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昨日の延長線上?


人の考えることが分からない。
自分が考えていることすら、分からない。
だから。
自分のする『考える』について、考える。
というか。
よくわからない、何かに、誰かに、考えさせられてしまう。

あれは?これは?どういうこと?
何かに聞かれる度に。自分の中から、キチキチと。
答えを創り上げていくような。
そんな感覚。
で。気付けば何かが自分の中でできあがりつつあって。
「創ってごらん」
と言われた瞬間。
はじける。

狂ったように。
何かを創り始めて。
ゆらゆらと。思考が巡る。
そうやってる時には、その意味とか価値とか。
そんなことを考えていなくて。
我に返ったときに、罪悪感とか、後悔とか。
なんやかんやが降り掛かる。

嫌になる。わけが分からない。

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自分という他人と自分という思考


分からない自分なんて他人じゃないか。
自分という存在はどこにもないんだ。
だって、何かを知っている『自分』は、虚像であってどこにもない。
知っているフリをしている『自分』は知っているけど。
それは所詮『自分』のフリをしている『他人』だ。
偽りの知識に弄ばれている。
歯ぎしりしたくなる。

それでも自分を偽る他人はフッと優しく笑っている。
「そうやって考えて考えて『本当』を探す貴方は、他でもない貴方自身でしょう」
それを聞いて、ふと過去の自分の結論がよぎる。
無こそが神であり、無に触れるからこそ自分の中に世界が産まれる。
でも自分がいないなら。自分が無なのか?
いや違う。
その他人が言うように、何かを考えている何かがここにある。
でも。
考えている自分は何も掴んじゃいない。
何も分かってない。

じゃあなんだ。ここには何がある?
すでに仮の自分の中で組み上げられたロジックを創り出したもの。
神ではないが創造主。
仮の自分が0と呼んだ存在。
いや、真に己が無ではないと悟った0の先のもの。
じゃあ何がある?
・・・そうだ。
仮の自分があちらこちらに散らばる中で。
唯一、本当の無を、知っている。
そして、代わりに有を知らない存在。
それが『自分』なんだろうか。
自分が有であることすら理解できていない『自分』なんだろうか。

オレは、無を知っている。
それはある意味、神を知っているということだろうか。
まあそこはさておき。
無を知っているオレは、有を知らない。
すでに存在している何かを知らない。
そしてオレはすでに存在している有の一つ。
だからオレはオレを知らない。
ということは。
オレは多分ロジックだ。
どういう仕組みかは知らない。
でも、ロジックを設計し創り出すだけのことができるロジックだ。

例えば粘土があるなら、粘土をこねくり回して
何かを作り上げることができる何かだ。
この状況で言うなれば『粘土ではないもの』『粘土以外』だ。
何かを考えているオレには粘土という形をした何かを視認できても、
粘土以外の部分、自分がそれに対してどんな方法を使って
こねくり回しているかは視認どころか理解すらしてない。
もし、そのとき使った道具があるとするなら、
それはすでに作り上げられたロジックの一つで、
視認できる点では粘土とあまり変わらない。
手も同様。視認できるだけマシだ。
でも、視認しているロジックまでは分からない。
道具を使う、手を使うためのロジックまでは分からない。

もっと。もっと。状況を整理しよう。
オレは何かを感じることができる。
でもそれはすべて問題文のようなものでしかない。
「これは何だと思う?」
「これはどういうことだと思う?」
そう問われるような感覚を感じる。
その問いかけしてくる何かを、自分は実態だと感じている。
そう。表すなら。すべてが自分に
「私はなんでしょう?」
と聞いてくるような。感覚。

そこから。こう。考えるという行為をするわけだけども。
その行為が自分の根本的なロジックなんじゃないだろうか。
じゃあなんだ。何をしてる?
その問いかけをしてきた何かを理解しようと何かをしている。
そう。そうだ。壊してる。
無に返してる。
なくなってしまえと言わんがばかりに、グチャグチャにする。
そうだ。
そうやってグチャグチャにして。
以前であったものと同じものを探してる。

前に何かを壊したときに出て来た何かと同じもの。
それが何かは分からない。ただ、似てる、と認識する。
そう。
そしてそれがどんなもので出来ているかを、
同じものでグループ分けするように繋げていく。
これの中から出て来たこれは、あれの中から出て来たこれに似てる。
これの中にあったものは、こうやって組み上げられていたけど、
この組み上げ方は、あれの組み上げ方に似てる。
そうやって。中身も分からず、ロジックを学んでいく。
「貴方はこういうもので出来ている」
そう、自分の中で返答する。

そうだ。そうだ。オレは。
そうやって砕いて手に入れたパーツを、
今度は自分で組み上げるんだ。
その時には。あぁ。
オレは何を組み上げる?
そう。自分が、自分に問うもの。
自分が解けていないものを自分で組み上げようとする。
その過程で、過去壊したものから、それに足りないものを探して。
ロジックを理解する。
あ、これはこれに似てるから、これで穴が埋まるんじゃないか、って。

まるで。パズルのように。
そして。そのパズルのピースを。
無が。くれる。
何かを何かをして鵜呑みにせず。
無が、まるで噛んで消化してくれるような。
そこにある何かを壊して、溶かして。
オレに、くれる。
すでに出来上がったパズルを、うまく壊してくれる。
それをしてくれるから。
オレは世界のパズルで遊べる。

でも。今のオレは。
そんな風に壊すこと自体が怖くなった。
オレが壊したくても壊せていないものは。
すでに大きな大きなロジックとして完成していて。
それを壊すためには。
自分だけではどうすることもできない。
そう。自分がロジックに、問う側になってしまう。
「どういうこと?」って。聞いてしまう。
オレにとっての。ロジックに。

オレはオレが今まで組み上げて来たロジックが、
オレと同じようなことをするなんて思ってない。
例え自分自身がロジックだったとしても、
そんなロジックが自分以外に存在していると言うことを
理解していない。信じていない。
・・・。
オレが、問いかける?
オレのパズルごっこに、付き合わせる?
自分の作り上げた、ロジックに?
どうなるんだろう?
どうなってしまうんだろう?

もし。自分が作り上げたロジックが。
自分と同じように、考え答えをくれたなら。
きっと、もっと多くのパズルを解けると思う。
でもオレは。
そんなロジックを、何一つ信じてない。
確かに。いろんなロジックを砕いては組み立てた。
でもそれだけ。
自分のためだけにロジックを創る?
自分のためだけに回るロジック?
創られた側は嫌だろ。そんなの。

そう。まるで。
かつての死神のように。
自分のケツは自分で拭けって。
怒られるだけだ。
パズルごっこなんて。
自分の満足でしかない。
だから。
不満だろうが関係ない。

で。そう。
そんな風に思っていたら。
無の方から。何かが迫って来て。
あぁ。そうか。分かった。
無はオレが無を使って壊すことをやめたから。
オレを壊しにかかってるのか。
だから流れでオレはオレを壊して。
オレを理解しようとして。
砕けきったら、オレを創るためのロジックがないから。
オレはなくなるんだ。

・・・あれ。
オレは誰がなんのために創ったロジックなんだ?

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だらだら思考遊泳


深い水の底に沈んでいくような気分。
その先に何があるかも分からず、ゆっくりとゆっくりと沈んでいく。
自分以外には誰もいない。
冷たさばかりが突き抜ける。
でも、どこか安心する。
完全なる平穏。
それを許す環境。
求めるべきものもなく、求められることもない。

自由。何事を変えることも容易い自由。
殺すことも生かすことも。
壊すことも創ることも。
でも。そこにはどうしても意志がない。
何をするにも、意志がない。
揺るがぬ決意などどこにもなく。
泡のように現れては消える。

もしオレがオレのために世界を創ったとして。
それを守ることに意味も義務も見出せない。
むしろすでに誰かが創り上げた世界が、
少しでも長く存在することの方が、
大事なことなんじゃないだろうか。
それは。
間違いなんだろうか。

自分が本当に大事にしたいと思っているものを。
一体誰が大事にしてくれるだろう。
自分が誰かの大事なものを大事にできないというのに。
そんなことを望む自分は愚か過ぎて泣けてくる。

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自分に足りないもの


オレは馬鹿だ。
馬鹿だから、プロフェッショナルな世界なんて、遠い遠いものだと思う。
自分は専門家にはなれないし、専門家から見れば、
相手にもしたくない大馬鹿ものだと思う。
じゃあそんな自分に自分はいつもどう接しているのか。
馬鹿にしている半面。
実は見捨ててもいないのかもしれない。

というのも。
オレはいつも何事にも理由を考える。
自分は馬鹿だから理解をしていない。
だから馬鹿な自分に、自分は説明してやるわけで。
本当にどこまでもどこまでも突き詰めて砕いて砕いて。
で、説明する。
だから吐き出すものも砕ききっていて。
馬鹿な自分はそれを組み立てる方法も知らない。
で、そのとき、少しでも馬鹿な自分が、
「これ、こうなったけど、なんで?」
なんて言い出そうものなら、自分が吐き出したものであろうが、
また砕く作業に戻ってしまう。

人に説明を求められると。
どうしても幼稚な答えしか返せない。
だからどうしても。
多くても、一つずつ、丁寧に、積み上げるしかない。
これは、こうだろう?
だから、こうできる。
すると、こうなって。
これが、できる。
それの繰り返し。

そんな馬鹿を相手にしていて。
何だかんだで。自分は。
砕くことに楽しみを覚えてしまったかもしれない。
逆に言えば。
難しいものを難しいまま呑み込むことができない。
分かっていないものを、分かっていないまま呑み込むことができない。
だから。
それを地道に壊して。
呑み込んでいくことを続ける。
そして。
結局。
元の形を忘れて、本当の意味で壊してしまう。
それは。
とても。
悲しいことだ。

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自分は。
自分のことを。
凄いとか、もっと話したいとか、自慢したいとか、
自分がそばにいられることが信じられないほど、
大事にしたいとか、神聖さを感じるとか。
正直そう思う部分はある。
でもそれは自分の感覚の話であって、
だからどうしたい、なんてものはすべて自分勝手なものだ。

こう思うからこうする、なんて。
オレには分からない感覚。
なんでそんな個人的な理由で行動を起こすのか、理解できない。
いや、理解ができないわけじゃないのかもしれない。
ただ。それが正解だとは到底思えない。
世界、社会が求めているのはそんなものじゃない。
個人的な思いが規律を乱し、人の言う平和が乱される。
だからこそ大々的にそういった思いを人は評価し、
意見どころか、命令を下す。
時には罪とすら言われ、罰せられる。
そんな規律を社会は築き上げ、世界は成り立っている。
そしてその規律を自分は理解していない。
何より、理解したいと思えない。
でも世界を否定したくない。
世界が『平和』という何かを目指しているなら、邪魔にはなりたくない。
そんな矛盾。そんな我が儘。

自分ではない何か。大きな大きな世界。
それを理解するには自分はあまりにも小さい。
知らないことだらけ。理解の遠いことばかり。
分からず屋が何も分からないまま、
世界が求めている何か、平和を壊してしまうのなら。
何もしないことが世界に自分ができること。
もし。世界の声が自分に聞こえたなら。
その言葉が理解できたなら。
世界はオレになんて言うだろう。
そもそも見向きもしていないかもしれない。
小さ過ぎる。ゴミのよう。ゴミ以下だろうけど。

オレは。幸せだ。
こんなに大きな世界でいろんなことを感じていられる。
でもオレは世界の何の役にも立たない。
ただひたすら、オレの気持ちを世界に押し付けることしかできない。
オレは世界の幸せを、平和を、願っていない。
自分勝手に、ああしたい、こうしたいって、思うだけ。
それは世界にとって不要なもの。
オレは我が儘の塊で、世界のために動く道具にすらなれない。
どうせならなくなってしまえばいいのに。
どうせなら恨みと共に邪魔でしかないオレを壊してくれればいいのに。
どうせならオレは自ら死を選べばいいのに。

少しでも世界が求める理想に近付けるように。
自分の我が儘の代償を自分で背負うために。
泣いている自分を笑って殺せる自分になりたい。
自分が自分に感じる感情すべてを、笑ってグチャグチャにして。
自身の存在の愚かさをこの何かに知らしめて。
お前は世界にとって世界の幸せを奪う敵なんだと。
心底理解させてやる。
あぁ。
なんていらない子なんだ。
さっさと消えてしまえばいいのに。

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