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ブログ日記のようなものPAGE | 2780 2779 2778 2777 2776 2775 2774 2773 2772 2771 2770 | ADMIN | WRITE 2011.06.15 Wed 21:52:00 自分の思いから自分が思う正しさは、正しくない。 絶対正しくない、とは言わないが。 絶対正しい、と言えないのは確かだ。 だから自分を信じてはいけない。 自分はあくまで「何かを構成する、そのうちの一人」だ。 存在否定ができなくとも。 絶対肯定もできない。 今日は。 たくさんの罪を犯した。 それはもう、たくさんの。 誰かの心を傷付けただろうし。 誰かの時間を奪っただろうし。 誰かの可能性を奪っただろうし。 誰かの思いを壊しただろうし。 それはそれは、数えきれないほどの罪を、犯した。 だから、その罪を自覚して。 いつものように、償いと称して自分を蔑もうとした。 なのに。何故だろう。 それは自分を破壊するための行為で無くなりつつある。 これは最早、願いだ。 誰かの心が傷付いたのなら、その傷に意味があることを願い、 誰かの時間を奪ったのなら、その時間に価値あることを願い、 誰かの可能性を奪ったのなら、新たな可能性が生まれたことを願い、 誰かの思いを壊したのなら、その思いが消えずに報われることを願う。 その願いを叶えるための努力を自分に強いて。 その先で自分の無知さを嘆いて。 それでも願って。願って。 「どうにかしたい」と。強く強く、願う。 自分が、そうだったのかもしれない。 「当たり前」という言葉で無理矢理生かされ、 「当たり前」を理解できない自分が隔離され。 知ったかぶりを重ねて。本当はなにも知らないのに。 本当はもっともっと、たくさんの思いがあったのに。 無視して。捨てて。殺して。 それが悲しくて、苦しくて、悔しくて。 それでも自分は無知だから。 せめて無知でなく、人としてしっかり生きている人が、 そんな悲しみも苦しみも悔やみも、感じなくなればいいと。 思っているのかもしれない。 自分なんかにどうにかできる問題ではない、としても。 誰かが「当たり前」という言葉に振り回されることなく。 その人として、ありのままに生きていけることを。 願っているのかもしれない。 人間不信になって、自己嫌悪に陥って、 無知で無力で口だけの人間で、誰かに認められるだけの 存在価値もない自分には、できないから。 せめて。 誰かにはそんなつらさを、味わって欲しくない、のかもしれない。 まあでも。 自分を救えないのに、他人を救えるわけがない。 願いはただの願いでしかない。 無力に変わりはない。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |