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答えを創る行為


やろうと思えばできる。
それは幸せなことだ。
でも正しいだろうか。
やろうと思えばできる状況というのは、
非常に多くのものを犠牲にしているように思える。
それを理解しなければならない。
放置にしていいことじゃない。

また自問自答をした。
自分の願い。自分の思い。
まったく異なる次元にある現実。
問いつめて問いつめて出した答え。
それを実行するに至る、その過程で。
自分の中の誰かが泣き、拒む。
理由を聞いたところで答えてくれない。
いや、答えてくれてはいるのだけども、
どう聞いても理由にはなり得ない。

そのことを伝えると、こう言われた。
理由がなければ否定するのか、と。
また、こうも言われた。
自分が思う本当の悪が生じる瞬間と言うのは、
自分を許さず、世界を決めつけたその先で、
未熟にも見出した答えを決行することだ、と。
確かにそうかもしれない。
理由がないことを理由に否定はできない。
そこにあるのはただ正しいか正しくないかの選択だけだ。
それに未熟な答えを決行するにあたり、
生じた歪みを無視し続け、強行することは、
悪といってもいいことなのかもしれない。

考えることは許されたとしても。
答えを定義することは罪なのかもしれない。
いや。
ゆるくゆるく定義された中で存在するものも、
それ相応に機能し、輝いている。
創るとはそういうものなのかもしれない。
すべてが突き詰めれば崩れてしまう、淡いものなのかもしれない。
罪ではないとはいえ。
それが絶対的なものになることはないのだということだけでも、
理解しなければならないだろう。
答えは創るものであり、出来上がったものは完全を騙るには脆いものだ。
オレは自分がそんな答えを創り満足してしまっているということを、
今一度思い考え直すべきなのかもしれない。
オレは何も知らないと言うことを、自覚しなければならない。

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