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正しさは堂々巡り

足が痛い。
背中も痛い。
そして・・・も痛い。
どこもかしこも痛い痛い。
でも痛くないよりはいい。
痛くなくなったら、それはそれで狂いそうだ。

誰であれ誰かに話しかけられると、どうしても動揺する。
「よっす」程度ならいい。その後に対して会話は必要ない。
でも話を振られると返事に困る。何を言えばいいのか分からなくなる。
適当にギャグにして強制終了が定番。
でも意見を求められると、もうどうしようもない。
「○○やったら○○やったで」と、実際あったことをそのまま返せたらいいところ。
・・・こんな話なら今更だ。
いつものことだし、心配するほどの問題じゃない。これで困るのは自分だけだ。
何が問題って、最近自我がある発言が多くなって来たということ。
「○○って○○やろ?」とかいう勝手な推測。
「自分は○○やから」とかいう自分主張。
そういう言葉がぼろぼろ出る度にイライラする。
そんな根拠のないこと言うな。
間違いだらけの自分の情報を他人に与えるな。
馬鹿のくせにお前の意見なんか聞きたかねぇよ。
イライライライラ。

でも、それを止める段階までたどり着けなくなって来た。
「教えて」と言われてしまった限り、前例だけでは説明出来ない。
その例をどう解釈するのかを説明しなければならない。
「ここはこうする」という根拠が絶対必要になる。
でも自分はその根拠を知らない。
自分がそうだと思っているだけで、それが「正しい」と言えるはずがない。
正しいかどうか分からない内容を押し付けるわけにはいかない。
でも「教えて」と言われてしまう。
「嫌だ」という気には到底なれない。
それはその人の助けの声だということには違いないのだから。
助けを求めなければ辛い状況だということには違いないのだから。
だから確認しにいく過程が出来てしまった。
「先生、これってこれで合ってますか?」
「うん合ってるよ」
確認が取れたら教える。その内容に関しては正しいことが判明したから。
・・・そうなると究極的に気持ち悪い。
いや、「教えて」と言って来た子に関しては問題が解決出来る。
ちゃんと理解出来たなら、その子は満足出来るはずだから。

でもオレ自身はそうはいかない。
そこに「理解している」という事実が発生してるのだから。
「正しい」というものが提示されてしまっているから。
違う結局自分は分かってない。
というものの何を分かってないのか、と聞かれると、
「何故これが正しいのか分かってない」と言ってしまう。
「正しい」と証明してもらったことに対して疑問を持つ。
じゃあ「正しい」の「正しい」理由を説明?
結局堂々巡り。
それでも結果は「正しい」らしく。
何事にも僅かな可能性は存在し、実現出来ないとは言い切れない、とは思うが。
事実があったとしても、間違っている可能性がないとは言い切れない、とも思う。
前者は今まで何度か言ったことがあるけども、
解釈を逆にした後者のような言い方をするのは初かもしれない。
だとするなら?
僅かでも、それが間違いなら押し付ける気にはなれない。
という話。
それだけなんだけど、相変わらず長文。

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