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いっそ嫌われる様にしむければいい

明日あさっては休みかぁっ!
さぁオレ気合い入れろ〜無理をしろ〜!!
そしてそのまま過労死しろッ〜!!
あっはっは〜!!
というようなテンションでお送りいたします(嫌です)

相変わらず自分の行動にイライラさせられるね。
「お前それやめろ」「酷いなお前」「五月蝿い。いい加減黙れよ」
脳内突っ込み飛び交ってます。
でもそのツッコミはあくまで自分のものなので、他人ほどの強制力がないわけで。
前は自己判断だったんだけどなぁ。
間違ってる自分の否定を受け入れるのは・・・矛盾してるし。
そしてその結果が、イライライライラ。
このままでいいのかオイ。
誰だって遠慮はするんだから。
誰も素で話してなんかくれないんだから。
注意されるのを待ってちゃ遅いんだよ。
その時にはもう取り返しがつかないんだよ。
じゃあどうするんだよ。
話すことがすべてじゃない。
そうかもしれない。でもそれをどう理解する?どう解釈する?
勝手な思い込みが絶対生まれてしまう。
だったら聞けばいい。
聞かれてばっかりも嫌だ。なんで言わなきゃいけない?
お前なんかに。
・・・それもそうだ。
一人でイラついてろ。
制御も出来ずに周りを傷付けまくって、罪の重さで潰れてしまえ。
恨まれてろ。死んでしまえ。
あぁ。その通りです。
所詮「傷付けたくない」という思いすら愚かなんでしょう。
すべてすべて愚かなんでしょう。

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レポート2つ消化で残り1つ

時間感覚が変になった。
2限終了後、昼飯を喰い、レポート課題消化開始。
3時頃に一番厄介であろう市場調査のレポート課題が終わった。
波に乗って次なるレポート課題に取りかかる。
こっちはCGに関するレポート。途中までやって、時間になったので帰宅。

・・・のつもりが、1時間間違えてた(爆)

9時に帰るつもりが、8時に家に到着。
家でやるとなると、暖房器具の関係で台所で課題をする羽目になる。
周りでうろうろゴタゴタしてるからあんまり・・・ねぇ?
それでもなんとか続きをやって、今レポート書き終わったわけです。はい。
以下、なんとなくレポートの最後のページ抜粋。



 CGを緻密な計算の下で作成すれば、よりリアルなものを作ることが可能になる。逆に現実にはありえないものを作ることも可能である。だが、それはCGに限ったことではない。紙の上に鉛筆やシャーペンで描いても同様である。CGの方がより効率的に、時間をかけずに、綺麗にイラストを描ける、というだけである。そして何より、CGを使ったからといって、描いている人物そのものが変化したわけではない。
 近年、確かに優れた技術が発達し、すばらしいCGが生み出されている。しかし、それらの技術は個人個人の能力を成長させるものではなく、あくまで質のよいものを完成させる技術であることを忘れてはならない。完成した作品の質の良さに惹かれ、CGソフトの機能に頼り切った作品になりがちである。
 紙の上では緻密な計算を行うような機能を使えない。それでもCGでは表現出来ない、すばらしい作品は数多く存在する。コンピュータよりも身近であるはずの紙と鉛筆がそんな作品を作り出す道具だとするのなら、これほどすばらしいことはない。

 私はコンピュータらしさが全面的に現れているイラストはすばらしいと思う。だが、コンピュータに頼り切ったリアルな画像があまり好きではない。というのも、コンピュータの緻密さを覆い隠し、現実には無限に存在するノイズを無理に数値化し、誤摩化しながら再現しようとすることが、好きになれないのである。
 CGは人間が作ったものである。自然に生まれたものではない。何億年と積み重なった歴史の上に今の世界があり、この形に至るまでの経緯を私たちは知らない。そんな世界をCGで再現しようとすることは無謀であるとともに、未だ知られていない現実を切り捨て、無視しているような気がしてならない。そして、切り捨てられている現実の内容には、作者一人一人の個性も含まれているような気がするのである。
 シミュレータのようなものでない限り、CGを描くのは人間である。CGソフトには確かに、質のよいものを作り出す機能を求められる。同様に、人間に求められるのは独創性ではないだろうか。



・・・結論。とにかく読みにくい(笑)
そして言ってることが意味不明。「だから?」「んで?」である。
でもってクセ出過ぎ。「ような」とか「もの」とか「こと」とか多すぎ。
修行が足りん。出直せ。
はいすみませんむしろもう出ないんで許して下さい...orz

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正しさは堂々巡り

足が痛い。
背中も痛い。
そして・・・も痛い。
どこもかしこも痛い痛い。
でも痛くないよりはいい。
痛くなくなったら、それはそれで狂いそうだ。

誰であれ誰かに話しかけられると、どうしても動揺する。
「よっす」程度ならいい。その後に対して会話は必要ない。
でも話を振られると返事に困る。何を言えばいいのか分からなくなる。
適当にギャグにして強制終了が定番。
でも意見を求められると、もうどうしようもない。
「○○やったら○○やったで」と、実際あったことをそのまま返せたらいいところ。
・・・こんな話なら今更だ。
いつものことだし、心配するほどの問題じゃない。これで困るのは自分だけだ。
何が問題って、最近自我がある発言が多くなって来たということ。
「○○って○○やろ?」とかいう勝手な推測。
「自分は○○やから」とかいう自分主張。
そういう言葉がぼろぼろ出る度にイライラする。
そんな根拠のないこと言うな。
間違いだらけの自分の情報を他人に与えるな。
馬鹿のくせにお前の意見なんか聞きたかねぇよ。
イライライライラ。

でも、それを止める段階までたどり着けなくなって来た。
「教えて」と言われてしまった限り、前例だけでは説明出来ない。
その例をどう解釈するのかを説明しなければならない。
「ここはこうする」という根拠が絶対必要になる。
でも自分はその根拠を知らない。
自分がそうだと思っているだけで、それが「正しい」と言えるはずがない。
正しいかどうか分からない内容を押し付けるわけにはいかない。
でも「教えて」と言われてしまう。
「嫌だ」という気には到底なれない。
それはその人の助けの声だということには違いないのだから。
助けを求めなければ辛い状況だということには違いないのだから。
だから確認しにいく過程が出来てしまった。
「先生、これってこれで合ってますか?」
「うん合ってるよ」
確認が取れたら教える。その内容に関しては正しいことが判明したから。
・・・そうなると究極的に気持ち悪い。
いや、「教えて」と言って来た子に関しては問題が解決出来る。
ちゃんと理解出来たなら、その子は満足出来るはずだから。

でもオレ自身はそうはいかない。
そこに「理解している」という事実が発生してるのだから。
「正しい」というものが提示されてしまっているから。
違う結局自分は分かってない。
というものの何を分かってないのか、と聞かれると、
「何故これが正しいのか分かってない」と言ってしまう。
「正しい」と証明してもらったことに対して疑問を持つ。
じゃあ「正しい」の「正しい」理由を説明?
結局堂々巡り。
それでも結果は「正しい」らしく。
何事にも僅かな可能性は存在し、実現出来ないとは言い切れない、とは思うが。
事実があったとしても、間違っている可能性がないとは言い切れない、とも思う。
前者は今まで何度か言ったことがあるけども、
解釈を逆にした後者のような言い方をするのは初かもしれない。
だとするなら?
僅かでも、それが間違いなら押し付ける気にはなれない。
という話。
それだけなんだけど、相変わらず長文。

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甘えも哀れみも必要ない

何事も、工程は意味を成さない。意味を成すのは結果のみ。
いかなる場合であっても、結果が求めたものでないのなら、意味を成せない。
いくらどんな経緯でその結果に至ったかを語っても、結果と言う事実には勝てない。
それは単なる言い訳だ。
もし言い訳をするのなら、それは何なる甘えだ。
もし言い訳が許されるのなら、それは単なる哀れみだ。
そして何も残らない。何も得られない。
すべてが崩れ落ちる。
完成出来ずに終わる。

自分の中で完結出来る内容だったとしよう。
甘えるのも哀れむのも、自分だ。
そして結果を得られないのも自分だ。
結果にたどり着けなくて、恨まれるのも自分だ。
それによって悲しむのも自分だけ。
他人は、その結果の真の姿を知らないのだから。

誰かに頼っていたとしよう。
甘えるのが自分なら、哀れむのは他人だ。
甘えるのが他人なら、哀れむのは自分だ。
哀れむことなど許されず、結果を求め続けたなら?
甘えの許されないものならば?
結果を得られないのは、自分であり他人だ。
憎まれるのは、甘える者。
悲しむのは、哀れむ者。
結果を導けなかった、甘える者は罪を負う。
結果を導くという約束を破った、と。
哀れむ者は、自分を責める理由を持たない。
出来なかったのは自分じゃない。アイツだ。
アイツは出来ると言ったのに、本当は出来ないんじゃないか。
嘘つきはアイツだ。悪いのはアイツだ。アイツのせいで。アイツのせいで。
それが妥当な思考。それが事実。だからこそ、甘える者は罪を負う。
結果はやり直せない。
もう一度、は次。本当に欲しかった「その時」は帰って来ない。

罪を償うには?単純に考えてみなよ。
やり直しが出来ないなら、本当の償いはやって来ない。
結果は永遠に続く。そして消えない。
永遠に恨まれる。永遠に悲しむ。永遠に、永遠に。
それが事実なら、逃げるという選択肢は存在しない。
自分じゃない他人は自分のように逃げたりしない。
恨み続ける。消えない。消えない。
その事実にずっとずっと抉られることが、せめてもの償いじゃないか。

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絶賛予定詰め詰め中

背中痛いっす。
姿勢悪いからかのう?
それとも歳かのう?(ちょっと早くね?)
ん〜・・・だるい。

酷い。
レポート提出は掲示されていた日だと思ってたのに。
テスト期間は休みなのに、出しに行くわけ?と思ってた矢先。
提出日変更。
おかげさまで1週間の間にレポート3つ提出決定。
その周の月曜には3つの講義でテスト、水曜は2つ・・・まあ実質1つだけど。
それにしたって・・・鬼だ...orz
まあ、順番にやればいつか終わるさ。
・・・多分。
あぁ・・・だるい。

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