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一理有り

なるほど。
言われてみたら確かにそうだ。
ここで言う完全はオレが目指す夢であり、この世の完全とは別物。
だが完全は完全。
この世でオレが生である限り、オレが完全を名乗ることなど有り得ない。
常に不完全で、常に何かを知り、常に完全を目指して時を過ごす。
すべてを知ったとき、それは完全と言えるが、事実として存在せず、ただ言えるだけ。
永遠に不完全・・・?
いや。
知ることができなくなったとき、それは完全になったと取ることもできないだろうか?
自分の中だけの話であり、リアルタイムな世界に通用することではないが、
知ることがなくなり、時間は止まり、すべてが完結する。
つまり死。
死ぬことによって自分が完全となる、という考え方。
いや、だから完全というのは自分の中での話だがね。
最後に死を知り、それによって自分が完全となる、といえばそんな気もする。
死んだら仏になるとはこういうことか?

だからといって速攻で死んだところで満足してないならそれは不完全かもね。
満足した・してないがあって、今を常に生きようとする人はオレは欲まみれだと思う。
けどそれによって完全に一番近づけるのもオレは人だと思う。

まぁ。いいや。
人に死ねと言うのも生きろと言うのも、意味を踏まえればどちらも悪くないかもしれない。うん。
馬鹿の独り言。

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