忍者ブログ

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

最新コメント

[07/13 ♀はっか]
[07/13 ♀はっか]
[07/11 ♀はっか]
[07/11 ♀はっか]
[03/16 空竜]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
空竜
性別:
女性

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

忍者アナライズ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

組み立てる、崩す

作業が体調に左右されるのはどうも腹立たしい。
体調が悪くてもやるべきことはやって欲しいばかりである。
ということで、やれ、オレ。


今更ながら。
オレは何かを『作る』という大きな概念で言うより、
『組み立てる』ことに興味があるらしい。
ただ、おとんのようにパズルが好きというわけじゃないようで。
パズルのように組み立てることで形が出来る、ようなものよりは、
組み立てることで意味を成す、何かが出来るようになるものというか。
これがこうなることでこれが出来るようになる・・・みたいな。
いや、数独とか立体パズルとかでも興味ありっぽいけどね。
おかげさまで単体で意味を成すものはダメダメですわ。
名前とか無理。
名前の由来とか、何かしらきっかけがあれば多少は取っ付きやすいけど・・・
高校メンバーに至っては3年間一緒のクラスでも相手の名前を覚えてない馬鹿です(汗)

そういう意味でもプログラムって、なんか興味あるようで。
パッと見だけじゃ当然意味プーなんだけど、実際中身を見てみたら、
こうやってこうやって、こうやってるから、これが出来るんだよ、みたいなさ。
あぁ〜!そうくるか!ってなる。
考えてみれば単純なものの寄り集まりなんだけど、
使い方によってはあれもこれも出来ちゃうよね?っていう、ね。
逆に複雑そうなものでも、よくよく見てみれば「え、これだけ?」だったり。

正直、この馬鹿は何事に置いてもそんな状態なんだと思う。
全部が全部完成してない。なんか欠けてる。
だから「これってなんでこうなるの?」という自問自答も実質答えは曖昧。
仕組みどころか、それを説明する言葉の成り行きを根底から疑ってしまう。
でも・・・
「これがあぁでこうで、だからこうなってあぁなって、そしてこうなんだよ」
といったように何段階も間に挟んでくると、根底はなくても一つ一つに繋がりが出てくる。
一つ何かが出来るようになるパズルを組み立てる過程で、
枠の部分がまだ完成してないのに、真ん中の方だけで何か出来ちゃった感じ。
どの位置に来るのかまったく分からないのに「あ、顔だ」みたいな?
しかもそれで意味が通じるし、パズルとは違って何か出来るようになるわけでしょ?
面白いじゃん。

でも心配だよね。
腕の先に顔を付けるようなことになったら・・・困るし?
組み立てるのはいいけど、パズルほどはっきりしてないものは
それで合ってる保証がどこにもないわけで。
いろいろ組み立てて、う〜んう〜んと悩んで。
結局崩して「あぁもうやっぱ何も出来ないじゃーん」になるわけです。
1つ1つのピースの繋がりから疑って疑って。崩して崩して。
それでも組み立てようとしてる自分がいるわけで。
いろんなパターンをやってみて、どれが正解か分からなくなるけど、
こうすればこんなことができるし、でも崩してこうしてしまえば・・・
を繰り返して繰り返して。
崩し続けていると、到底正解が分からない。
「合ってるって!」と言われても「え〜・・・」になる。
毎回毎回「だってこうもできるし、こうだってできるじゃん」と言い出す。
人はそれをウゼェと呼ぶ(笑)

だからオレは逆の状態が心配になる。
自分が理解するまえに何かが完成してしまった時。
確かに出来た。何か面白そうなものが完成した。
でも、なんで?と疑いにかかる。
事故で出来たものは、完成の形だけ覚えておいて崩す。
崩して組み立て直して「あぁ〜こうなってるんだ」をしないと気が済まない。
人に教えてもらったものも、これをしないと気が済まない。
「ちょ、ちょっとまって一回崩すから」になる。
「早くしろ」「はいすみません」になる。

オレを良い方へ評価してくれる人に対して、それが大いにある。
「ちょっとまて。オレまだ何も作ってないし」である。
作ってない=何かを出来るようになるパズルが完成してない=何も出来ない
もしくは。
作ってない=何かを意味するパズルが完成してない=何も分かってない
になる。
崩し続けるもんだから、常に手元はからっぽ。
いきなり使えるもの、つまり知識だったり技能なんてものはない。
やれと言われた瞬間から作り始める。
一回作ったことのあるものでも、全部確認しないと気が済まない。
「え〜っとこれをこうして、こうやって、こうすることでこれを作ったのかオレ」
をする。つまり毎回ゼロからスタート。
「ほえぇ〜?なんだってぇ〜?」からスタート。
つまり、やっぱり馬鹿。


何。その行動そのものが評価されてるということなのか?
そもそも普通って何さ?
渡されたものをそういうものとして受け止めておくってこと?
すでに出来上がってるパズルの中身を疑わず持っておくのが普通?
それを疑って崩してるから評価されてる?
いや、疑ってるんだからダメなんじゃないの?
おまけに再度組み立てるのに失敗することだってあるのにさ。
「あれ?ここどうなってたの?引っ付かないんですけど?」になりかねない。
それってかなり・・・ロスだよね(汗)
疑わずに使っていれば良かったものを・・・

ただ、それが善かれ悪かれ、オレ自信は満足は出来るかもね。
「おぉっ!?これくれんの?さんくす!」
と受け取るだけ受け取って、盛大に崩す。
どか〜ん。
で、組み立てる。
「なんだこれ。見たことないピースだな・・・」
「おっ?ここハマるじゃーん。こっちは?こっちもハマるじゃーん!」
「これ、ひょっとしてピース2つ?んじゃ崩しちゃえ」
「なんかいろいろ引っ付けたらこんなんでけたぁ〜!でも崩す。どか〜ん」
「同じもの使ってるのに、こんなんでけたし。何これ?」
「これ面白い!ちょ、これと引っ付けて・・・あ、これやべぇな。グフフフ」
そんな馬鹿を見ていた人が何故か声をかける。
「え〜何〜?まだ何も出来てないし〜」
・・・ウゼェ。

この辺りからさらに抽象表現になるかもしれん。注意。

最近はなんかこう、しっかり組み過ぎて崩せないものが出来てきた。
崩してもいいはずなんだけど、何故か崩せない。
これが正解、というわけじゃないのは分かってる。
それで出来るようになったことを気に入ってしまったのかもしれない。
「あぁ・・・なんだろな・・・これいいな・・・」
じ〜っと見てる。ずっとそんな気分である。
出来上がったものをツンツンする。その反応を見てまた満足する。
それ自体の構造は何度も崩して把握しているから、別に崩そうとも思わない。
他の部分に必要であれば崩すけど、またこの形に組み直すと思う。
なんかこう、愛着?みたいなものが出来てしまった。
ツンツン。クスクス。
なんだこれ。分けわかんね。でも満足。
はっきり言って、何に満足しているのかも分からない。
それがツンツンに対してどういう反応をしているのかも、はっきり分かってない。
複雑な反応なのか、それともシンプルな反応なのか、もう分からない。
だから気持ち悪い。

これがどういういうことになるのか、というと・・・
声をかけられた時に「え?何?これ見たいの?これ欲しい?」になりかねない。
ゼロじゃなくなる。いや、必要であれば崩すからゼロに戻ることもあるだろうけど。
それでも、そこに何かあるわけで。
自分では意図して崩せない、否定出来なくなってしまったもの。
何か分からないけど満足してしまったもの。正直怖い。
これが何なのか早く分析したいものである。
ツンツン。ねぇ?
なんだろなお前。
ツンツン。

拍手

PR

Trackbacks

TRACKBACK URL :

Comments

Comment Form