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ブログ日記のようなものPAGE | 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 | ADMIN | WRITE 2009.10.12 Mon 23:40:35 だらだらなんか語ってます「無理です」 そう。無理です。 僕には、無理なんです。 何が無理って。 今の世の中で言うところの正しいタグなんて。 僕には、僕には、到底、手が、届か、ない、です。 フレーム好きの僕には、正しいタグなんて、なんて、なんて・・・!! というか!! 僕にフレームを捨てることなんかッ・・・!! できないんだああぁああああああ!!! フー・・・フー・・・ そもそも、だよ? オレがはじめてサイト運営をしたときはレンタルサーバ中のレンタルサーバで、 最低限のタグ打ちは既にしてあって、デフォルトでフレームだったわけだよ。 追加したいページを作ったら、勝手にメニューフレーム側で項目増えてさ。 当初それがノーマルだったわけだよ。小6から中学1年ごろの話でっさ。 そこからフラッシュとかが普及して来て、やり方次第でメニューフレームに時計を 付けられるようになって、それだけでも感動ものだったわけだよ。 そこからやっと本格的にタグを自分で打つようになってさ。 自分で作れるって、どんだけ開放感溢れてたか。 あんなワンパターンのページ構成から抜け出せるってだけで、 もうハッチャケ万々歳だったわけだよ。 で、HTMLタグの本も買って、本格的にタグ打ちするようになって。 『どれだけ構想通り実現させるか』 これが一番の面白さだったね。 縦割り横割りフレームはもちろん、中枠フレームと背景の組み合わせとか。 テーブルに背景設定して装飾してみたりとか。 文章の区切れに入れるラインも、長さ調整のためテーブル使用でさ。 あと、プログラミング的勉強にもなったのが、円型リンク。 x座標y座標に半径を指定して、画像にリンクを張るってヤツ。 座標指定四角リンクと組み合わせて・・・ あれはもういろんな意味で涙チョチョギレたね。 んでもって、そういう構成の上で実現させる隠しページとか。 『実はこんな所に・・・』とか。やったなぁ。うんうん。 で!! そんな時に出て来たのがCSSだよ。 オレ的にはCSSってのはHTMLの拡張機能パックなんだよ。 HTMLでできないことをやってくれる便利機能なんだよ。 HTMLでできることはHTMLでやればいいじゃない!なノリなんだよ! どんなに時間がかかろうが、変更が大変だろうが、 そのソースだけで完結していて、理解できるタグじゃないと・・・ 納得しねーぞおぉぉぉおおおッ!!! な、タイプなんですよ僕は。 な の で 。 そんなことを言わず、現在推奨されている方法がいかに便利なものなのか、 だだこねずに理解せにゃいかんなぁと思うのです。 とはいえ、そもそもフレーム馬鹿な僕にとって。 ページが切り替わる度にすべての内容が再度読み込まれるという状況に 納得するところから始めにゃいかんなぁと思うのです。 切実に。 このままじゃフレーム廃止されてガチでサイト見れんくなっちゃうし、ね。 おそろしや・・・ あとね(まだ書くんかい) 一昨日シューティングゲームについてグダグダ言ってた件なんだけどね。 教授があっさり直してたよ。さすが。 ただ、今日それよりも気になったのは・・・ 教授の「加えて欲しい仕様があったら言ってね」発言。 いや、そりゃあ言い出したらキリないかもしれんのだけども・・・ オレ一人が多人数巻き添えにしてまでゲームの仕様左右して問題ないわけ? それもこんな糞人間が。 それこそ「自分で言い出したんだから自分でやれ」とか、 「自分のケツは自分で拭け」とか、そういう流れじゃないわけ? 全部背負って潰れた馬鹿を見て『他人事だし』と笑えたらそれが一番いいじゃない。 そうなれば自分にはまったく関係ないことなんだし。 気兼ねすることも、悲しむこともないじゃない。ねぇ? 他人を巻き込む責任を持って生きるほど、しっかりした人間じゃないし。 なにせ糞人間だし。むしろ人間どころかただの糞じゃん。うんうん。 死ねばいいんだよ。皆はそれを見て笑ってればそれでいいんだよ。 それが一番平和だよ。『当たり前』に沿った『正しい』生き方だよ。 さて。話を戻して。 自分で言うところのシューティングゲーム・・・といえば。 とりあえずパロディウス。クラシック系の曲を聴けば、 我が家ではすべて「パロディウスの曲」で通じる(爆) それでいて、何といっても兄弟舟とモアイだよ。 ステージ突入でゴオオォォォ!!とやってくる兄弟舟・・・ そしてモアイの口から出てくる出てくるワッカ。 時々モアイの口からモアイ・・・さらに時々そのモアイが長い・・・ あぁ、懐かしや。 あと、ボカンと一発!ドロンボーもよかった。 何がいいってね・・・ボヤッキーカーのシールドの性能の良さだよ。 でも死ぬって言う、ね。お決まりだけど。 でもって、これまたお決まりの3人乗り自転車。 メカが壊れても自転車でプレイ続行できる上、頑張ればメカに 復帰できるというという素晴らしい仕様。 「えいほー」「えっほ」「えいほー」「えっほ」 自転車から淋しく飛んで行く1発ずつの小さな弾・・・あぁ、懐かしい。 あとね。ゼビウス(古いなオイ) おとんがずっとやってたから、見てただけだけど。 あの単純な音のエンドレスリピートはまさに洗脳。 でもって微妙な差ながらも、地面にいる敵がミソだったり。 いやでもやっぱり、あのゲームは音だね。 そうだよ。 あの微妙に音が外れてるんじゃないだろうかと思ってしまう音程が・・・ もう絶妙だね。あと、容量オーバーのせいか、音数が足りない感がなんとも。 ・・・今思った。 東方もやったことのないオレは弾幕向けじゃないかも。 ギャグしかないなこれは。だな。 PR 2009.10.11 Sun 19:20:42 狂い中です。ご注意下さい。あかん。頭狂ってきた。無償に暴走したい。
今下手に刺激されると、刺激したヤツの首絞めるか、自分の腕抉るか、になりそう。 狂い笑いだけならまだいいんだけどね。 とりあえず。 気に入らん。 何が。 現状が。 人に認められる気なんてさらさらない。 誰かの上に立つ気もない。 むしろ自分の言動が誰かに影響を与えることそのものが許せん。 いつものことながら。でもいつも以上にそういう気分。 理論ではわかってるんだろうけどなぁ。 いくら自分が否定したって、他人の評価は所詮他人の評価。 自分がどんなに足掻いたって、良くも悪くも思い通りの評価を得るなんて不可能。 他人が自分だったらまだ手があるかもしれないけども、そんなわけもなく。 でもって。 そこまでして他人の評価を受け入れられないのは、 自分がその評価を信じることができないから。 他人の想いを理解することはできない。 自分が外見なり言動なりで、その想いを評価するだけ。 誰かの想いが生んだ評価を、自分の想いで評価しても、 得られる物なんてたかが知れてる。 それでも信じなければ評価の意味自体がなくなってしまう。 それがどんなに信じたくないことでも、そういう評価だと 認識してしまったのなら、それを受け止めなきゃいけない。 結局自分にはそれができてない。 本当の根拠を知らないのに、そんなものを信じたくない。 自分が世界に存在していることを、信じたくない。 それが事実でも。 こういうのを『生きることから逃げてる』っていうのかな。 まあ、そうだとしても、逃げたっていいじゃない。 それに満足してるならいいじゃない。 死んだって、いいじゃない。 なんでダメかな。 馬鹿にはわからん。 2009.10.10 Sat 21:27:27 必殺「仕様です」(追記あり)なあ。
今日見つけたんだけどさ。 教授から貰ったサンプルのシューティングゲーム・・・ 512発以上弾が撃てないんだけど(爆) 何。これは仕様ですか。 512発でクリアしなきゃいけないゲームってことですか。 なんというチートゲー・・・!! ごふごふ。 冗談はさておき。原因は大体把握。 どうやら消えた弾のメモリ解放をし忘れてるご様子。 newしたらdeleteしろ、な感じで。うん。多分。 なんで『多分』かというと。 delete入れても問題が解決しないから。 ん〜?? リストから外すタイミングでdeleteじゃダメなわけ? それともdeleteしてるものが間違ってる? 大体、deleteに対してオーバーライドしてるっぽいんだけど、 何をどうしてるのか現状よく分かってない。 ムムム。 もうちょっと調べようかな・・・ いや、調べたとしても教授側から直してくれるだろうし・・・ う〜ん。 いっそこのままチートゲーに・・・(マテ) 追記。 delete (型*)*変数; でなんとかなったっぽい。 も〜焦るわぁ〜・・・ 2009.10.09 Fri 20:59:30 オレにとっては興味深い話思ったことをツラツラと。
世の中他人に対して酷い発言をする人がいる。 「死ねばいいのに」だとか「うざい消えろ」だとか。 でもそういう発言をする人の大半は、本当にそう思っているわけではないらしい。 それこそ、冗談とか遊び半分とかいう部類。 かといって、聞いた側がそれを冗談と受け取ってくれるとは限らない。 その発言があったことは事実だし、そのままの意味を受け止めれば 「あ、この人は自分に対してそう思っているのか」としか受け止められない。 そのままの意味で受け取った人にとっては相当ダメージが大きい。 さて。問題はここから。 冗談で言った言葉をマジメに受け止められてしまった側としてはどうなのか。 「うそうそ。冗談やって」なんて言葉すら冗談として受け止められるかもしれない。 あるいは、相手が本気にしていることにすら気付かないかもしれない。 悪気があったわけじゃない。発言した側としては単なるコミュニケーション。 でも相手にはそう思われていない。距離を取られてしまったり、 酷い時にはその人が自殺する、なんてことになりかねない。 そういう状態になる可能性があることをどう思うか。 今日はたまたまそのうちの一つの解答を聞いた。 「そいつ(言葉を受け止めた側)の精神状態が弱いんだ」 らしい。 自分が悪いんじゃない。相手側が弱いことが問題なんだ。 とかいう解釈。なるほど。そう来ますか。 さて。 それで言うと、オレは精神状態が弱い部類になるんだろうけど、 それが弱いと呼ばれるようなものなのか、自分にはよく分からない。 というのも、ただでさえ相手のことを知る手段として、 大きな役割を担っている『言葉』を、マジメに受け止めることを 否定されてはどうすることもできなくなる。 本当にそう思っていると信じなければ、相手を理解することなんか到底できない。 それとも。 その理解を『当たり前』と呼ぶのかもしれない。 分かっていて当たり前。冗談として受け止めることが当たり前。 そういう見方があるのかもしれない。 そうなってしまえば、もう手の打ち用がない。 当たり前を見つけようにも、目の前には冗談が氾濫しているのだから。 生まれた瞬間から当たり前を知らない人間にとってはある種の大問題。 もし。 誰かがオレに向かって冗談で「死ねばいいのに」と言ったとしたら。 オレは喜んでしまうと思う。 「死んでもいいんだ。許可が下りた。じゃあ死のう」 そうなれば、最早弱い云々の問題ですらないかもしれない。 その後「うそうそ。冗談やって」なんて言われたとしても。 「その発言があったという事実は変わらん」とかいって、 その場でリストカット、とかになりかねない。 さらに第三者がやってきて、そういう状況になったということを聞いたとして、 その人は「あぁ、それは精神状態が弱いからだ」と言い出した日には。 弱いって何だよ、とツッコむしかない。 好き嫌いとか、良い悪いとか、そういうものに意味はないだろ、 とは思っていたけども。強い弱いも意味がない気がした。 それの定義を誰がしたんだ。『当たり前』か。『当たり前』なのか。 当たり前ってなんだよ。こんにゃろう。 2009.10.08 Thu 21:10:09 「くだらない」は大事 |