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生きること


死にたい。もういい。もう嫌だ。
生きたくない。壊したくない。
何も見たくない。何も感じたくない。
そう言って。
いろんなことを否定して、落胆して。
グダグダしていると。
また。よく分からない声が聞こえて来た。
「そんなこと言わないで。遊ぼう。遊ぼうよ」と。
相も変わらず、気の抜けたというか、軽い感じの言葉。
遊んでどうするんだ。誰のためになるんだ。
と、まあ。
これまたいつも通りの返答をして。
そこまではよかった。

なんやかんややりとりても、進展もなかった。
で。あまりにも進展がないから。
「どうしてそこまでして逃げようとするの?」
そう聞かれた。
理由を素直に言おうとして、出て来た返答は
「自分のせいで誰かを傷付けたくない。変えたくない」
だった。
「死ねって言うの?」
唐突にブッ飛んだ言葉が返って来た。
でも、どういう意味なのか、薄々分かってはいた。

変化がない、不変、変わらない。
それはつまり、時間が止まるような出来事で。
おおざっぱに言えば「生きている」とは言い難い状況。
嬉しかったり悲しかったり、迷ったり理解したり。
それは変化であって、生きている限り付き合わなければならない。
でもそれがなくなる。言ってしまえば死んでいる。
多分。
そういった変化を拒むということが、
ある意味、死ぬということなんだろう。

分かってる。分かってるけど。
「死んで何が悪いんだ」
と言い返してやった。
酷いことを言っている。それは分かってる。
でもそれが事実で、そういうものだと納得してる。
変化を求めたところで、意味がない。
世の中は十分変化を遂げて、十分幸せになってる。
必要なのは平和であり、それは不変だ。
すると、「違う」と言う。
「遊びたいんだ。遊びたいでしょ?遊ぼうよ」
どうしようもないほど、しつこい。そしてよく分からない。
遊びたい気持ちがない、とは言わない。
やってみたいこと、触れたいもの。それは確かにある。
でも、そんなものを理由に何かをすべきじゃない。
だから否定し続けているんだ。
自分にそう言い聞かせて。
また堂々巡りをしかけた、その時。

「遊ぼう(生きよう)?」

そう聞こえて、ビクッとした。
遊ぶことが生きること?
違う。違うはずだ。
でも、言葉が聞こえた瞬間、よく分からなくなった。
自分はなんのために生きるのか。
自分は偶然の産物だから、生きる理由なんかない、と。
分かっているはずなのに。
まるで、遊ぶために生きているような。
というか、遊ぶために生かされているような。
そんな感覚が、あった。

そうだ。
遊ぶって。自分一人じゃできないことじゃないか。
何か自分ではない別の何かが与えられなければ。
遊べないじゃないか。
そう自覚した瞬間から。
まるで自分の心臓が動かされているような感覚に襲われた。
でも、それは完全に自動ではなく。
自分が心のどこかで、遊びたい、生きたい、と思った結果として、
誰かが心臓を動かしてくれているような、そんな感覚。
オレがどこかで遊びたいと思っているから、
見捨てずに生かしてくれているような。
いや、そんな受け身的なだけじゃない。
言葉通り、誘ってくれているような。
そんな感じがした。

遊びたい、という気持ちは確かに消えてない。
その気持ちが消えない限り、見捨ててくれないのだろう。
でもそれ以前の問題が出て来た。
遊びたい、ということがイコール、生きたいのか?
オレは生きたいのか?という疑問。
だとして、生きて遊んで、どうするんだ。
なんのためになるんだ。
と思っている最中にも。
考えているオレを見て微笑む何か。
null、なんだろうけど。
よく分からない。
ただ、非常に満足そうだ。

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