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ぐたぐた(長文注意)

暴れたくなる。
何もかも破壊して。
何もかも無くなってしまえば。
なあそうは思わないかい。
苦しむのが嫌なら消してしまえばいいとは思わないかい。
それを悪いと決めつけたのは誰なんだよ。
ほら。ほら。
逃げたいなら逃げればいい。
殺したいなら殺せばいい。
それを正しいと思ったならば。
誰も否定出来ない。
誰だって誰も理解出来ないのだから。
誰かを縛ることなど不可能なのだから。
誰かを理解することなど不可能なのだから。
だったら自分を決めるのは自分だ。
良いと決めるのも悪いと決めるのも。
自分だ。
それを縛り付けているのは「常識」という糞な概念だ。
聞こう。
破壊すること、奪うこと、消すこと。
それは創造すること、得ること、現すことと常に対。
何かをする度に何かが殺され何かが生まれる。
そのすべてを判断し行うのは誰だ。
そう。
正しいと思うならそれが正しい。
間違ってると思うならそれは間違いだ。
誰かに従うような行為は偽りでしかない。
だったら。
自分のした行いを他人のせいにするか。
従ったのは自分だと言うのに。
行ったのは自分だと言うのに。
それを恨むか。
それを憎むか。
それを否定するか。
その矛先を向けられるべきなのは。
その行為を行った自分だということ。
もし他人を恨むのなら。
他人の行いだけを恨むがいい。
他人によって行動した人がいるのなら、
その行動をとった人だけを恨むがいい。
誰か一人を恨むな。
恨むのならその行為に関わった人々それぞれの行為を恨め。
そして。
恨みの矛先を向けられたのならば、それを否定してはいけない。
その原因が自分にあると示してくれたその人を否定してはいけない。
自分に欠けているものを示してくれたその人は。
むしろ感謝すべき人だ。

おっと。
この考えにも流されてはいけない。
これはあくまでオレの話。
もし受け入れるのなら、それはそっちの自己責任だ。
オレはそういうのが怖いんだよ。
だから本当は何も言いたくないんだよ。
自分の発言が他人に受け入れられた後。
それは確かにその人の責任になるかもしれない。
でもその発言は間違いなく自分がしたもの。
きっかけは自分だ。
いつかそれが誰かを傷付けたのならば。
オレはそれをどうやって償えばいい?
自分の行為が及ぼした先を。
どうやって償えばいい?
知ってしまったその人を恨むわけにはいかない。
受け入れてくれたその人を恨むわけにもいかない。
受け入れられた事実を喜ぶよりも先に。
その先の責任をみてしまう自分は。
やっぱり自分のいる未来なんて想像したくないんだよ。
今この文章を見てしまった人全員に。
恨まれて今この場で死んでしまいたいんだよ。
だけど。
「恨まれた」という事実が向けられるまで。
それは勝手な行為にしかならないんだよ。



今日はね。
いい加減どうすればいいか分からなくなったから。
1日欠けて精神をどこかに飛ばしてたよ。
その度その度自分を否定してズタズタにして。
血みどろになって首と腕を吹き飛ばして。
肉片をまき散らしてクスクス笑ってたよ。
そしたらさ。
それも勝手な行為だと怒られてしまった。
自分の存在自体は事実だというのに、それを否定するのは間違っている。
そう言われてしまった。
じゃあどうしたらいい?
この馬鹿は罪だよ?
そう問いかけたら。
罪だと決めつけたのもお前だと、すっぱり言われてしまった。

事実だけをみろ。事実を否定するな。
この世界に存在するものすべてが事実。
お前が感じ、思うことも事実。
罪だと思うこと自体は事実であり間違いではない。
ただ、それをこの世界における事実としてみるのは間違いだ。

そう言われてしまった。
そのまま調子に乗っていろんなことを聞いてみた。
そしたら返答はこうだった。

もしも何かを求めるのなら、その心そのものは偽りではない。
ただ、それを事実と受け入れるにはまだ早い。
それが事実になる過程は存在する。
「願いが叶う」ということを事実だと思うな。
それを叶えるための過程をたどらないものは否定されて当然だ。
だからこそ事実を辿ることが「願いが叶う」ことにつながる。
願いを現実に存在させることを叶うと呼ぶのなら。
それ以外に方法はない。

納得出来た。少なくともオレは。
あともう一つ。

思うことは事実。もし何かを思うのならそれは事実。
もし、何かを願うのならそれを否定してはいけない。
それは単なる偽りだ。
求める心があるのなら否定するな。

まぁ。確かに。でもね。
オレの願いは叶えてはいけないものだと思うんだよ。
誰かが求めてくれた時にしか叶わないだろうから。
世界はこんなにも広いんだよ。
冷たいものであり暖かいものなんだよ。
伝えたい、という思いは本当かもしれない。
でも、それを知りたいと思う人がいない限り押し付けでしかない。
何より、自分もまだ知らないことが山ほどある。
知ってしまった先で自分が傷つくことが許せても、
他人が傷ついた時、自分は責任を負えない事実も。
分かって欲しい、といえば押し付けなんだ。
だから永遠に事実には繋がらない。
世界は広い。永遠に知ることが出来ない事実。
認めてくれたとしても、責任が負えない事実。

「100%を目指してしまうのはどうなの?」
「そんなことで一体何ができるの?」

そうある人に指摘されたんだ。忘れちゃいけない。
出来た、と言うには足りない事実。
出来てない、と言うには手元に何かはある事実。
何かがあるのに活かせない?
それは何かを犠牲にしてここにあるのに。
そうだよね。
だったら。
行けるところまで行ってみるのも悪くないかもしれない。
でも歪みは残ったまま。
きっと何かを傷付けてしまう。
責任の取り方を考え続けよう。
解決出来なくても、一生取り返しのつかないことがあっても。
忘れない。捨てたりなんかしない。
それは事実なんだから。事実を否定しても。
道は見えない。思いを偽ったまま終わる。
神よ。
恨むのなら恨んで下さい。
飛び立つ翼をもいで下さい。
それを恨んだりしませんから。悪いのはオレですから。
「夢」を偽ることが意味を成さないと感じてしまった思いは。
否定出来ない。



小学校、中学校と見ていた想像の世界がある。
長い長い階段だった。
飾りはあったけど、外は見えない。
永遠にまっすぐ上に続く階段だった。
でも、中学卒業前だったかな。
階段の最後の一段を踏みしめた時。
そこから見えた光景は素晴らしかった。
階段はそこで突然途切れていて、いきなり外だった。
綺麗だった。でもそれ以外に何もなくて。
飛び降りた。
飛び立つ気持ちで。
でもひたすら下に落ちてしまって。
気分は地面にめり込んでたかな。
そこから動く気になれなくて、じっとしてたんだけど。
何かに呼ばれた気がして。
そのまま引っ張り上げられて。
泣いて足掻いて死を訴えて。
それでも力に抵抗出来なくて。
力の主に泣きつかれた気がして。
結局引っ張り上げられていった。
今はね。あぁ、あくまで想像だよ。
地面に足がつけないんだ。
力の主がそばで微笑んでて。
その主を知りたくて。思いに応えたくて。
でも。
ねぇ。
許してくれますか。ここを離れることを。
かあさん。せめて貴方の声が聞きたい。
思い込みを許さない絶対的言葉を投げかけて欲しいのに。
笑うばっかりじゃ何も分からないよ。

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