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ブログ日記のようなものPAGE | 1661 1662 1663 1664 1665 1666 1667 1668 1669 1670 1671 | ADMIN | WRITE 2006.09.23 Sat 22:23:00 なんか長いよ「我が道を行く」
と聞くとカッコよく聞こえなくもない。 でもそれは自己中と紙一重らしい。 不要なら捨てろ。 狂いがあるなら直せ。 負けたくないなら勝て。 不完全なら完全を目指せ。 そこに何があろうと求めるものがあるなら行動しろ。 無駄などいらない。 恐怖?哀愁?後悔? そんなものどうでもいい。 止まる必要もない。 歩くなんて生温い。 走ればいい。全力で。 そしてすべてを自分色に染め上げろ。 満足行くまでこの人生を塗り潰せばいい。 さぁここで見回してみる。 世界には自分がいる。 でもそこには「自分以外」も当然ある。 自分が自分であるほど「自分以外」は自分に侵食される。 自分は常に「自分以外」を喰らってここにいる。 「自分以外」には自分にはない何か可能性を秘めている。 自分が正しいと思うことが「自分以外」には正しくなく、 自分が「自分以外」にそれを押し付け正しくしたところで、 「自分以外」は支配され可能性を失う。 いや。 自分は生きているだけで既にこの場所を喰らっている。 自分に価値も理由も見い出せず「自分以外」の可能性に賭けた場合、 自分は常に侵食することを避けなければならない。 そして遂には自己の消滅へ行き着く。 が、消滅しきれず残った時、自分は必ず常に何かを喰らっている。 そして「自分以外」であることを望んでも、 それはただの事実否定となり消えていく。 消滅と可能性の葛藤に常に巻かれている。 自分に絶対自信がある場合、自分は「自分以外」を喰らい尽くす。 自分が完全であり完璧であるのなら、 「自分以外」も完全である自分色に塗り潰す。 可能性を求めるまでもない。自分が完全なのだから。 だが「自分以外」を隅から隅まで塗り残しなく塗り潰すというのは不可能だろう。 自分はその無力さを憎み「自分以外」に当てる。 だが不可能は不可能のまま変わらない。それは変わらぬ事実。 その不可能を可能に出来たかも知れない「自分以外」の可能性は、 既に自分色に染めあがった後。 そして自分は「自分以外」を作り出すことは出来ない。 何故なら自分は神ではないから。 「自分以外」の可能性を信じ過ぎると自分を消滅せざる終えなくなる。 自分の完全を信じ過ぎると事実にぶち当る。 可能性を信じ過ぎると事実を否定してしまう。 事実ばかりを見ようとすると可能性を見失ってしまう。 物事にはバランスが大切らしい。 だが目指すものはやはり完全らしい。 最善であっても完全にはなれない。 それは事実。事実は変えられない。 そもそも完全でなくてはならないのは何故だ? 何故完全を目指す? それは満足出来ない人の欲か? 不完全でもいいだろう? そこからまた可能性が見い出せる。 汚れている。汚れをすべて取ろう。 いびつな形。なら真っ直ぐ直線にしよう。 不健康。なら健康にしよう。 死にそうだ。なら治療しよう。 悲しい。なら楽しもう。 寒い。なら温めよう。 辛い。悲しい。痛い。寒い。狭い。醜い。怖い。 すべてを無にしようとする。負のない完全を目指す。 嬉しい。楽しい。幸せ。暖かい。広い。美しい。心地いい。 すべてを有にしようとする。正という完全を目指す。 もういいだろう。 そんなに他者を喰らって何を求める。 欲に汚れている今の人々は常に完全というものにすがりつく。 何が気に食わない? 自分は常に不完全だろう? 完全というものを見上げて「自分以外」を踏みにじって無視しているのは自分だろう? 自分は「自分以外」になれないように「自分以外」は自分にはなれない。 「自分以外」は自分でありたいと願ってはいなかっただろうか・・・ 何故自分達は自分達しか見れず、その思いを「自分以外」には向けられない? 違う。向けてないんだ。それだけなんだ。 ほらまた消えた・・・ 自分は人工。「自分以外」は自然。 人工が消えればいいとはもう言わない。 だけど自然が消えればいいワケじゃないだろう? オレ達は喰らい過ぎた。 負があってももういいだろう? 今度は喰らわれなきゃな。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |