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自然


遠い遠い夢の中。
価値もなければ意味も無い。
くだらないくだらない遊びの中。
容易く捻り潰すこともできる。
やさしく微笑みかけることも。
それ自体を引き裂くことすら容易い。

あぁ。
知ってる。知ってる。
無限に別れる可能性の多さ。
地獄も天国も凌駕する。
幸せにも不幸にもなれる。
でも。
どちらを選ぶにも至らない。
そういうものでしかない。

人の心に根を張るな。人の心に影を落とすな。
世界がそれを許しても、人はそれを許さないだろう。
人が人の世界を築き、その中で自分も生きているのなら。
自分は人の世界を壊すわけにはいかない。
自分が人だという事実を、人がオレに押し付けているから。
その枠から出られることはない。
人としての常識を知り、平和を願い、生きることしか許されない。
人がそれを望んでいるのなら。
オレはそれを阻む壁になりたくはない。

自分で決めたことに自分で責任を持つべきだ。
甘えることも助けを求めることも許さない。
もしそんなことをしたくなっても。
自分で答えを出すしかないのだから、無意味だ。
感情が壊れていくことを知ってる。
価値観が壊れていくことを知ってる。
何かが自分を壊していく。でも阻む気にはなれない。
どこか安堵してる。よくわからない。
安心したような。感覚。
人だ、と理解しなければならないと思っているのに。
何かが、狂っていく。

なんだろうな。
水か砂のように、溶け出すような。崩れるような。流れ落ちるような。
草か木のように、伸びるような。広がるような。茂るような。
火や日のように、輝くような。焦がすような。突き刺すような。
風や霧のように、仰ぐような。霞むような。突き抜けるような。
そんな感覚。
気取っているのか。自慢しているのか。カッコをつけているのか。
そんな風に責めようとするけども、事実そう感じてる。
ただただそんな現象が自分の中で巻き起こってる。
自然って、本当はこうなんだろうな。
ざわざわと。音が聞こえる気がする。
やんわりと。色が鮮明に朧げに何かがある気がする。
存在しているだけの、大きな大きな、力。
意志もなく、流されるがままに、赴くままに、存在する。
そんなもの。

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殺意


あぁ。
うぅ。
自分が嫌いだ。
嫌いで嫌いで仕方がない。
でも。
そんな自分を許す自分がいる。
嫌いでいいよ。
納得できるに、思うように、そのままでいい。
嘘なんかつかなくていい。
嫌いでいいんだよ。
そう言う自分がいる。
でも嫌いなものは嫌いで。
この首を、占めるなり、ちぎるなり、したくなる。
殺したい。
消し去りたい。
こんなものいらない。

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自分を整理する


自分が一体なんなのか。
それを理解するためには自分に問いかけるしかない。
だから問いかけるものの。
それを理解できているのかが怪しい。

オレは何を見てる?
それははっきりとしない。ぼんやりとした何か。
すべてが夢の中の出来事のように、霞んでいるように見える。
すぐに崩れ落ちてしまう。すぐになくなってしまう。
だからそれを追いかけることにも疲れてしまって。
今、こんな状態。
もしオレがオレを見つめることができたとしても、
それはきっと変わらないはずだ。
オレの見る世界においてオレが特別なわけじゃない。
オレだって霞みの中のはずだ。

ただ。そこに距離があるかもしれない。
まるで自分の近くにあるような感覚。
ビリビリと、刺激を与えてくるもの。
その刺激を受けると、オレの中で何かが出来上がる。
偶像、虚像。とにかくそれは本物じゃない。
近くにあればあるほど、理解が自分の中で近くなっていく。
遠くにあればあるほど、理解が自分の中で遠く、無きものになっていく。
そう。そう感じる。

それには全く意味がない。
あるとするなら、何やら自分の中で反応があるぐらい。
それはいわゆる心と言うヤツで。
理解そのものであり、欲であり、感情であり、まあいろいろで。
そのすべてを創り出している根源も、
何故それが産まれるのかもオレは知らない。
大事だ、と言い切れば、それは心の中で重要になる。
いらない、と言い切れば、それは心の中でゴミになる。
言い切る必要性も、自分の中で言い切れば、勝手に産まれてくる。

心の外側から見るなら、それはただそういうものでしかない。
組織、社会、国、世界。
勝手に規律を創って、勝手に文化を創って、勝手に回ってる。
そういうもの、そういう存在でしかない。
だから、見える霞を追いかけて、心の中にいろんなものを創り上げても、
根底的にそれは『そういうもの』でしかない。
自分の心のどこかに原点を打ってグラフを書けば、
それに大きさや意味が産まれて、価値や理由に繋がるのかもしれないけども、
あくまで一時的なもので、決してそのグラフは本質を表すものじゃない。
いわゆる比較。相対。だから絶対的ではない。
それも、そうだ。それは確かだ。
・・・と、思うこと自体が霞んでいるのかもしれない。
それは大前提。

さて問題だ。
例えば心が「重要だ」と言っている事柄がある。
でもそれは心の外、霞の中の出来事から産まれた像に対して言っている。
心の中にある像は、決して霞の中の何かそのものではない。
心から見えた一面でしかない。
それを勝手にグラフの上において、比較して、重要だと言っている。
果たしてそれは本当に重要なことなのか。

他に重要だ言う何かが、霞の中に存在するかどうか。
例え存在していたとしても、その数を集計してグラフにすれば、
また勝手な比較の場が出来上がるだけ。比較論でしかない。
「意見多数により、これは重要だ」とか言い出せば、
確かにそこでは本当に重要なことになるかもしれない。
でもこれは、その場、そのグラフ、その比較論から産まれたものでしかない。
決して絶対的じゃない。それは事実だ。
・・・少なくともオレにとっては。

じゃあ心がいくら重要だと言っても、
それは像を比較のグラフの上に置いた結論でしかない。
そのグラフの目盛りは心が勝手に打ったもので、
いわゆる偏見だとか、勝手な思想が入り乱れてる。
勝手な比較論の導き出した『重要だ』という結論は、信じるに値するか否か。
もしも心の外でグラフが創られてそれを評価した結果、
『重要だ』という結論が出たとしても同じだ。
それは比較から出た結論でしかない。
かといって、ここにある心は勝手なグラフを書くことしかできない。
絶対的なグラフの書き方を知らない。理解していない。
もし絶対的なグラフを書ける、理解している、と感じたとしても、
所詮霞みの中から産まれた像を頼りに出て来たものでしかない。
絶対的だと感じただけ。

言うなれば数学的なグラフ。
そこにあるグラフを見て『これは絶対的だ』と感じても、
そのグラフの本質までは理解していない。
その一目盛りが指している数が具体的になんなのか。
0とは何か。1とは何か。2とは何か。なにも分からず使っている。
グラフそのものも、そこにある線は表現としてその太さでしかないのに、
その線の太さを創り出した本質的な点が何なのかを理解していない。
グラフの接線の角度も知らない。精度も知らない。
10回微分したらどうなる?10回積分したらどうなる?
0や1や2や・・・について、詳しく考えて行っても、
その数値自体が『これを1として考える』という仮前提、比較から
産まれたものだから、絶対的じゃない。数値は本質じゃない。
仮に理解するために、実際にグラフに線を書き込んで角度を測ってみる、
微分や積分をしてみる、のようなステップを踏んだとしても、
今度はその線や角度、微分積分の結果が表した『何か』を理解できていない。
そもそもの『絶対的』を理解できていない。
できたとしても、何年かかるか分からない。

結論を言うと。
オレは今心が言う『重要なもの』を、重要だとは思っていない。
疑うべき要素がありすぎる。
もっと言えば、心が創り出している像のすべてを信用していない。
そこにあるものはすべて本質じゃない。
「本質じゃないという理解があるから、いくら重要だと心で感じても従わないのか」
と言われれば、確かにおかしなことなのかもしれない。
でも、かといって従うだけの理由も存在しない。
「そう思うから」を理由にすることはできない。
じゃあ、『思う』から離れた何かを、この場所、この心から発信することは、
決してできないんじゃないのか?
すべては心が勝手に創り出した世界の中の出来事なのだから。
「当たり前だろ」と、『当たり前』を理解していないのに、
その言葉を口走るしかないじゃないか。

説得力の欠片も無い。
心が創り出した『当たり前』のグラフの中に
誰かを無理矢理引きずり込んで、理解したと感じるよう洗脳して、
「あぁ、分かった」と、無理矢理口から零させるような野蛮な方法しか取れない。
それで誤摩化して何になる?
いや、何になるかどうか、という結論は出ないだろう。
確実に言えることは。
『信じたいもの』はあっても、『信じるべきもの』はないということだ。
多分。

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見えない聞こえない


もし。
やらなければならないことが明確であっても。
オレはきっとそれをやり遂げられない。
もし。
やり遂げるための能力が自分に備わっていても。
オレはきっとその能力を使おうとしない。
もうこれは他人のためや自分のためなんかじゃない。
ただひたすら自分が嫌いで、それに準じた判断だ。
オレは自分を好きにはなれない。
恨むことしかできない。

自分以外のすべてを嫌いなのか、といえばそれは違う。
自分が見ている世界が嫌いなんだ。
そこにあるのはあまりにもしょうもないものばかりで。
そんなしょうもないもので満足して笑う自分は嫌いだ。
狭い狭い視野でしか見ず、たったそれだけで好きだと言う自分が嫌いだ。
だから本当に世界のどこかで自分を好きでいてくれたり
愛してくれるような何かがあったとしても。
そう見える自分の目をえぐり出したくなるだけだ。
信じるまでに至らない。

本当の世界は昔も今もオレのせいで醜く汚れていっている。
誰も望んでいない結果を生み出して、すべてを狂わせている。
だからすぐにでも消えなければいけない。
でも適当に理由をつけて生きている自分は、
何よりも一番最悪な生き物だ。
そう思えて仕方がない。だから自分が嫌いだ。
確かに醜いと決めつけることもできないのかもしれない。
でも例え9割が理想で1割が不要なら、
その1割のためにでも、オレは消えるべきだと思える。
「自分は完全じゃないんだ」なんて。
理想の前では言い訳にしかならない。
そしてその理想すらオレには理解できてない。

オレじゃ役不足だ。
例え理想を成し遂げるための能力が自分にあったとしても、
できる、とは到底思えない。信じてやれない。
確かにやろうと思えばできることはあると思う。
でもそれが理想だったのか、分からない。理解できない。
そんなことのために、自分が何かをして、
何かを壊すことには耐えかねない。
オレには何かの変化を求めることができない。
弱くて。しょうもない存在だ。

なんかもう。
疲れた。
永遠の眠りが恋しい。

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カリカリ


小さな傷のように。
染みるような、痒いような、そんな感覚。
なくなってしまえばいいと思うけども、なくならない。
理由を考えてみる。
自分はその理由を知ってるかもしれない。
でも、知っているということを知らない。

何でもかんでも遠い場所にあって届かない。
気持ち悪くて仕方が無い。
かといってどうにもできない。
知らないから。
まどろっこしい。
知らないけども。
もっと。もっと。
広い広い世界がある。それは感じてる。

世界にとって自分はなんだろう。
下らない人間かな。
いらない人間かな。
でも。もし。
必要だ、と言われてしまったら。
オレはどうすればいいだろう。
分からない。

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