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打開

昔からそうでした。
私の語る物語はいつもいつも大き過ぎる、世界規模過ぎると言われて。
それは今も尚続いているようで。
悲しいばかりです。
語られるべきはすべてではなく、それを構成する個々の物語。
例えその世界が繋がりのないものであっても、
数多く生まれた世界は自分の世界を催し、
それを表すことでこの世界に存在できるのだと。
けれどどこか、それに納得出来ない自分がいるのです。
つなぎ目となるのは自分であって世界ではない。
世界の中の住人達は他の世界を見ることができない。
違う。それは私の世界ではない。
繋がりを断つことが必須なのではない。
だからすべてを繋げよう。
心の奥底から表面たる自分からこの世界まですべてを。
あまりにも壮大になっていく世界は語ることなど出来なくなっていく。
個々たるものを無くし、ひと繋がりとなったそれは形を成さず。
結果、意味も成せない。
求めたのは私自身。
否定など到底出来るものではありません。
それでも夢見ました。
この広い広い世界を区切って個々と扱い、
挙げ句つまらないくだらないと言い出す人間。
そのせいで見落とされ戸惑いも慈悲もなく奪われてしまった多くの命。
人は知るべきだと。
己の世界が何を犠牲にし、何の上に成り立っているのか。
それを語るには自ら実行するしかありません。
心の内たる幻想と、確固たる現実。
繋げるという行為への責任とともに。
現想という夢の果てたる世界を追って。

神は言いました。お前もまた世界だと。
お前が信じるのなら私が神だと。
そう。定義など所詮枠。言葉など所詮入れ物。
整理するため小さな意味と言う世界を形成し、孤立させるもの。
枠などなくしてしまえばいい。
枠があるせいで見えないものがある。
枠という枠を疑い、捨てる。
それによって何が起こるのか、想像できますか?
すべてが神となりました。
すべてが罪人となりました。
すべてが平凡たるものとなりました。
その世界こそが混沌でした。
人は無法と呼ぶでしょう。汚れと呼ぶでしょう。
それでも汚れがすべての原点だと思うのです。
そこから取り出し枠に入れたところで、やっと人の触れられるものとなる。
その行為を自覚しているのか、そこなのです。

今この瞬間。
生まれ落ちていく枠の数を知っていますか?
その枠を作っているのが自分だと自覚していますか?
貴方がしている行為はなんですか?
大きな枠は意味を欠損させます。
「今、この文字を読んでいる」
枠の外から見れば単純過ぎるそれは、開ければ深いものだと知っていますか?
ほら、今とはいつですか?もう過去ですか?
それともこの瞬間すら、先ほどの文章を読んだ瞬間と同じだと思いますか?
いえ、もはや瞬間かどうかすら分からないでしょう。
いつしかこのページすべてを読んだこの時間を「あの時」で表し出すのですから。
「この文字」も、一体何を表していますか?
ありとあらゆる文字が「この文字」となっていく。
広い広い世界がその中にある。
読むという行為すら何なのか。
読むために一体自分がどんな行動をしているのか。
読むためには読むまでのプロセスがあります。
ページをスクロールさせながら、目で字を追いながら。
意味という枠に詰め込んで自分の世界、心の中で受け取る。
枠に詰め込む時、中にどんな世界を創り上げていますか?
多くのものを捨ててはいませんか?
自分の中の世界に混ざるように形を変えていませんか?
そしてそれを自覚していますか?

確固たる規律を持つ世界には平凡な者、統治者、反逆者が現れます。
統治者は正義を語り、反逆者は悪として虐げられていきます。
すべてを含めて世界です。なのに規律は悪を裁きます。
世界の一部たるものを否定し、滅ぼそうとします。
分かりますか?ここで一体何が起こるのか。
反逆者という世界の一部を失うだけではありません。
反逆者がなくなった後、統治者は次なる悪を裁く法を作るでしょう。
平凡な者を更に細かく分け出します。
そして十人十色とも言えるその者達から悪を決めつけ、滅ぼします。
いつしか残った真に正義といえる者ですら、
自分が何故正義なのかを見失うでしょう。
そしてたった一人世界に取り残されたその人は。
自分のしてきた行為を疑い始めるでしょう。
自分は自分が好きだったんだ。
だから好きじゃない自分なんかいらなかった。
好きになれない他人なんかもっといらなかった。
いるだけで悲しかった。苦しくなった。見たくもない。
そんなものなければいい。それが悪。それを裁く規律を。
一番大好きな自分という枠を。
だから切り捨てた。
なのに結果はどうだろう。
どうしてこんなに孤独なんだろう。
どうしてこんなに何もかも正義の価値を見失うのだろう。
当然ですよね。
だって正義は悪あってこそ成り立つんですから。
形は直線だけではないんですから。
高さには低さも発生します。
その大きさがいかに豊かか。
それが世界の大きさに繋がっていく。
消してはならないんです。
例え苦しくても辛くても。
自分であれ他人であれ、反逆者のせいで心が痛くて痛くて仕方が無くても。
それが悪だと分かっていても。
その醜さが真にこの世界で一番醜いものではないことを忘れてはいけないんです。

・・・あぁ。分かりましたか?
平凡な者、統治者、反逆者。この表現が引用だということが。
正しい人と不正な人。それを自分なりに言い換えただけ。そう。
「国家」という本がありますね。プラトンという人が書いたあの本です。
何故か学校であの本を教科書として使って授業を受けてるんですが。
とても共感できますね。心を世界と言い続けてきた私にとっては。
だた残念ながら、私はそれほど政治や教育といった部分に詳しくないんで、
全く同じとはいえませんが。
「正しい」という表現自体も、私はあくまで個人の持つ価値観だと思うんです。
正しいと思うのは自分であって他人とは限りませんから。
評価そのものも無駄だと思うんです。
本当の正しさという意味の枠を作るのも自分ですし、
私は枠自体の存在を疑ってしまいましたから。

話を戻しましょう。
貴方はどれほどのものを枠に閉じ込めていますか?
枠の中をちゃんと見てない、なんとこともありませんか?
実は、はっきり言ってしまえば不可能なんです。
自分の中を自分が全部知っているはずがないんです。
そして知らないということをあたりまえとして見てしまっていませんか?
どこか自分の中の規律で切り捨ててしまっている。
結果、自分で自分の首を絞めている。
矛盾してるから、そんな理由で切り捨てていいものだってないんですよ。
矛盾していると知っていればそれでいいんですから。
同じ場所に存在させる必要もありません。
自分の心の中で居場所を作ってあげればいいんです。
語りかけるのも面白いですよ。
優しい言葉をかけて、前を向かせようとする何かがいたり。
刃を向けて主たる自分を血で染め上げ、事実や規律を守ろうとする何かがいたり。
無意味にはしゃぐ何かもいれば。
もうよくわからないものだっています。
自分の負の感情。その感情も何かを訴えたいだけでしょうから。
自分からどうしたの?と声をかけて、一体何があったのか聞いてあげて下さい。
暴れて心の中を傷付けていくだけの悪役人にしてしまうには、
あまりにもかわいそうですから。
その声がちゃんと聞こえるのは自分だけなんですよ。

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