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まさに無知の知



よくあることだった。
癖というか、欲というか。
それぐらい頻繁なことだった。
何がって。
まあ。説明するのも気が引ける内容なんだけど。
説明しないと話が進まないから説明。

突然、まるで幻聴のように。
「おいで」
と聞こえることがよくあった。
そう聞こえる時っていうのは、絶対自分一人しかいない時で。
聞こえると、ビクッてなる。
そこからはいつも、その声に誘われるがままに、
自分の意識が遠退く感じがする。
ずるずると、何処かへ落ちていく。

その声が誰の声か、分からなかった。
というか、そこに自分しかいないんだから、
その声も自分なんだろう、と考えるのが普通だった。
でも、それは冷静に考えた結果でしかなくて。
心の中では、どこかでその声を神の声だと、理由もなく感じていた。
当然、ここで大きく反発する。
んなわけあるか、と。
元より自分のことなんか大嫌いなのに、そんな声が聞こえて、
『オレスッゲー!!』なんて。
『うわー。キモ。』である。

だから意識が落ちながら、いつもまずは、その声がなんなのかを考える。
『自分の声なんだろ。自分の独りよがりなんだろ』
と、思いつつも。
『自分の意識から遠いそれを自分だと言うには証拠が必要だ』
となって。
馬鹿馬鹿しい心の中の感覚に、その証拠を突きつけてやろうと躍起になる。
だから必死に考える。
でも、そうやって考え始めることが、どこかへ落ちていく原因だっていうことを。
どこかしら感じてはいたのだけども。

落ちていく中では、いろんなことを考える。
その声が自分の声だ、ということを証明するために、
自分の中から洗いざらい吐き出す。
そこで一番大きく占めるのが、自分に対する自分の考え方。
『世界には本当は自分がいない』ということ。

正確には、自分の考え、自分の想像、自分の感情、まあいろいろ、
自分は感じ取っているけども、その全てが自分の中で完結していて、
世界そのものには存在していない、ということ。
確かに、自分の中のそういったものから、自分が行動を起こすことはあるけども、
それはただのきっかけでしかなくて、決してそのままの形で世界に現れることはない。
何かに置き換えられて、そこにあるかのように見えるだけ。
結局、本当の自分は世界にはない、どこか歪んだ自分なら、あるかもしれない、
…という結論を。ぐるぐると見直すかのように考える。

その考えがきっかけで。ものすごーく虚無感はあった。
でも、それは決して苦しいことじゃなくて、むしろいいことだと思っている。
なんでって、少なくとも自分がその考え方にものすごく納得できるからだ。
だからいつだって何かをする度に、
『自分は本当はこう思っているけど、そのまま世界に曝け出そうとしても無理だな』
なんて思ったりする。
ただ、本当に自分がそこにいないのか、と聞かれれば、どこか嘘になる。
世界を感じている自分がいる。
それは世界に自分が存在している証拠じゃないのか、とか。
とか。とか。とか。

まあとにかく。
その声をきっかけに、なんだか自分のことについてひたすら考える。
で、ハッと気が付いた時には、もう遅い。
自分で考えていると思っていたのに。
いつの間にか、その問いをしているのが、その謎の声だったりする。
謎の声は、自分の考えなんかを超越して、ひたすら質問してくる。
「なんで?」
「どうして?」
「本当に?」
その問いに答えようと必死になる自分。
そうやって考えれば考えるほど、そっと笑うかのように、そこに何かを感じ始める。
罠と言わんがばかりに、その声に引き寄せられていく。
何かが近付いてくる。
何かのそばへ、自分が落ちていく。

いつもの話はここまで。
いつもはこうやっていろいろ考えていくうちに、寝てしまう。
なんだかもう、自分の意識が完全に持っていかれてしまう。
意識白濁。そのままグッスリ。
いつもはそうだった。
でも昨日は、その先へ行ってしまった。


昨日はその声の問いに対する答えが異様にでた。
元々あった自分の考えも、そのとき自分が出した答えが塗りつぶしていく。
こうだと思っていたのに、考えてみれば、本当はこうだった。みたいな。
ただ、その答えが的を射ていないか、といえば違う。
逆に射を過ぎてる。否定できない。文句が言えない。
まあ前からそういうことはあったけど、昨日はその量が半端なかった。
そのまま自分の考えがグチャグチャになっていく。
そしてあろうことか、心でそれが神の声だと思っていた感覚が大きくなって溢れる。
否定するつもりが、否定できなくなる。
残った自分の考えは、もうただの足掻きでしかない。
「やめろ」
「違う」
「黙れ」
弱々しい否定の言葉しかでない。

否定したいがあまり、足掻きでも考える。
ありえない。そんなことはありえない。
でも、そこ止まり。考えが空回りにしかならない。
ずるずると声に引き寄せられて、挙げ句また問われる。
「どうして否定したいの?」
否定したいんじゃない。だってありえないじゃないか。
自分はただの人間で。あぁ、人間なんだろうか。
その証拠すら、自分は知らない。
弱い弱いゆるいゆるい考えが霞んで。
ついにトドメをさされた。

「どうしてそんなに考えるの?」

長い間、いろんな問いをされてきたけど、この問いは初めてだった。
いつも以上に戸惑った。
どうして考えるんだろう。
どうして問われたこと全てに答えようとしたんだろう。
どうして考えたくなってしまうんだろう。
あれ。おかしいな。考えている自分は、ここにある。
あぁ、世界にはないかもしれないけど、自分はここにある。
自分はそれを知ってる。知ってる?いやまてよ。
考えるということは答えが『ある』ということ。
自分は答えは必ずあると、どこかで思ってる。
答えはあると知っているから、諦めずに考える。
じゃあ今問いかけているこの声はあるの?
その声が誰かを考えて、その答えは本当にあるの?
この声の主は、何も知らない。だから聞いてくる。
自分はその声の主を知らない。自分かどうかも分からない。

この声の主は、世界にも、自分の中にも、ない。

ここで、自分の出した結論に、一気に血の気が引く。
…あぁ。そうか。
自分はある。あるから考える。あるからこそ答えがある。
でも、その声は、ない。ないから、答えもない。
そして、ないがままに、聞いてくる。
何も知らない、何もないから、聞いてくる。
もし、そこに何かあったなら。
きっとそれはそこで止まってしまう。
その答えが、終わりを作ってしまう。
でも、答えがないから、終わりがない。
それなのに自分は考えた。
いろんなことを考えた。いろんなことに気付いた。
本来なら考えもしないことを考えるようになった。
自分の中に、いろんなものが溢れた。
一つ、確固たる答えが、出る。

あぁ、神は、本当に、無なのか。

無ゆえに、可能性が生まれた。
無ゆえに、いろんなことを考えさせられた。
あれでもない。これでもない。
その無がなんなのかを理解しようとして。
ひたすら考えた。
そして自分は。
考えたが故に、いろんなことを知った。
考えたが故に、いろんなことを手にした。
神は、間接的に、自分の中にいろんなものを産み落とした。
神は無い。でも自分は有る。
『無』を追い求めていくうちに、自分の『有』は『無限』に触れて、ふくれあがった。
末恐ろしい事実だった。

その事実を事実と認めた自分の中へ、神はいよいよ巣くいだした。
元より、自分が世界にとって0であり、その0が自分にとって、
不完全ながらも神だ、とは思っていた。
でも、その考えすら呑み込んで、本当の無が、自分の中にやって来た。
自分が0だと思っていた時と決定的に違うこと。
それは、自分のすべてが無だと思い、自分の有を否定してきた状況と、
自分が有だと認め、それとは別で、どうしようもない無がそこにある、ということ。
自分は有だから、無についていろいろ考えられる。
本当に自分が無だったら、きっと考えることすらできない。
そんな結論が。
今、心にあった為体の知れない感覚のそばにある。

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