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共感の先

共感の言葉が刺さる。提示される実例に共鳴する。
「そう、そう」と、相づちを打ち、相づちを打たれる。
そこで交わされている言葉は、決して現実となってはいけないもの。
概念、常識、ルール、正しさ。いろんなものを壊すことになる。
だからすべて、空論であり妄想でしかない。
実行する力もなければ、実行する理由もない。
今の世界は十分幸せであり、それを壊すことは幸せを壊すことなのだから。
でも。それでも。
「間違っている」と訴える、自分の気持ちに嘘は無く。
他人の言う言葉を、どこか歪んで聞いてしまっているのかもしれないが、
それでも同意を得た気がした。

綺麗に絵が描けるツールキットを薦められた。
綺麗にデッサンが書ける方法を教えられた。
確かに綺麗になった。
でもそれは、決して自分が描こうと思った絵じゃなかった、と。
その言葉に対してオレは、
自分が思った絵が描けるようになるための努力の方が大事だと思う、
と言った。
うなずいてくれた。

平等平等と言って、劇で自分の子どもに主役を、と訴える親も、
仕方なしに主役を増やす教育する側も、何かがおかしい、と。
それに対してオレは、
よい劇を演じよう、伝えよう、という本来の気持ちがなくなってしまった、
と言った。
そうだ、それだ、と言ってくれた。

頼ってばかりでは自分でいられない。
自分らしさを否定される。自分の思いを否定される。
自分の思い描くものを吐き出せないまま、描けないまま、
それでも受け入れざる負えなくて。
自分が流されて、自分を見失って。
ただ無難な、自分らしさのない絵を描いて、
皆と同じであることを喜ぶ。
そしていつか。
自分なんかいなくても、こんな絵を描ける人はいるんだ、と。
自分の価値を見失っていく。

皆で一つ劇をするにしても。
「こうでなければ平等ではない。不公平だ」
皆が主役。皆が評価される。そうして本来の目的を忘れていく。
この劇は何を伝えたかったのだろう。
この劇によって何を表したかったのだろう。
この劇における感動とはなんなのだろう。
そんなことには目もくれず。
形だけにこだわって。結局何も伝わらない。
形だけに満足して。
物語の感動を、心を、忘れていく。

平等は。
誰かが誰かでいられるための最低ラインであるべきじゃないのか。
そこから人は自分らしく生きていけるようになるんじゃないのか。
自分という存在は、平等のままでは生まれないんだ。
このまま平等の中に埋もれていては、
誰もが自分の価値を見出せなくなってしまう。

誰かは今、誰かでいられているだろうか。
ありのままでいられているだろうか。
本来そこにあった心を、忘れてはいけない。
自分でいられない人生なんて、捨てたくなったって、
大量にいる人間の一人ぐらい死んだって変わらないと思ったって、
そんな一粒の自分の価値を見出せなくなったって、
当然じゃないか。

でも自分だけを見ていてはいけない。
人には創る力がある。
それも、着飾るだけの力じゃない。
自分の身を守るためだけの力じゃない。
自分という存在が、他という異なる存在と絡まりあって、
目指した何かが生まれる感動を、忘れてしまってはいけない。
理解に苦しみながら、喧嘩しながら、
悲しんだり、苦しんだり、悩んだり、迷ったり、
それでも何かを得ようと足掻くことの意味を。
忘れてしまってはいけない、だろう?


なぁ。こんな状況でも。
誰かは、誰かでいられているのか?

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