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問題の解決、問題の解決、でもやっぱり問題

・・・なんか結局節目じゃなくなってます。喰う流です。ちげーよ。空竜です。
まぁどのみちやりますよって話。でもまた部活が...orz
気合い入れていきましょう。
半端は嫌です。何より他人が頑張ってるのに一人ぼさっとしてるのは嫌です。
自分の作品ならまだしも、人様の作品なんだから。全力で。うむ。

半端と言えば気持ちも半端だったわけですが。
スッキリしているようでしていない。
自分に納得しているようでしていない。
なんかこう、引っかかって引っかかって。
・・・だったんだけども。自問自答してたら原因発覚。
というのも、人に言ったことを自分に言ってみただけなんだけども。

オレの場合、口から出る言葉にせよメッセにせよ。
大抵その場ですぐ外に吐き出した言葉なんてものは嘘八百で。
改めて考えれば考えるほど「ここはこう言うべきだっただろうに」があった。
だから自分の吐き出した言葉を後々自分で考え直して、
それに納得するなんてことはあり得なかった。
でも今回は珍しく、吐き出した言葉に後々納得してしまった。
何が違ったのか。あくまで自分の意見だったから?
それまでの話の流れに流されるのではなく、話を聞いて自分の意見を言ったから?
「あ〜そうやね」だなんて言わず。
「それってこうなんちゃう?」と、勝手な解釈なのに言い続けて。
もう遠慮なく。否定されること前提で。
でもそれに後々納得した自分がいることを思えば、
がむしゃらでも筋の通る話が出来たことに、自分で驚くわけで。

その時話したことと、今までの自分の行動を照らし合わせると・・・
事実と可能性に対する見方は時間的問題も含まれる、ということかもしれない。
これまでの解釈は・・・
確かに可能性が0でない限り、それを実現する方法は存在するが、
0に限りなく近いこと自体は事実であり、それを常識の範囲で「できる」というには
あまりにも遠すぎる、というもの。
でもそれは現状の話であって、意志の持ち方の話じゃなかった。
というのも・・・
可能性を信じて行動する行為と、事実を現実として認めて何もしない行為と。
これはあまりにも真逆の行為になってしまう。

じゃあそれを自分に当てはめたら、自分はどんな行為をして来た?
確かに僅かな可能性を信じて、何かを求めていた時期もあった。
逆に事実は事実、諦めの範疇で出て来た答えを決行しようとしたこともあった。
でもその時自分は納得しなかった。自分が諦めていることを知っていたから?
じゃあ何だろう。
自分は諦めたくなかったのかもしれない。
今は確かにこうだけど、方法がないわけじゃない。
どこかでそう思っていて、途中での妥協を否定していたのかもしれない。

皆同じじゃない。同じようなことを出来るわけじゃないし、考え方も違う。
それは分かる。自分が他人になれないことも分かってる。
でも、だからって諦める諦めないも一緒なんだろうか?
「自分はあの人じゃないんだから、あの人と同じことはできない」
確かにそうかもしれない。でもその可能性が0だと誰が決めたんだろう?
そこで諦めて何もしない自分がいるのか。
完全に同じことが出来なくても目指そうとするのか。
自分ならどうするだろう?自問自答。
「それがこの世に存在している事実なら、それを実現する方法があるということ」
「新しいものが作れなくとも、それを目指すことは出来るはず」
「何か方法はあるはず」

その考え方に従って一番オレの中で大きな位置を占めている代表的具体例。
それは、どうしようもなく素晴らしい絵。
確かにそれを描く技術は素晴らしい。でも現実に存在しているのなら。
寸分の狂いもなくマネすればいいんだろう?
パソコンで描くものなんかは特に。
グラデーションを描くにしても、ツールがなくったって1ドットずつ描けばいい。
時間の問題だけで、それが出来ないわけじゃない。
想像した作業量に先にゲンナリしてしまっているだけ。
不可能じゃない。出来る。
絵柄だってパーツの1つ1つの比率、主線の太さ、遠近の出し方、
特徴的な細部の描き方、塗りの程度、構図・・・
何枚もある絵を総合的に評価することは難しいけど、1枚だけなら分かりやすいはず。
この絵のこの部分はこうなってる。こうなってる。
出来るはず。

出来るということは分かってる。ただしていないんだ。
でもしないなら出来ないことと同じ。
現実に実現出来ていないのなら、テストの結果と同じ。
「先生、分かってるんです!これは自力で解けます!」
「でも実際のテストの結果は変えられないだろう」
そう言われても仕方がない。それが事実となってしまったのだから。
残さなきゃ意味がない。やらなきゃ意味がない。
それが考えとして実現可能だとしても、実現しなければ意味がない。
しようとしなきゃ意味がない。
1つ目指す形があるとして、それを実現しようとする。
オレならどうするだろう?
実現できる方法はある。それをしようとしなきゃ意味がない。
実際やってみる。でも、結局出来ない。完全な形には辿り着けない。

昔の自分は・・・
数学も物理も、考え方ばかり理解して実際には解けなかった。
「数こなさへんからや」と怒られて怒られて。
でも、それは自分のための勉強でしかなくて。
解くことに意味を見出せなかった。そんな実績、残らなくていい。
自分は元より生きるつもりがない。
だから理解しようという努力はしても、実際に自分では解こうとしなかった。
結果こういうことになる事実がある、と提示されたものを理解するだけ。
必死で説明してくれてる先生がいるのだから、その説明はちゃんと聞いた。
でも自分のために必死になる先生を見て、面談で泣いたこともあった。
先生も先生で泣いてた。
申し訳なかった。
それでも何もしなかった。
「オレのためになんか、何もしなくていいんだよ」
クラスのメンバーには言えても、さすがに担任のゴッドには
「人間不信なんです」という理不尽な理由しか言えなかった。

今は。
何だかんだで周りに必要とされてしまって。
「オレのためになんか、何もしなくていいんだよ」よりも、
「オレは何も役に立ってあげられないんだよ」と言うしかなくなった。
信じてもらっても、オレはきっと裏切る。
いろんな人を泣かせてしまったコイツが、人の役になんか立てるはずがない。
それでも人は何を思うたか、人泣かせ常習犯を必要とする。
「おいどうなっても知らないぞ」
そう言いながら、言われたことはする。
その時のオレの意志は?
自分のためじゃなく、人のために。
泣かせてしまうことは分かってる。迷惑にしかならないことも分かってる。
それでも必要とされてしまった以上、全力で実現させようとする。
完成の可能性が0じゃないんだから、それにちょっとでも近づけよう。
その人はそれを願ってる。だからこんな馬鹿でも使おうと思ったんだ。
「ちょっとでも良くしたい。馬鹿でもないよりはマシ」
そう思われてると思って必死になる。
毎回毎回頼まれる度に立てる目標は過労死。
「えぇい死んでしまえ!いっそお前なんかでも必要とされてるならそれで死ね!」
そんな方針。

そうしていると「信頼出来る」と言われた。
なんだかそんなの求めていないのに、褒め言葉を聞かされる。イライラする。
「この馬鹿の本質を知ったら、そんな口も叩けなくなるぞ」と毎回内心思う。
自分に対する評価なんかどうでもいい。
それより目標は達成したのかどうなのか。問題はそこだ。
だから達成していない状況を見て穴埋めしようとする。必死。めざせ過労死。
でもやればやるほど返ってくるのは褒め言葉。イライライライラ。
いっそ失態犯してやろうか、とヤケクソ。それは違う、と毎回言い聞かせる。


何にせよ。
オレはどんな考え方であれ、可能性を信じてやろうとしてる。
自分のことはしないにしても、他人のことになると必死にやろうとする意志がある。
それは否定出来ない。事実あるのだから。
そして結局それが自分の実績に返って来てしまうのも事実。
だから求めてもいないのに褒められてしまう。
「必死でやるけど、完成させたいのはオレの意志じゃない。作品もオレのじゃない」
「だから褒められるべきなのはそっちだろ。やろうとした本人だろ」
そう言い返したくなる。でも担当したのは確かに自分になってしまう。
直接その人の実績にはなってくれない。自分が他人になれない瞬間。

だからさ。
オレの意志を感じて褒めるよりも、自分も意志を持ってくれよ、って話。
やりたいという意志があっても、やろうという意志もなきゃ意味がない。
やろうという意志をこっちに押し付けてたら、それは結局自分には返って来ない。
自分を認めてもらうための要素にはなってくれない。
だから自分の意志でやったことを自慢げに語れる状況になって欲しい。
オレにその状況はいらないんだから。
その状況になりたいのはそっちじゃないか。
そう言わないといけないな、と思ってその場で発言した自分。
なんか積んだな、と実感。
だってそんな状況が続かないと、そんな言葉も出ないだろうに。

欲しくもない実績が積みあがって。
「なんだよ。自分を認めて欲しいのか?」とでも言いたくなる。
流れで積み上げてしまった自分の証。
じーっと見ては蹴り崩したくなる。
でもそうまでしてなんで自分は自分を嫌ってる?
過去に何かを奪ってしまったから?誰かを泣かせてしまったから?
その事実は一生変わらない。だから嫌い?
過去を捨てずに背負って、むしろ抱きしめて離さない。そんな自分を嫌ってる?
何か違う。それなら捨てればいい。じゃあ何が嫌いなんだろう。
奪うだけの自分が嫌いなんだ。奪うばっかりで何も出来やしない自分が。
でも今は何か残ってる。善かれ悪かれ何か出来た証拠が残ってしまっている。
・・・何か。
こんな馬鹿でも出来るのかな。
ちょっとした光。別に欲しくもなかったけど。
こんなもの、どうしろって言うんだよ。
それの方が大問題。

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新たな節目

鼻がかゆい。肺がだるい。花粉なんてっ花粉なんて!!
・・・と思ってしまうが。
正直悪いのは花粉ではなかったり。だってそうだろ?
結局は植林しまくった人間のせいだろ?
それを何さ。元々花粉も杉も悪いことはしてないだろうに。
子孫を増やすための手段が、たまたま人間に有害で?
植林された挙げ句、悪い印象ばっかり押し付けられて。
杉が可哀想になるね。
だから確かにだるいけど、杉を悪いとは思いたくないのよね。

虫とか動物でも、害と見なされたら即退治?
行き場を失って絶滅?人はそれを喜ぶ?
虫も動物も、カッコいいだとか可愛いだとかえらいだとか。
評価をしたらペットにする?売り買いして喜ぶ?
人間相手じゃそういうことすら考えないのにさ。
酷くね?何の差?人間の特権?
そういうところを考えると、ホント人間なんて嫌。
虫でも動物でもいい。
とにかく、本能のまま生きることに必死になりたいね。
違うところに欲望のまま手を出してさ。
言葉で自分の思いをこと細かに伝えてさ。
確かに素晴らしいよ?それが実現出来ている事実は。
でも、それでいて綺麗ごとを並べるのもどうかと思う。

ttp://kuryu.prof.shinobi.jp/Comment?0702032144
過去の日記より抜粋。
自分が自分として生きようとしたけれど。
現状それを自分が望んでいなかったというオチ。
まあそこはいい。
昔から人の言う『命の大切さ』が理解出来ない。
どう考えてもそれは『人間の大切さ』だろ。
そう思ったのもつかの間、人間ではないものに対して大切さを語り出す。
「・・・はぁ?」と、ちょっとキレる。
で、キレる相手がいなくてその場でオーバーフロー。泣き崩れる。
自分一人で考えている分には泣いていようが構わない。
でも、あの時だけは。
他人に何かしら心配させてしまうことを分かっていながら。
パイプイスに座ったまま泣いて、動けなかった。

中学の時から命の大切さがどうとか言われて来たけど。
結局人間は本当の意味での大切さなんて気にしていない。
本当に気にしていたら、やりたいことを遠慮なくやるような社会にはならない。
生きるために食べることが必要でも。
趣味や野望なんてもの、本来必要ないのだから。
そのために命を犠牲にしている、何かを犠牲にしている。
・・・考えるか?おい。
考えてみればすぐに分かるのに、考えない。考えようとしない。
見て見ぬ振りをしておきながら、それでも大切?わけが分からん。

せめて考えてくれればいいのに。気付いてくれていればいいのに。
どこか心の片隅にでも、今この瞬間にでも自分が何を犠牲にしているのか。
考えればキリがない。でもそれは事実として消えている。奪っている。
「自分だけじゃない。みんなだってやってるから構わない」
「自分だけが悪いわけじゃない。みんなが悪いんだ」
みんながみんなそう言って、誰がその奪われたものを思ってあげる?
量なんか関係ないだろ。
生きることに必要なこと以外で何かやってしまっている時点でアウトなんだよ。
じゃあやるな、とも言わない。それは結果確かに素晴らしいものだから。
確かに本来この世にはなかった、自分という証を残す大切な行為かもしれない。
でも、その証を残すために自分というたった1つの命が大量に犠牲を出している。
たった僅かなものでも、自分がそこに含まれていること。
自分も加害者だということ。願わくば、自覚して欲しい。

自分が奪われる立場になっていたら。自分ならどうする?
恨んでも恨んでも、人間に言葉が通じない。苦しんでいたって助けてくれない。
「人間のためになら死ねる」そう考えるか?
「役に立てるならお菓子になるよ」
「みんなのために薬の実験を僕でしておくれ」
誰がそんなことを願う?自分は人間だから関係ない?
たまたま人間に生まれて来たからそれでよかった?
だったら元から同情なんかするな。
せいぜい自分が人間として生まれて来た命を必死で守ればいいだろ。
それが本来あるべき姿なんだから。本能だろ。
中途半端に人間ではない、犠牲にしてしまった命を思うぐらいなら。
それ相応の結果、自分の証を残したらどうだ。
それがせめてもの償いだろ?
生きることが出来なかった命のために。
自分が死んだって、その命のためになんかならない。
犠牲にして出来るようになったことで、その命の代わりを自分が果たすぐらい。
ただただ生きるのではなく、何かに必死になって。
命の生まれ変わった姿を自分が愛せるほど。
何か自分には出来ないだろうか。


一つ新しい答えを見た。
自分がこれ以上犠牲を増やさないために死ぬこと、ではない。
思慮なく犠牲を増やし続ける人間すべてを滅ぼす、でもない。
そんな何かを苦しめる結果になるような方法ではない答え。
生きている限り奪ってしまうのなら。
生きることに必要なこと以外に手を出してしまうぐらいなら。
いっそ、奪ってしまったことで自分が得たものを示そう。
奪ってしまったものを思い続けよう。犯した罪は絶対忘れない。
重い重い罪を償うために。相応の結果を残してあげよう。
ただ自分が満足するためじゃない。
自分が何か得たのなら、それをすべて吐き出してしまおう。
「貴方達のおかげでこんなものが出来たよ」
そう笑って話しかけられるようになりたい。
たくさんたくさん犠牲にしまった、でもそれ相応の結果が残るように。
自分の印に生まれ変わって輝いてくれるように。
あぁ、それが嫌なら恨んでおくれ。呪い殺しておくれ。
元よりそうしたかったんだ。
何を思ったか神がオレを作ってしまったから、結果こうなってしまっただけ。
否定なんかしない。
殺しにおいで。

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上下関係

いつものことです。

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考え出すとキリがない

ふぅ。何だかんだで一段落のようです。
しかし、気は抜けない。
終わったら次はGプロ。
終わったら休んでいた部活へ行く。
終わったら必要な情報を引っかき集める。
終わったら終わったら・・・
休み、足りません(爆)

とにかく足場グラグラ感がするから、足場を固めよう。
まず何をするのか整理して。
それに必要な情報が何なのか洗い出して。
時間配分を考えて、情報収集。
ある程度情報が集まったら基礎部分から実行。
最低必要なものをそろえてしまって、協力してもらえる部分は
協力して貰いやすいように配慮することを忘れずに整えて。
出来ることから順番にこなして・・・

よし。だったら休み中の目標を立てよう。
とにかく部活に参加。花粉対策は怠らずに。酷くなる前に早期帰宅を心がける。
で、Gプロのサイトを整えてしまおう。
そのためにもRubyの本は当然読破。
スタイルシートも当然抑えておく。
CGIも当然完成してるはず・・・なんだけどそれ以前の問題。
借りてるサーバではCGI対応してないのよね。
別のサーバに貸し出し申請したけど、返事まだだし。
2週間って言ってたけど・・・どうなのかな。
まだ1週間ぐらいだから早い?
う〜ん。心配。
最終手段があるにはあるけど、そうだとしても下調べした方が良さげ・・・?

で、大事な部分な目標がまだですな。
プログラミング。
結構大掛かりになりそうだからアルゴリズムから書き出して・・・
休み中に骨格部分を作ってしまいたい。
とりあえず目標は形だけかな。
動きの制御部分も出来ればしたいけど・・・
まず表示の時点でいろいろ引っかかりそうだしなぁ。
でもそこまでいけば、あとはパーツを乗せて初期段階は乗り切れるんだし。
基本部分が完成すれば量産は難しくないはず。
問題は動きの制御とエフェクトか・・・
あぁ、企業にエフェクトプログラマが足りないって話、地味に深刻なのね(汗)
まぁ頑張りましょう。いい経験には絶対なるしね。


えぇいなんなら今考えてしまえ(爆)
まずキャラに対して必要そうな要素ってなんだ?
骨格は当然必要。最低必要な関節の場所を抑えないと。
骨格の大きさの操作。身長だとかなんだとか、体型に対応しないとマズい。
動きは当然制御必須。動きの制御はとりあえず各関節の回転量を把握するべし。
骨格に対するパーツの配置。配置が出来るように元から工夫しないとね。
配置したパーツの当たり判定。これキツいなぁ。でも何とかしましょう。
特殊パーツのエフェクト。なびくゆれる・・・ポイントを抑えて効果を付ける感じ?
パーツの模様。あ"〜キツいなそれ・・・あんまりやると処理落ちしそう・・・
表情の変化・・・え?付けちゃう?こ、これは最後で(汗)
デフォでの動き。キャラごとに数パターン作るしかないなぁ。
当たり判定後の動き。ぐおぉ。どうすっかな。これ一番悩む(汗)
あとは・・・CPUどうしよう?
これ地味に難しいんだよな。馬鹿なCPUを作るのが。
完璧なCPUは作りやすいんだけどなぁ。適度にミスするってのがね。
最終まで調整してそうな部分ッスな・・・

んじゃあそれぞれどうするよ?
描画に関してはベジェ曲線を数式処理でなんとかしてやるとしよう。
なるべく複雑な形は使わないようにしないと、動きについてこなくなるよね。
どうしても複雑にしたい部分は数段階に分けて描画すればなんとかなるかな。
できれば複雑な形でも対応出来るようにしたいんだけどなぁ。
研究量次第か。うあ〜きっつ〜。でもやっちゃう(笑)
関節の回転量は・・・普通でいいんだよ無理はしなくていいんだよ。
描画に使う関節の回転量を実際自分で研究すりゃいいんだよ。
肩はどんだけ回る〜、ここが曲がるとこっちは回りにくい〜・・・
うわぁ。地味に大変(汗)
でも、これさえしてしまえば動きの制御はしやすくなるはず。
なんかもうエディットモードでも作ってやった方がいいかもしれん・・・(汗)
特殊パーツどうしよう?骨格とは別で動きをプログラムしてやらんと。
単独で動くようにしてやった方がいいよね。なんとかすっか。
当たり判定は・・・細かい部分までやっちゃうと処理に影響するから・・・
あれか。外形線だけ処理してやればいけるのかな?
あ〜でも服一枚で当たりを取られるとヤバいから、そこはなんとかしないと。
そうしたらいけそうな気がする。
模様は・・・どうしよう。パーツと似たような扱いでいけるのか・・・?
ちょっとまて。見えなくなった部分の処理も考えないと。
見えなくなった部分は描画の必要なくなるから、描画処理をしなくていい。うむ。
でもわざわざ見える見えないだなんて処理してられないな・・・
んじゃなしで(爆)

あとあれか。動きに同期して技出ないとね。
出た技はどうしよう。派手〜な演出にしておいて、当たり判定はほどほどに?
描画はどうしよう?またベジェ?
う"〜ん。さすがにここは画像読み込むかなぁ・・・
ただ・・・技が物体としてしっかりしてるのもなら、
ベジェ使って別で描き起こした方がいいかも。うむ。
そうなるとキャラとは別でデータ必要だよね。
だったらこっちは基礎からは作れないなぁ・・・形バラバラだし・・・
一つ一つの物体に対してどういう描画をするか考えないと。
分析必須ですな。うむ。

あぁ・・・考えるだけでもいろいろ問題出てくるのに。
実際作ってたらどうなることやら(汗)

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組み立てる、崩す

作業が体調に左右されるのはどうも腹立たしい。
体調が悪くてもやるべきことはやって欲しいばかりである。
ということで、やれ、オレ。


今更ながら。
オレは何かを『作る』という大きな概念で言うより、
『組み立てる』ことに興味があるらしい。
ただ、おとんのようにパズルが好きというわけじゃないようで。
パズルのように組み立てることで形が出来る、ようなものよりは、
組み立てることで意味を成す、何かが出来るようになるものというか。
これがこうなることでこれが出来るようになる・・・みたいな。
いや、数独とか立体パズルとかでも興味ありっぽいけどね。
おかげさまで単体で意味を成すものはダメダメですわ。
名前とか無理。
名前の由来とか、何かしらきっかけがあれば多少は取っ付きやすいけど・・・
高校メンバーに至っては3年間一緒のクラスでも相手の名前を覚えてない馬鹿です(汗)

そういう意味でもプログラムって、なんか興味あるようで。
パッと見だけじゃ当然意味プーなんだけど、実際中身を見てみたら、
こうやってこうやって、こうやってるから、これが出来るんだよ、みたいなさ。
あぁ〜!そうくるか!ってなる。
考えてみれば単純なものの寄り集まりなんだけど、
使い方によってはあれもこれも出来ちゃうよね?っていう、ね。
逆に複雑そうなものでも、よくよく見てみれば「え、これだけ?」だったり。

正直、この馬鹿は何事に置いてもそんな状態なんだと思う。
全部が全部完成してない。なんか欠けてる。
だから「これってなんでこうなるの?」という自問自答も実質答えは曖昧。
仕組みどころか、それを説明する言葉の成り行きを根底から疑ってしまう。
でも・・・
「これがあぁでこうで、だからこうなってあぁなって、そしてこうなんだよ」
といったように何段階も間に挟んでくると、根底はなくても一つ一つに繋がりが出てくる。
一つ何かが出来るようになるパズルを組み立てる過程で、
枠の部分がまだ完成してないのに、真ん中の方だけで何か出来ちゃった感じ。
どの位置に来るのかまったく分からないのに「あ、顔だ」みたいな?
しかもそれで意味が通じるし、パズルとは違って何か出来るようになるわけでしょ?
面白いじゃん。

でも心配だよね。
腕の先に顔を付けるようなことになったら・・・困るし?
組み立てるのはいいけど、パズルほどはっきりしてないものは
それで合ってる保証がどこにもないわけで。
いろいろ組み立てて、う〜んう〜んと悩んで。
結局崩して「あぁもうやっぱ何も出来ないじゃーん」になるわけです。
1つ1つのピースの繋がりから疑って疑って。崩して崩して。
それでも組み立てようとしてる自分がいるわけで。
いろんなパターンをやってみて、どれが正解か分からなくなるけど、
こうすればこんなことができるし、でも崩してこうしてしまえば・・・
を繰り返して繰り返して。
崩し続けていると、到底正解が分からない。
「合ってるって!」と言われても「え〜・・・」になる。
毎回毎回「だってこうもできるし、こうだってできるじゃん」と言い出す。
人はそれをウゼェと呼ぶ(笑)

だからオレは逆の状態が心配になる。
自分が理解するまえに何かが完成してしまった時。
確かに出来た。何か面白そうなものが完成した。
でも、なんで?と疑いにかかる。
事故で出来たものは、完成の形だけ覚えておいて崩す。
崩して組み立て直して「あぁ〜こうなってるんだ」をしないと気が済まない。
人に教えてもらったものも、これをしないと気が済まない。
「ちょ、ちょっとまって一回崩すから」になる。
「早くしろ」「はいすみません」になる。

オレを良い方へ評価してくれる人に対して、それが大いにある。
「ちょっとまて。オレまだ何も作ってないし」である。
作ってない=何かを出来るようになるパズルが完成してない=何も出来ない
もしくは。
作ってない=何かを意味するパズルが完成してない=何も分かってない
になる。
崩し続けるもんだから、常に手元はからっぽ。
いきなり使えるもの、つまり知識だったり技能なんてものはない。
やれと言われた瞬間から作り始める。
一回作ったことのあるものでも、全部確認しないと気が済まない。
「え〜っとこれをこうして、こうやって、こうすることでこれを作ったのかオレ」
をする。つまり毎回ゼロからスタート。
「ほえぇ〜?なんだってぇ〜?」からスタート。
つまり、やっぱり馬鹿。


何。その行動そのものが評価されてるということなのか?
そもそも普通って何さ?
渡されたものをそういうものとして受け止めておくってこと?
すでに出来上がってるパズルの中身を疑わず持っておくのが普通?
それを疑って崩してるから評価されてる?
いや、疑ってるんだからダメなんじゃないの?
おまけに再度組み立てるのに失敗することだってあるのにさ。
「あれ?ここどうなってたの?引っ付かないんですけど?」になりかねない。
それってかなり・・・ロスだよね(汗)
疑わずに使っていれば良かったものを・・・

ただ、それが善かれ悪かれ、オレ自信は満足は出来るかもね。
「おぉっ!?これくれんの?さんくす!」
と受け取るだけ受け取って、盛大に崩す。
どか〜ん。
で、組み立てる。
「なんだこれ。見たことないピースだな・・・」
「おっ?ここハマるじゃーん。こっちは?こっちもハマるじゃーん!」
「これ、ひょっとしてピース2つ?んじゃ崩しちゃえ」
「なんかいろいろ引っ付けたらこんなんでけたぁ〜!でも崩す。どか〜ん」
「同じもの使ってるのに、こんなんでけたし。何これ?」
「これ面白い!ちょ、これと引っ付けて・・・あ、これやべぇな。グフフフ」
そんな馬鹿を見ていた人が何故か声をかける。
「え〜何〜?まだ何も出来てないし〜」
・・・ウゼェ。

この辺りからさらに抽象表現になるかもしれん。注意。

最近はなんかこう、しっかり組み過ぎて崩せないものが出来てきた。
崩してもいいはずなんだけど、何故か崩せない。
これが正解、というわけじゃないのは分かってる。
それで出来るようになったことを気に入ってしまったのかもしれない。
「あぁ・・・なんだろな・・・これいいな・・・」
じ〜っと見てる。ずっとそんな気分である。
出来上がったものをツンツンする。その反応を見てまた満足する。
それ自体の構造は何度も崩して把握しているから、別に崩そうとも思わない。
他の部分に必要であれば崩すけど、またこの形に組み直すと思う。
なんかこう、愛着?みたいなものが出来てしまった。
ツンツン。クスクス。
なんだこれ。分けわかんね。でも満足。
はっきり言って、何に満足しているのかも分からない。
それがツンツンに対してどういう反応をしているのかも、はっきり分かってない。
複雑な反応なのか、それともシンプルな反応なのか、もう分からない。
だから気持ち悪い。

これがどういういうことになるのか、というと・・・
声をかけられた時に「え?何?これ見たいの?これ欲しい?」になりかねない。
ゼロじゃなくなる。いや、必要であれば崩すからゼロに戻ることもあるだろうけど。
それでも、そこに何かあるわけで。
自分では意図して崩せない、否定出来なくなってしまったもの。
何か分からないけど満足してしまったもの。正直怖い。
これが何なのか早く分析したいものである。
ツンツン。ねぇ?
なんだろなお前。
ツンツン。

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