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ブログ日記のようなものPAGE | 921 922 818 923 817 816 815 814 924 813 812 | ADMIN | WRITE 2009.05.15 Fri 23:55:00 重い想いは今尚2日前。
「『償えない罪の償い』で検索をかけて『日記?』にやって来た人がいたので、 償えない罪だとか償う方法について考えて『日記?』にアップした」 という話を書いたのだが。 見事、今日のアクセス解析を見ていたら、 『死んで償う 事故』 というキーワードで検索をかけて『日記?』にやって来ている人がいた。 これは、なんというか、嬉しいような驚きのような。 ただキーワードが違うから、本人かどうかは分からないが。 しかも『償う方法が死ぬことだ』みたいな感じで、内容が前より具体的。 パッと見、どこか 「自分は罪を犯してしまって、死ぬことでしか償えそうにない、 という答えに辿り着いたものの、本当にそうなのか分からない」 みたいな印象を受ける。 そして引っかかるのは『事故』だ。 本当の『事故』の意味で見たのなら、 「単なる事故だったのに、自分は死んで償わなければならないのか」 と捉えられなくもないが・・・ あの『日記?』の元のタイトルが『事故照会(え)』だから、 ひょっとしたら、あの場所にたどり着くことを目的にして、 うろ覚えのタイトルで検索していたかもしれない。 いわゆる・・・リピーター。 くだらない文章だったものの、引っかかる部分があったのか、なんなのか。 触発されて、自己満で書いた文章は、あまりにも論点がずれてる気がしてならない。 その人が求めていたものではない気がしてならない。 それでも。 「死んででも償いたい」と思っているのは自分であって、他人じゃない。 それとは違って「死んで償え」という命令が下ったのなら、 嫌でも従うしかないのか、という部分についても疑問だ。 本当にジャッジを下すべきなのは罪人とその被害者なんじゃないのか? 罪人が償うことを望むのか、はたまた被害者が 「自分はこんなことをされたけど、これをすることで償ってもらわないと赦せない」 と言い出すか。 その間に第三者が入って来ても、何の解決にもならない気がする。 恋人同士の問題に誰かが首を突っ込んでも、決めるのは恋人同士たる2人。 それに近い気がする。 償いたいという意志を見せる時。償って欲しいという意志を見せる時。 受け入れられたいという主張と、受け入れたいという主張のような。 罪の定義も刻々と変化して。例えばそれが人殺しなら。 ある時代では人殺しが讃えられ、ある時代では禁忌で。 例えばそれが人を讃えることなら。 悪口だけで殺されるか、個々の価値観を大事にして無罪か。 何にせよ罪の内容を決めつけるのはどうもおかしい気がしてならない。 世の中、そんなに単純じゃない。 殺しがもし罪なのなら、人は誰しも何かを殺して生きているのに。 オマケに食べられるためだけに生まれ殺される命もあるのに。 人間すべてが罪と言われても、否定することなんか出来ないんじゃないのか? そんな気がしてならない。 とにかく。 人として生まれたからこそ罪を罪と呼び、償いを求めているだけであって、 ただただ生きることだけを考えるような生物になれたのなら、 悪いことも良いことも、償いもクソもない。 人間だから、だなんて理由は聞きたくもない。 『当たり前』だというのなら、『当たり前』である理由を聞きたいばかりだ。 自殺を止められた時に、何故止めるのか聞けば 「死んではいけないことが『当たり前』だ」といわれたあの時。 『当たり前』を理由にすることの虚無さに絶望した。 本当に。 本当に。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |