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概念

1〜5限まで連続であるとさすがに・・・頭痛、腹痛、腰痛。
そんな中、トドメでもある5限目の講義。
もう思い当たる節が満載の話でした。
「無から有を作り出すのなら、まず概念を与えろ」
・・・ってどこぞの石蛇じゃあるまいし(苦笑)
多分この文章の意味が分かる人はいない。ガチで。
いたとしたら事の発端たる石蛇だけですか。うむ。
そんなことはさておき。
我思うに。
もしも何もないところに概念を作ったとしよう。
その概念には理由を求められない。
まさに「なるものはなる」といった決まり事でしかなくなる。
しかも、その決まり事はきっと細分化も拡張化もされる。
その決まり事が成り立つための前提、
その決まり事があってこそ成り立つ発展系。
確かにたった一つしか存在しない概念が有にはなるかもしれない。
けれどそれは本当の有なのか、他人に取ってそれが有だといえるのか。
・・・違うな。
同じ解釈をしているとは限らないだけで、有なのか。
根底の理由がないだけで無ではない。
それに納得しない限りどうしようもない気もする。
根底、理由が無いのだから、否定されてもおかしくない。
「なるものはなる」といわれるそれに「なんで?」と聞いても仕方がない。
それは分かるし、実際そんな話も聞いた事はある。
でも「なる必要はない」と言われれば簡単に崩れてしまうじゃないか。
前提、当たり前、当然、常識。
必ずそれがなければ成り立たないのか。
そんなものがあるせいで、その概念のない世界が見れない気がしてならない。
前提がない、当たり前がない、当然がなく、常識もない。
・・・あ。本当だ。
それはそれだけで成り立つわけだ。
逆に言えばすべての存在が非常識であることが常識なんだ。
比較のない個々の存在に「当たり前」という基準がなければ、
確かに評価や比較なしに事実だけを見ていける。
すべてが違ってすべて非常識だから、唯一自分だけが常識になって。
ということは結局繋がりがないわけで。
比較できない、等しいと言えるものがない、理解されない永遠の孤独。
繋がりがないなら無じゃないか。
常識があって比較されて同じものがあって。
相手が認識できるから、自分が認識されるから、繋がりが出来て。
相手にとって自分が有になって、自分にとって相手が有になって。
・・・なんだよ。
誰かと比べるな、評価するな、オレはオレでその人はその人だ。
確かにそうかもしれないが、それは永遠に無の考え方なわけだ。
他人がどう思っているかはさすがに永遠に分からないかもしれない。
でも自分の中に相手との共通点を探して、比較して。
相手を自分の中で有にして。
相手が有になる事で自分の位置、場所が決まって。
結果として自分が有になる。
「自分は自分だ!」と言い続けていたら。
それは自己中というより虚しい考え方なのかもしれない。
繋がりがなくて、この世界に自分と同じものが見つけられなくて。
自分がそこに存在している感覚が得られないのだから。
同様に「自分は馬鹿だから」とか「自分は天才だから」も。
見上げているか見下しているかだけで。
同じライン上に誰もいないことを嘆くんだろうか。
・・・違う。呼ぶのか。
ここまでおいでと。自分を相手の中に存在させて、繋がりを持って。
自分を有にすることで本当の馬鹿にも天才にもなるのか。
あぁ。とにかく。
別に無を有にしたいとは思わない。
自分を誰かの中に良くも悪くも存在したくはない。
理由がないから。そんなもので相手を変えたくない。
でも必要とされることに関しては文句を言うつもりはない。
邪魔になるだけかもしれないこの愚か者をそれでも必要とするのなら。
その思考まで否定するような有の思考を持つつもりもないから。
流されればいい。
動なんていらない。
そうだろ。うん。

あぁ、あと一番痛かったのがね。
「デザインは具体的な何かをこの世に生み出す原動力」っていうやつ。
あんだけ自分を否定しまくって否定しまくって。
それでも落書きしてた自分てなんなのよ?と。
本気で落書きする時、大抵表現したい何かがあって、それを描き出すわけで。
描き出したそれに「存在して欲しい」と願っていたことも、なくはない。
今思えば「何も分からない、理解する事なんか出来ない」と知っていて、
唯一分かるであろう自分自身から他人が発生することほど、
淋しさを紛らわす方法はないと感じていたのかもしれない。
いや、あの時確か淋しさがどうこうなんて目的じゃなかった。
オレが死んでも構わないから代わりに生きて欲しい、とかそんなんだった。
そう。オレを殺せたことがその生の証拠になるとかなんとか・・・
結局自分以外の誰にも成れないのだが。
繋がりのないそれは永遠に無なのだから。
そういう意味でも落書きすることで僅かに存在の後を残したかったのかもしれない。
くだらない欲望だ。

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