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問題の解決、問題の解決、でもやっぱり問題

・・・なんか結局節目じゃなくなってます。喰う流です。ちげーよ。空竜です。
まぁどのみちやりますよって話。でもまた部活が...orz
気合い入れていきましょう。
半端は嫌です。何より他人が頑張ってるのに一人ぼさっとしてるのは嫌です。
自分の作品ならまだしも、人様の作品なんだから。全力で。うむ。

半端と言えば気持ちも半端だったわけですが。
スッキリしているようでしていない。
自分に納得しているようでしていない。
なんかこう、引っかかって引っかかって。
・・・だったんだけども。自問自答してたら原因発覚。
というのも、人に言ったことを自分に言ってみただけなんだけども。

オレの場合、口から出る言葉にせよメッセにせよ。
大抵その場ですぐ外に吐き出した言葉なんてものは嘘八百で。
改めて考えれば考えるほど「ここはこう言うべきだっただろうに」があった。
だから自分の吐き出した言葉を後々自分で考え直して、
それに納得するなんてことはあり得なかった。
でも今回は珍しく、吐き出した言葉に後々納得してしまった。
何が違ったのか。あくまで自分の意見だったから?
それまでの話の流れに流されるのではなく、話を聞いて自分の意見を言ったから?
「あ〜そうやね」だなんて言わず。
「それってこうなんちゃう?」と、勝手な解釈なのに言い続けて。
もう遠慮なく。否定されること前提で。
でもそれに後々納得した自分がいることを思えば、
がむしゃらでも筋の通る話が出来たことに、自分で驚くわけで。

その時話したことと、今までの自分の行動を照らし合わせると・・・
事実と可能性に対する見方は時間的問題も含まれる、ということかもしれない。
これまでの解釈は・・・
確かに可能性が0でない限り、それを実現する方法は存在するが、
0に限りなく近いこと自体は事実であり、それを常識の範囲で「できる」というには
あまりにも遠すぎる、というもの。
でもそれは現状の話であって、意志の持ち方の話じゃなかった。
というのも・・・
可能性を信じて行動する行為と、事実を現実として認めて何もしない行為と。
これはあまりにも真逆の行為になってしまう。

じゃあそれを自分に当てはめたら、自分はどんな行為をして来た?
確かに僅かな可能性を信じて、何かを求めていた時期もあった。
逆に事実は事実、諦めの範疇で出て来た答えを決行しようとしたこともあった。
でもその時自分は納得しなかった。自分が諦めていることを知っていたから?
じゃあ何だろう。
自分は諦めたくなかったのかもしれない。
今は確かにこうだけど、方法がないわけじゃない。
どこかでそう思っていて、途中での妥協を否定していたのかもしれない。

皆同じじゃない。同じようなことを出来るわけじゃないし、考え方も違う。
それは分かる。自分が他人になれないことも分かってる。
でも、だからって諦める諦めないも一緒なんだろうか?
「自分はあの人じゃないんだから、あの人と同じことはできない」
確かにそうかもしれない。でもその可能性が0だと誰が決めたんだろう?
そこで諦めて何もしない自分がいるのか。
完全に同じことが出来なくても目指そうとするのか。
自分ならどうするだろう?自問自答。
「それがこの世に存在している事実なら、それを実現する方法があるということ」
「新しいものが作れなくとも、それを目指すことは出来るはず」
「何か方法はあるはず」

その考え方に従って一番オレの中で大きな位置を占めている代表的具体例。
それは、どうしようもなく素晴らしい絵。
確かにそれを描く技術は素晴らしい。でも現実に存在しているのなら。
寸分の狂いもなくマネすればいいんだろう?
パソコンで描くものなんかは特に。
グラデーションを描くにしても、ツールがなくったって1ドットずつ描けばいい。
時間の問題だけで、それが出来ないわけじゃない。
想像した作業量に先にゲンナリしてしまっているだけ。
不可能じゃない。出来る。
絵柄だってパーツの1つ1つの比率、主線の太さ、遠近の出し方、
特徴的な細部の描き方、塗りの程度、構図・・・
何枚もある絵を総合的に評価することは難しいけど、1枚だけなら分かりやすいはず。
この絵のこの部分はこうなってる。こうなってる。
出来るはず。

出来るということは分かってる。ただしていないんだ。
でもしないなら出来ないことと同じ。
現実に実現出来ていないのなら、テストの結果と同じ。
「先生、分かってるんです!これは自力で解けます!」
「でも実際のテストの結果は変えられないだろう」
そう言われても仕方がない。それが事実となってしまったのだから。
残さなきゃ意味がない。やらなきゃ意味がない。
それが考えとして実現可能だとしても、実現しなければ意味がない。
しようとしなきゃ意味がない。
1つ目指す形があるとして、それを実現しようとする。
オレならどうするだろう?
実現できる方法はある。それをしようとしなきゃ意味がない。
実際やってみる。でも、結局出来ない。完全な形には辿り着けない。

昔の自分は・・・
数学も物理も、考え方ばかり理解して実際には解けなかった。
「数こなさへんからや」と怒られて怒られて。
でも、それは自分のための勉強でしかなくて。
解くことに意味を見出せなかった。そんな実績、残らなくていい。
自分は元より生きるつもりがない。
だから理解しようという努力はしても、実際に自分では解こうとしなかった。
結果こういうことになる事実がある、と提示されたものを理解するだけ。
必死で説明してくれてる先生がいるのだから、その説明はちゃんと聞いた。
でも自分のために必死になる先生を見て、面談で泣いたこともあった。
先生も先生で泣いてた。
申し訳なかった。
それでも何もしなかった。
「オレのためになんか、何もしなくていいんだよ」
クラスのメンバーには言えても、さすがに担任のゴッドには
「人間不信なんです」という理不尽な理由しか言えなかった。

今は。
何だかんだで周りに必要とされてしまって。
「オレのためになんか、何もしなくていいんだよ」よりも、
「オレは何も役に立ってあげられないんだよ」と言うしかなくなった。
信じてもらっても、オレはきっと裏切る。
いろんな人を泣かせてしまったコイツが、人の役になんか立てるはずがない。
それでも人は何を思うたか、人泣かせ常習犯を必要とする。
「おいどうなっても知らないぞ」
そう言いながら、言われたことはする。
その時のオレの意志は?
自分のためじゃなく、人のために。
泣かせてしまうことは分かってる。迷惑にしかならないことも分かってる。
それでも必要とされてしまった以上、全力で実現させようとする。
完成の可能性が0じゃないんだから、それにちょっとでも近づけよう。
その人はそれを願ってる。だからこんな馬鹿でも使おうと思ったんだ。
「ちょっとでも良くしたい。馬鹿でもないよりはマシ」
そう思われてると思って必死になる。
毎回毎回頼まれる度に立てる目標は過労死。
「えぇい死んでしまえ!いっそお前なんかでも必要とされてるならそれで死ね!」
そんな方針。

そうしていると「信頼出来る」と言われた。
なんだかそんなの求めていないのに、褒め言葉を聞かされる。イライラする。
「この馬鹿の本質を知ったら、そんな口も叩けなくなるぞ」と毎回内心思う。
自分に対する評価なんかどうでもいい。
それより目標は達成したのかどうなのか。問題はそこだ。
だから達成していない状況を見て穴埋めしようとする。必死。めざせ過労死。
でもやればやるほど返ってくるのは褒め言葉。イライライライラ。
いっそ失態犯してやろうか、とヤケクソ。それは違う、と毎回言い聞かせる。


何にせよ。
オレはどんな考え方であれ、可能性を信じてやろうとしてる。
自分のことはしないにしても、他人のことになると必死にやろうとする意志がある。
それは否定出来ない。事実あるのだから。
そして結局それが自分の実績に返って来てしまうのも事実。
だから求めてもいないのに褒められてしまう。
「必死でやるけど、完成させたいのはオレの意志じゃない。作品もオレのじゃない」
「だから褒められるべきなのはそっちだろ。やろうとした本人だろ」
そう言い返したくなる。でも担当したのは確かに自分になってしまう。
直接その人の実績にはなってくれない。自分が他人になれない瞬間。

だからさ。
オレの意志を感じて褒めるよりも、自分も意志を持ってくれよ、って話。
やりたいという意志があっても、やろうという意志もなきゃ意味がない。
やろうという意志をこっちに押し付けてたら、それは結局自分には返って来ない。
自分を認めてもらうための要素にはなってくれない。
だから自分の意志でやったことを自慢げに語れる状況になって欲しい。
オレにその状況はいらないんだから。
その状況になりたいのはそっちじゃないか。
そう言わないといけないな、と思ってその場で発言した自分。
なんか積んだな、と実感。
だってそんな状況が続かないと、そんな言葉も出ないだろうに。

欲しくもない実績が積みあがって。
「なんだよ。自分を認めて欲しいのか?」とでも言いたくなる。
流れで積み上げてしまった自分の証。
じーっと見ては蹴り崩したくなる。
でもそうまでしてなんで自分は自分を嫌ってる?
過去に何かを奪ってしまったから?誰かを泣かせてしまったから?
その事実は一生変わらない。だから嫌い?
過去を捨てずに背負って、むしろ抱きしめて離さない。そんな自分を嫌ってる?
何か違う。それなら捨てればいい。じゃあ何が嫌いなんだろう。
奪うだけの自分が嫌いなんだ。奪うばっかりで何も出来やしない自分が。
でも今は何か残ってる。善かれ悪かれ何か出来た証拠が残ってしまっている。
・・・何か。
こんな馬鹿でも出来るのかな。
ちょっとした光。別に欲しくもなかったけど。
こんなもの、どうしろって言うんだよ。
それの方が大問題。

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