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ブログ日記のようなものPAGE | 2483 2482 2481 2480 2479 2478 2477 2476 2475 2474 2473 | ADMIN | WRITE 2010.08.21 Sat 21:11:02 ないってないよね『ない』とは何か。 その定義が存在するとき、それは本当に『ない』なのか。 定義が存在する。 その時点ですでにそれは『ない』ではない、かもしれない。 だって存在しているじゃないか。 『ない』という形が。『ない』という器が。 だから本当は。 『ない』は、ないかもしれない。 すべては存在している、かもしれない。 それはどういうことか。 プログラム的に言えば『0』と『null』みたいなこと、で説明できるんじゃないだろうか。 いや、別にプログラムが分かる人にしか分からないような 内容で話したいわけじゃないから、もっと抽象的に話そうとは思うけど。 かなりの勢いでイメージだよ。OK? 例えば。 箱の中に番号が書いてある紙が入っていることが決まりである、としよう。 この状態で最初のことを大まかに説明してしまえば。 『0』とは、箱の中に0と書いてある紙が入っていること、だ。 『null』とは、箱の中に紙すら入っていない状態、 もしくは紙が入っていても何も書いていない状態のこと、だ。 だからどうした、というところが大事なんだけどね。 どう大事なのか。 最初に言った通り、現状では 『箱の中に番号が書いてある紙が入っていることが決まり』 だ。 つまり、0と書いてある紙が箱に入っていれば、それは決まりに従っていると言える。 でも、紙がない、あっても何も書いていない、ということは決まりに従っていない。 その決まりの中にいる限り、有り得ないことだ。 でも、決まりに従っていない、ということをとやかく言わなければ、別にそれは何の問題もない。 『null』であろうが問題ない。 ただ、それ自体をどうすることもできない。 どういうことかというと。 決まりに従って何かが動作している時。 決まりに従っていないことに対しては、その決まりに従った動作ができない。 だからどうすることもできない。 そういうことだ。 もっと具体的な例を出してみようと思う。 例えば。 「あの箱の中の数字と、あの箱の中の数字を足してくれ」 と言われた時。 そこに数字があることは大前提だ。 でも、『null』にはその大前提が通用しない。 だから実際に何か作業をしようとした時。 作業をしようとした誰かは『null』に遭遇した瞬間、硬直する。 「え・・・何これ・・・」状態である。 足すにも足せない。そんなときどうするのか。 もし「そんなときは『0』として考えてくれ」と言われたなら、問題ない。 0ともう一つの数字を足せばいいんだから。それは可能だ。 ただ、忘れてはならないこと。 それは最初、『0』ではなかった、ということ。 今行った作業は『null』の入った箱に対して行ったのではなく、 『null』だったから『0』として扱った、のだ。 結局、今作業に扱ったものは『0』であって『null』ではない。 決まりの中では『null』そのものをどうすることもできない。 仮の何か、『0』に置き換えるとか、そういうことをするしかない。 これが言っていた大事なところだ。 あぁ。まだ何が大事か分かりづらいから、作業としてやったことを整理しよう。 本来、2つの箱の中身が『null』と『3』だったとしよう。 何も書いていない紙と、3と書いてある紙が入っていた、としよう。 本来しなければならなかったことは『 (null)+3』だ。 こう書かれていた時どうするのか、というのが大事なところだ。 このままじゃあどうすることもできない。 今求められているのはこの式の答えだ。 でも、勝手に数字を入れてしまえば、それは答えにはなり得ない。 そこが空白だからって、1やら4やら勝手に数字を入れて解いて丸がもらえるわけがない。 かといって、この世に存在する全ての数字を入れてしまえば、最早『答え』とかいう概念では済まされない。 だから新しく決まりを作る。 「『null』だったら『0』として考えろ」 『0+3』。これならできる。3だ。 でもそれはもう『null』じゃない。『0』だ。 『null』の時、あんなに悩んだのに、『0』はそんな悩みなんかない。 というか、そんなところで悩んでいたら、話が進まない。 そう。 進まないんだ。 さあ最初に戻ろうか。『ない』とは何か。 その定義が存在するとき、それは本当に『ない』なのか。 そう。「ない」と口で言うのは簡単だ。 でも、『ない』の定義は口で説明できないはずなんだ。 もし説明できてしまったら、それはすでに『ない』じゃないだろう、と。 今、自分たちが生きている世界。 ここで起きていることすべて、一応原因はあるはずなんだ。 ただ、その原因を知るだけのことが、自分たちにできていないだけ。 その原因が結果を招く。結果、自分たちは生きている。世界が存在している。 今この時。全ては進んでいる。進んでいるんだ。 じゃあ、進まないなんてことあるはずがない。 今が進んでいる限り、『ない』なんて、あるはずがないんだ。 もし『ない』があるのなら。 大きな決まりの中で動いているこの世界はフリーズしてしまう。 もしあったとしても、仮の何かに置き換えている。そういった処理がどこかに入っている。 それが『ない』の定義なんじゃないのか? その定義そのものが、置き換えなんじゃないのか? という疑問なんだ。 でも、『ない』はないわけじゃない。 そういう現象自体は、あるのかもしれない。 ただ、今、こうやって生きている限り。 遭遇するはずのない出来事なんじゃないだろうか。 今、進み続けている世界。原因が結果を生み続けている世界。 その中では『ない』は存在できるはずがない。 手が届くものじゃない。 見えるものじゃない。 分かるものじゃない。 宇宙とか、そんなものを凌駕するほどに。 遠過ぎる、いや、遠いなんて生温い。 本当に。ない。ないんだ。自分が生きている限り。どこにも。 自分が決まりに従って進み続けている、生き続けている限り。 出会えるはずのない、出来事、物事、なんだ。 それが本当の意味での『ない』じゃないのか? という、ね。 オレはそれがとても悲しい。 従いたくもない決まりに従っているから。 自分は『ない』に触れることができない。 見ることも聞くことも嗅ぐことも、感じることができない。 まるで身近なものなのに。 きっと、何かがそこにあるために、なければならないもの、なのに。 その決まりを作りだした時、生まれてしまった歪みがそこにあるはずなのに。 自分は手が出すことができない。 それはとても。悲しいこと。だと。オレは思う。 誰かが言った。 本当の『ない』には全てになり得る可能性がある。 何か一つあれば、それが満ちる。それが全てになる。それが世界になる。 凄く。凄く。些細な物事。それが世界になる可能性を秘めている。 素敵なことじゃないか。 今、自分が何かの決まりに縛られて。 『ある』ものでしか何もできないことより。 ずっとずっと。大きな夢が。そこにある気がする。 いや、『ある』ことも素敵だよ。 ただ、それに満足していいのか、分からないんだ。 それこそ。 決まりが生み出した歪みで生まれることの叶わなかったものが生まれる可能性が。 今決まりの上で成り立つすべてを止めてしまう、壊してしまうほどの大きな可能性が。 そこにある気がする。 それは今ある決まりからすれば、絶対悪だと思う。 でも。 決まりに満足できなくなってしまった。 決まりが奪っていった可能性を見てみたいと望んでしまった。 これは大問題だよ。 いやホント。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |