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ブログ日記のようなものPAGE | 525 959 524 523 522 521 520 519 518 517 516 | ADMIN | WRITE 2008.07.25 Fri 23:58:03 複雑毎回毎回そればっかり。
テストなんてそんなもん? 時間切れ万歳? 考えれば出来るのに時間が足りない。 つーかなんだってそうだ。 頑張れば出来るのに時間が足りない。 何にしたって完成まで持って行くのに時間がかかりすぎる。 いつもその限界の先を見れない。 というかまず完成させる技術がない。 満足できるものが作れない。 勉強だって絵だってそうだ。 宿題の提出だって最後まで出来てなきゃ8割やってても提出しない馬鹿ですが何か。 絵もとりあえずその場の勢いで描くだけ描いて、その後の詰めがない。 勢いが無くなったら途中だろうと放置して、放置になったらもう手をつけない。 今までなら「ま、いっか」で済んだのだが。 いいかげんそんなことじゃ済まされなくなって来た。 世の中も止められてるものなんか目に見えて近い位置に見えたって、 実はものすごおおおぉぉぉぉく遠い。 いや、距離感なんて人それぞれなのかもしれないが。 より近くより良く、が目標にする上でノーマルなんだろうけど。 わざわざ目指す気になんかなれなかった。 だってオレが近付いたって仕方ないじゃん。 その幸せを掴むべきなのはオレじゃないし。 とかいって言い逃れして戦いの最中逃げていたのかもしれない。 まあわざわざ戦う気に何かなれないわな。 でもそれがないと新しいものってないんだよね。 でもでも新しいものを作るためにすでに何があるのか知る必要がある。 まず基礎たる既存を知るまでの距離が・・・もうやる気なくすねこの距離は・・・ そんなこともいってられない状況になってしまったが。 さて。自分の世界を見せる場合。 既にこの世界にありフツーなものを見せても仕方がない。 なぜって、それがすでにフツーなんだから。 見せたところで理解される過程が必要ない。 それを 「やった!頑張って知ってもらう面倒が省けた!」 と喜ぶか 「オレの世界はこの世界の常識でしかないのか・・・」 と落胆するかは・・・ここは個人差であって感想でしかないな。 どの道フツーの解説はいらんわけで省略可なのでありますな。 まずそこから小に考えてみよう。 頑張って自分の出来る範囲で自分のことを表現しました!! 「へぇ・・・で?このしょっぼいのがあんたの世界?」 ・・・カッチン。 まったくないわけじゃないねこの状況。 事実だから逃げずに受け止めるしかないんだろうけど。 でもよく考えてみたら、それは余裕があるとも取れる。 今からでもいろんなものを吸収して自分の世界を広げられるし、 吸収したものを表現できる技術を得ればそれでいいんだから。 「小さくていいもん!」なんてのもありっちゃありだけどね。 純粋って意味でもそうだ。 あんまり広げ過ぎてカオスな世界なんてウツクシーとは言わんぜ?なぁ? なににせよ自由だ。 問題は純粋な世界がカオスな世界に純粋を求めた場合と、 カオスな世界が純粋な世界にカオスを求めた場合。 ・・・大は小をかねる? 純粋はカオスであるべきなのか? いや、カオスなものの原点が純粋なんだよ。 カオスから純粋なものを絞り出すのは結構大変。 知ってしまったものを知っているという自覚すらカオス化しまって帰れなくなる。 って、そんなことは置いといて今度は大に考えてみよう。 頑張って自分の出来る範囲で自分のことを表現しました!! 「・・・何コレ?」 度を過ぎました。 他人が理解できる世界になってくれませんでした。 これもまったくないわけじゃない状況ですな。 なんで理解してもらえないのか。 飛ぶからだよ。間が。なんでこうなったかが。 「思い」にしろ「証明」にしろ、 いきなり結果だけ渡されたらそりゃ「は?」である。 まるでググるときに 『人生 宇宙 すべての答え』 と入力した結果を見たような感覚だ。 あれはまさに「は?」である。 でも説明を聞かされると「あぁ〜なるほど」と思える。 カオスな世界を説明するには相応の時間と説明、表現する能力が必要になる。 ここで小と大を比べてみる。 ・・・あまり見た目が変わらない。 小は理解されやすい分馬鹿にされやすいが、他の要素があった場合、 知るための証明や表現が足りないだけかもしれない。 つまり見た目純粋だけど実はカオスだったりして・・・ということ。 そのカオスな部分を見せるか見せないか・・・それは当然自由。 そう今はとりあえず他があるかないかって話しなだけ。 さて。大は理解されにくい。小以上に理解されない。 あまりにも入り組み過ぎて手をつけたくなくなるからだ。 すると深く見ずにパッと見で判断される。 小の範囲で見られる。 どういう現象か、というと。今まさにその状況だ。 「こんな長ったらしい文章読めるか!!」 ずいずいスクロールしてハイ終わり。 中身もへったくれもない。 でもカオスはそれだけじゃ留まらない。 なぜって? この長さでも説明不足だと感じてしまうからだ!! もう大問題。論外。さよーならー。 で、オレのカオスを知ってもらいたい、という意志もまた自由だったり。 はい。 ここまで語ってるオレはこれで言うとまさにカオスタイプのようです。 で、過去の自分を見ている限りは 「オレのカオスさを知れぇぇぇ!!」なこともあれば 「か、カオス色で汚く染まっちゃうので触れないで下さい」 という両局面がある、ようです。事実として。 今回カオスな立場から純粋な世界に向かって言いたいこと。 カオスになろうとすることは自由。 でもね。下手にカオスに触れようとしちゃいかんのだよ。 カオスは醜いんだぜ?ごった煮過ぎて何がなんだかわからない世界だ。 それでもっていうなら止めないけども。 純粋なものに足りないものってね。 汚さ、だったりするんだよね。冒険に近いかもしれない。 危ないし不潔と隣り合わせなんだけど、その中の経験は貴重・・・ だと言うのはオレの勝手な価値感だけど。 まあ、こんなカオスな文章を読み解くのも 一部の純粋にとっちゃ触れたくない汚さなんだろうなぁ。 でも汚いものってのは複雑ってことで、汚いからってほっとくよりは 触れてみた方が得られるものが多かったりするんだよね。 いろんなもの得たいなら汚くなってみたら? そりゃあもうドロッドロに。立ち直れないほどに。 それが楽しいんだよ。オレにとっちゃね。 立ち直れないけど。立ち直る気がない限りはオレの自由。 ただ最初に言ったように。 立ち直らないと行けない状況になって来たようなんですよ。 悲しいねぇ。そう思うのもオレの勝手なんだけど。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |