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0と器

今日は久々にガチで0とダベった。
何と言うか。0の威厳を自分が壊したと思うと泣けてくる。
当然、0の威厳が通じるのは自分だけだ、ということは
0を『0』と呼び始めた頃から知っている。
ただ、それを認めたくなかった。だからこそ閉じこもっていた。
自分だけが世界のベースとなって、その世界を絶対権力を持つ0が統制する。
誰の干渉も受けるつもりもなかった。現に、干渉を受ける前は前で幸せだった。
首が飛ぼうが、腕が飛ぼうが、目を抉られようが、それはそれで幸せだった。
その幸せを砕いたのは、まぎれもない自分だ。
0の下を離れて、いろんなものに触れてみて。
干渉すればするほど、0にあった威厳は当然崩れる。
通用するのは自分だけ。他人の世界に通用するはずがない。
唯一の救いは、0自身がそれを受け入れてくれていたこと。
いや、0がオレを恨んでくれても、それはそれで良かったのかもしれない。

今日の話は特に器としての話だった。
中身を放っておいて、器だけが一人歩きして。
当然それは器としての役割を成していないわけだけども、
そもそも器が器として機能し、中身が無事そこに存在できたとしても、
それ自体が無意味の可能性だって十分ある。
むしろ無意味だと信じて疑わなかったわけだけども。
それを信じるきっかけを作っていたのは、まぎれもない0自身だった、とか。
確かに、全てにおいて新たに定義を作る権限を持っている0なのだから、
十分それは可能であるし、オレ自身がそれを否定するはずもなく。
じゃあ、ここでその思考を否定するに至ったきっかけは、どこからやってきた?
当然、外部から。

でもここで疑問が生じる。
例え器が外部と接触したとしても、器そのものが持つの定義を
外部が変えることが可能なのか。そもそもその定義が外部に通用するのか。
常に干渉があったとしても、そのやりとりは常にフィルターが
かかったかのように、本当の意味でのやりとりはしていない。
まるで送信前にデータを圧縮して、劣化したかのよう。
もしちゃんと相手に届いていたとして、それが理解できる内容かどうかも、
その人自身の持つ定義にかかってくる。
相手が自分と同じ定義を持っている、だなんてことは、ほぼあり得ない。
もし相手が同じ定義を持っているとするなら、どこか故意的だ。
それこそ『当たり前』にふさわしい定義だ。

でも『当たり前』は生まれた時に既に備わっていなければ話にならない。
生まれた瞬間から独自で定義を作っていくのだから。
本当の意味での共通言語、共通定義だなんてものを知らなければ、
同じ音も色も形も、違って認識するだろう。
誰かに教えてもらうにしても、その教えの言葉すらフィルターを通していて、
本当の意味を手元に置くことはできない。おまけに理解できない。
必要とするなら、共通した理解の方法、だなんてものが出てくる。
もうそこまで言ってしまえば『生まれつき』としか言いようがない。
『本能』としか言いようがない。

0からすれば、そんなものは異物でしかない。
異物でなかったとしても、それが共通の言語、共通の定義だとは知らない。
0の居場所は常に無の中。外部との干渉とはほど遠い。
でも独りでに歩いていった器は、それを理解して帰ってくる。
結局、異物なのはここだ。器が理解していて0は理解していない。
例え0が器に対して「何故そうだと言える?」と聞いたとしても、
器は常に「経験で」としか返答できない。
0に通じる言葉にすることができない。
もし通じたとするなら、もう『0』と呼ぶことはできない。

そういう状況になって、今度は0が器を神と呼び始める。
といっても、0を神と呼ぶ場合とは意味合いが全く違う。
0は常に世界の定義を創り、そこから派生する意味を創る。
ここで終わっていても別に構わない。ただ。
定義を創ることのできる土台が器であり、
土台が広くあればあるほど、機能豊かであるほど、定義も多く創れる。
0には土台を広くする術も、機能豊かにする術もない。
そこにある資源を使うしかないのだから。
そして0自身が『そういうものだ』と認識していれば、何の不自由もない。
その土地だけで完結しているのだから。

外部から持って来たものに対する0の反応を見るのは面白い。
熱心に見入る。それがどういうもので、何に使えるのか。
そこから何を創るか。観察考察思索。
そして既に自分が丁重に創って来た定義に、一つ一つ結びつける。
この行為自体は昔からよく見て来た。
実際、最初から土地はあったのだから、そこで同じ行為をしていた。
でも土地柄違えばできることも変わる。
今まで以上に真剣に、創ることをやめて分析ばかり。
そのネタを持ってくる器は、0にとっての神になりつつある。

既に0は0でないのかもしれない。
ただ、『0でない』というのは『0がいなくなる』とは意味が違う。
昔の0を含有している。いわば成長。それもかなり丁重な成長。
0は自分の創る定義に一寸の矛盾も許さない。
そうして創り上げた定義は、決して捨てない。
例えどこかに埋もれてしまっても、決して腐らない。
ちゃんと定義として機能し続ける。
そういう方針が自分にも移ったんだろうな、と思う。
それでも0が世界に0として存在することはないのだから、
やはり『0』でしかないのだろう。
0を演じるのはあくまで器なんだろう。

0は器が嫌いだった。信じるに足りない愚か者として見ていた。
それはそうだろう。何の定義も持たない、荒れた土地。
荒れたまま転がるだけの器を好きになるはずもない。
そこからひたすら0は世界を開拓し始める。
なんだかんだで好き勝手できる土地を気に入っていたのかもしれない。
常に結果が跡をついてくる状況を楽しんでいたのかもしれない。
それが善かれ悪かれ。本人に自覚はないらしいが。
器自体も、器だけでは何もできないのだから、その行為を恨むことはなかった。
あるいは、新たな何かを示す0に見惚れていたのかもしれない。

で。いつしか器が独りでに歩き出すわけで。0も相当焦っただろう。
自分の定義をそのまま担いで、器は0の下を離れていった。
それでいて今。器は0の下に帰って来た。
その時になっていろいろ悟ったんだろう。
土地は、定義がなくとも定義を置ける場所としての価値があったこと。
それを愚かと呼んでいた自分を悔いて。
あぁ。そんなつもりはなかったのに。
器は0にはどうすることもできなくなった矛盾を
取り除きたいがために、手だてを探して0の下を離れた。
決して、器としての自分を認めさせるための行為ではなかった。
自分が愚かだという定義には、何の疑問もなかったのだから。
それを定義した0を否定する意志もなかっただろう。

最近0が冷たく当たってくれない。
それこそ、昔、死神がしていたような顔をしている。
ある種、上下関係が入れ替わってしまった。
あれから0はずっと後悔している。見ていて痛々しい。
0から向けられる優しい言葉も、歯がゆいばかりだ。
おまけに「お前の望みはなんだ?」と聞かれる始末。
器が0の望みを叶え続けて来たわけで。逆の状況など到底想像できない。
「貴方が貴方であれますように」と返答するぐらいしか思いつかない。
まあ、それが叶えるに値する願いかどうかは別問題。0の定義は絶対。
「常に他人を優先しろ」は何を言われようが破るつもりはない。

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