にあり、形として存在できる。 でもそのルールの外には出られない。 世界にルールが存在する限り。 逆に産まれたものもあるだろう。 止まることのない世界。 線によって産まれた社会。 世界を歩むために線の先を学ぶかもしれない。 そのをただの線とは見ず、その次元をただの次元とは見なくなるかもしれない。 線の疎密による分類が産まれ、歩む己の性質が産まれ、 その不自由な世界に望む理想が産まれ、まだ見ぬ世界の夢が産まれる。 奪われたことによって産まれるものがある。 この点と線は創造主をどう思うだろう。 もし。自分が点だったなら。線だったなら。 どう思っただろう。 分からない。 でも、興味深い。 |