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ブログ日記のようなものPAGE | 2800 2799 2798 2797 2796 2795 2794 2793 2792 2791 2790 | ADMIN | WRITE 2011.07.05 Tue 23:08:58 世界のはじまり考えること。考えることができること。 それは幸せなことだ。 でも。 何故考えるのか。 「考える」ということそのものは一体どういうことなのか。 分からないことが多過ぎる。 実は何も考えていないのかもしれない。 「考える」と「思い出す」は違う。 「考える」は何かを知らないとできない。 かといって。 知っていることに対して、「考える」はできない。 それはもう「思い出す」でしかないから。 何かを考えるとき、そこにはまだ結論はない。 結論は考えてから出てくるものだ。 知っていることを組み合わせて、結論を創ること。 「知っている」を組み合わせて 「知らなかった」を「知っている」にすること。 それがいわゆる「考える」かもしれない。 なら。つまり。 「知っている」以外に、「知らない」がなければ「考える」はない。 「知っている」ってなんだ。 それは。とても。上辺だけのもの。じゃないだろうか。 本当は誰も知らない。でも、実行結果だけ見たことがある。 そう。それはただ「思い出せる」だけのもの。 記憶の中のもの。 あるものは、見て触れて感じたもの。 あるものは、考えた先に見たもの。 知識は。 感じて得るものと、考えて得るものがあるんじゃないだろうか。 その深さ、広さは、誰も知らない、本当の世界。 可能性に溢れた、もう一次元上の世界。 実行結果ではない、処理の世界。 理由、原因、起源の世界。 その世界が許す限り、世界は可能性に溢れている。 だから創れる。 今はない結論、結果も。創り出せる。 それが夢。それが理想。それが目標。 感じることだけがすべてじゃない。 考えることで到達できる場所がある。 でも。逆だってそうなんだろう。 考えるだけじゃだめで、感じなきゃ届かないことだってある。 ことの始まりは感じるところから。 考えて、その先で感じて答え合わせ。 考えて、その先で創り出す。そしてまた感じる。 それはまるでプレイヤーとゲームの関係のように。 確かに違うもののはずなのに、 ゲームの世界が世界として存在するために、 決して欠けてはいけないもの。 ・・・今。こうやって。考えているとき。 オレはすごく、不安になる。嫌になる。 本当は知らないのに、知ったようなフリをして。 マガイモノの知識を積み重ねて。 知ったかぶりをする自分。 なのに。どうしてだろう。 微笑まれている気がする。 きっとこれは「世界」だ。それは分かってる。 でも。 どうしてだか「世界」を世界と勘違いしてしまう。 それと同時に。 「世界」に自分が溶け込んでいく。 拒んだにも関わらず、「迎えにきた」を実行されつつある。 「世界」が世界になろうとしているのか。 でも有り得ない。それはあくまで「世界」だ。 分かってるのに、真に受けそうになる。 プレイヤーとゲームが出会うような、そんな感じなんだろうか。 ・・・あぁ。そうか。 理由、原因、起源の世界。オレにとって「世界」は。 考えるための理由、原因、起源を与えてくれるもの。 それが一つの「世界」としてまとまりつつある。 まとまった「世界」が、オレにちょっかいを出しつつある。 一つの世界が、始まるんだろうか。 オレが模写して来た世界とは違う、答えが、結論が、結果が、始まる。 オレが創る世界が。オレとオレの「世界」から。 始まろうとしているんだろうか。 それを世界は許してくれるんだろうか。 心配だ。 オレは壊したいわけじゃない。 壊したくは、ないんだ。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |