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ブログ日記のようなものPAGE | 529 528 527 526 525 959 524 523 522 521 520 | ADMIN | WRITE 2008.07.28 Mon 23:03:00 自然愛好家自然な状態の何かを描く上で。
「自然な状態」ってどういうことをいうのかを考えるべきだと思うのだが。 単純に表せば数式に表すには複雑で、要素の密度が高いものだと思う。 当然単純に表したら複雑なんです・・・って文章として意味不明だよな。 とにかく。 言ってしまえば人の作ったものは、いつだって人工で自然じゃないんだし。 でも自然により近いもの、というものがないわけじゃない。 自然の中に幾何学模様が現れるのは稀な状態だ。 確かに幾何学模様は『美』かもしれないが、自然の美とは種類が違う。 もので言えば、まったく振動を与えられていない水面が一番近い。 でも水面が揺れていない状態なんて稀過ぎる。 風や近付くだけで水面は揺れて凸凹になり、さらにいろんな方向に光を放つ。 数学的にこの水面を表すことも出来なくはないのかもしれないが、 多数の振動が加われば加わるほど式も複雑になる。 ようは見た目以上に水面はいつも忙しそうにしているらしい、ということ。 ものを見る視点だって、見ているものは目であり自然物だ。 地面をまったく水平に見るために、目はどこになくてはならない? 目玉半分埋めるしか無い。 地面じゃなく下敷きだった場合は単純だ。 目の前でまっすぐしてれば水平なんだから目玉を半分埋める必要も無い。 でも下敷きの上に人が立っている状態で同じようには当然出来ない。 そう、人が立ってるのは線の上じゃない。 微妙な凹凸で触ればそれぞれの感触を持つ複雑怪奇な面だ。 面の上に乗っている足も形が複雑怪奇なだけで面だ。 線と面の違いぐらいは・・・さすがに分かるか。 複雑なうちに含まれている単純な幾何学模様ってことだし。 自然なものを描きたいと思うことはある。 でも癖だったり理解を越えていたりで完全再現なんか到底不可能だ。 それでも描こうと思ったら。 自分の知らない自分で描くしか無い。 何も考えず乱雑な線を大量に描いてみて。 「この線いいな」と思ったらその線が残るように次を描く。 キャラを描く場合も実はこの色が強い。 自分の欲しい線が出てくるまで何度も描き直す。 そりゃあもうズザッと描いてしまって、 最初に描きたい線の形なんてのは、大体でしか決めない。 この辺にこんな感じの線が描けるまで、描いては消して描いては消して。 そんなことを続けるせいでオレの絵は濃くなるし、線が複数重なる。 消すべきでないのに消してしまった線が帰って来ないリアルな世界は・・・ 残酷だね。やーねもう。 でも正直言ってしまえば、自然は完全再現が不可能なのだから、 自然に対して本当に出来ることは「理解」以外にない。 完全な自然に対する「表現」は最終的には諦めるしか無い。 でも理解ことの方が表現よりも簡単なはずだ。 そのままを受け止めればいいんだから。 そこに元々持ってる知識のフィルターは必要ない。 フィルターが入ってしまえばそれは本当の自然じゃなくなる。 よく人は人を描く。 いや、絵を描かない人もいるが、描く人は何故か大抵人を描く。 でも人が作るものが人工でも、人自体は人工じゃない。 蝶を描くよりも犬を描くよりも、何よりも複雑怪奇だ。 動いて喋って表情があって、おまけにファッション?性格に激烈な個人差? もう最悪だ。絵描きの敵だ。 描こうと思うこと自体が無謀なのに、それでも描こうと思ってしまう謎。 ツールを使って描いた綺麗な直線と。 ツールを使って描いた綺麗なグラデーションと。 ツールを使って描いた綺麗なフィルターと。 確かに美しい。それも美だ。 でもそれらを使って描かれた「それ」を 「本当に人間だと思ってる?」 と聞かれた途端に戸惑うことはないのだろうか? 自信を持って人間です、と言ってくれるならそれはそれで構わない。 その人から見た人間はそういうものってだけだし。 要素が欠けているだけで、人間「らしさ」をなくしてしまったものでもない。 ただ単純過ぎやしないだろうか? 生きているということは複雑。 自分のキャラも、生きた線と生きた色を放ってくれれば・・・ そう願ってしまったら、永遠に願いは叶わないけどね。 自然は人間に理解できるほど単純じゃないから。 それがまたいいんだけど。 世界〜♪愛してるよ〜♪ PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |