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ブログ日記のようなものPAGE | 2210 2209 2208 2207 2206 2205 2204 2203 2202 2201 2200 | ADMIN | WRITE 2009.11.22 Sun 23:34:46 理解なんてできやしないはぁ。 他人の求めないものに存在価値はない。 意に添わないものがそこにできあがってしまったことに、 どんな事情があったとしても、すべては言い訳。 そして自分勝手な文句。 他人から見れば、それは必要としない、あるだけ無駄な、邪魔でしかない、存在。 それが先に繋がらないのであれば、尚必要ない。 そう。 『しなければならないこと』に沿わないものは必要ない。 それは『しなければならないこと』をしたことには決してなり得ない。 趣味の範囲であれ、ノルマとして与えられた課題であれ、 求められていないものに沿わないものは、求められていないのだから、 存在するだけ無駄、むしろ邪魔だ。 初めてだから。 慣れてないから。 そもそもできるはずがないから。 そんなものはすべて、できなかったことへの言い訳だ。 初めてだけど、慣れてないけど、やれるだけのことはやった。 それすら言えないものは先すらない。必要のない、ゴミだ。 誰かの指示に従い、何かを成そうとしたとき。 その人が自分を求めないのであれば、自我はそこに必要ない。 むしろ邪魔なものだ。それこそ駒のごとく使われるべきだ。 いかに『自分には誰かを理解できない』と言えど、 果たさなければならない目的の前では、すべて言い訳だ。 成すべきことは、その人が求めるものを創り出すこと。 それに沿わないものは、どんなに時間を裂こうが、思い入れしようが関係ない。 存在価値がない。 そして。 もし目的を成せなかったのなら、責任は誰にある? 言い出した誰か本人か? 違う。 その人から請け負った自分の成すべきことに関しては、 間違いなく自分に責任がある。 言い出した本人に責任があるのなら、最初から本人が すべての責任を持って、すべての事柄を成すべきだ。 責任から言い逃れるぐらいなら自決しろ。 ・・・というのは自分論。 他人にとっては決して通じるものじゃない。 一番困るのは、この状態が二重三重になったとき。 誰かが自分のために、何かをしてくれた。 自分はそれを喜ぶこともできなかったし、礼も言えなかった。 誰かがそれを見て悲しんだ。挙げ句、怒った。そして拗ねた。 逆もまた然りで。 自分が誰かのために何かをしたところで、誰かは喜んでくれるとは限らない。 自分の『他人のために』はすべて押し付けだと思っているけども、 他人は決してそうは思ってない。 そうなってしまったとき、何が悪い? 誰かが自分のために何かをしたこと? 違う。 確かに自分はそれを嬉しいとは思わないとは言えど、 自分のためにしてくれた事柄であると解釈しておきながら、 礼も言わずに放置した自分が悪い。 ただ。 思ってもいないことを言うのは、どうも称に合わない。 そして怒らせる。拗ねさせる。 今日の晩飯に豪華カニ料理を用意してくれた親のように。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |