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理解なんてできやしない


はぁ。
他人の求めないものに存在価値はない。
意に添わないものがそこにできあがってしまったことに、
どんな事情があったとしても、すべては言い訳。
そして自分勝手な文句。
他人から見れば、それは必要としない、あるだけ無駄な、邪魔でしかない、存在。
それが先に繋がらないのであれば、尚必要ない。
そう。
『しなければならないこと』に沿わないものは必要ない。
それは『しなければならないこと』をしたことには決してなり得ない。
趣味の範囲であれ、ノルマとして与えられた課題であれ、
求められていないものに沿わないものは、求められていないのだから、
存在するだけ無駄、むしろ邪魔だ。
初めてだから。
慣れてないから。
そもそもできるはずがないから。
そんなものはすべて、できなかったことへの言い訳だ。
初めてだけど、慣れてないけど、やれるだけのことはやった。
それすら言えないものは先すらない。必要のない、ゴミだ。

誰かの指示に従い、何かを成そうとしたとき。
その人が自分を求めないのであれば、自我はそこに必要ない。
むしろ邪魔なものだ。それこそ駒のごとく使われるべきだ。
いかに『自分には誰かを理解できない』と言えど、
果たさなければならない目的の前では、すべて言い訳だ。
成すべきことは、その人が求めるものを創り出すこと。
それに沿わないものは、どんなに時間を裂こうが、思い入れしようが関係ない。
存在価値がない。
そして。
もし目的を成せなかったのなら、責任は誰にある?
言い出した誰か本人か?
違う。
その人から請け負った自分の成すべきことに関しては、
間違いなく自分に責任がある。
言い出した本人に責任があるのなら、最初から本人が
すべての責任を持って、すべての事柄を成すべきだ。
責任から言い逃れるぐらいなら自決しろ。
・・・というのは自分論。
他人にとっては決して通じるものじゃない。

一番困るのは、この状態が二重三重になったとき。
誰かが自分のために、何かをしてくれた。
自分はそれを喜ぶこともできなかったし、礼も言えなかった。
誰かがそれを見て悲しんだ。挙げ句、怒った。そして拗ねた。
逆もまた然りで。
自分が誰かのために何かをしたところで、誰かは喜んでくれるとは限らない。
自分の『他人のために』はすべて押し付けだと思っているけども、
他人は決してそうは思ってない。
そうなってしまったとき、何が悪い?
誰かが自分のために何かをしたこと?
違う。
確かに自分はそれを嬉しいとは思わないとは言えど、
自分のためにしてくれた事柄であると解釈しておきながら、
礼も言わずに放置した自分が悪い。
ただ。
思ってもいないことを言うのは、どうも称に合わない。
そして怒らせる。拗ねさせる。
今日の晩飯に豪華カニ料理を用意してくれた親のように。

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