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過去ゆえの今


哀しきかな。
何かをしようと思えば、そのよりどころは過去でしかなく。
過去見たもの、過去経験したものが、今に生きている。
そこには真新しさはなく、過去の模造品でしかない。
創るとはなんだったか。作ることから脱却できない。
自分とはどうしてこんなにも無力な生き物なのか。
何も産み出せやしない。
しょうもない存在だ。

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理由


自分が何かに呑まれていく。
自分とはなんだったか、よく分からなくなっていく。
馬鹿でゴミでカスで邪魔でうざくてこの世から消してやりたくて。
そんな自分という存在が、何かと入れ混じっていく。
憧れ、偉大、目標、夢、そばにいるだけで幸せ、
なんて、ありえない感覚が自分のすぐそばで燻る。
憎くて殺したくて仕方がない自分を庇う。
包み込んで、抱き寄せて、「大丈夫」と根拠もない言葉を発する。
腹立たしい。
意味不明理解不能な感覚のせいで、こんな愚か者が今存在している。
許さない。許すわけにはいかない。
オレはなんとしても、オレを殺す。
オレにとっての唯一の正しさ。その行為すら愚かだと知ってる。
それでもオレはオレを殺す。オレにとってそれがすべてだから。

まるで芽を出し茂るように包まれていく。
寄生されているような気さえしてくる。
振り払おうとしても振り払えず、ただただ大きくなっていく。
意味が分からない。理解ができない。
これがいわゆる本能や欲望というヤツなのだろうか。
何故こんなものが自分にあるのか。
自分という存在が自分のものでなく誰かのもので。
その誰かが自分の中に仕掛けた何か、とでも言うのだろうか。
だとしたら、目的が分からない。
まるで自分をオモチャにされているような。
抗うことのできない、でも理由が全く分からない、何か。

が。暴れても力つきるのは自分の方で。
気が付けば自分のすべてが呑まれている。
意識がどこかへ飛んでいって、なされるがままになる。
自分が自分ではない誰かになっていく。
そして何をするかと思いきや。
大抵、祈る。ただただ祈る。
といっても。
誰かの幸せとか、世界の平和とか、そんな単純なものじゃない。
ありとあらゆるものを包容するような思い、というか。
すべてを大切にしたい気持ち、というか。
到底自分には手が届かず、関係のないような気持ちに襲われる。
酷いときには、涙すら零れる。
意味が分からない。

世界が好きだ。愛してる。
時々そんなことを口走るが、根底にあるのはこの感覚だろう。
認めたくない自分、溢れてくる自分。
当然、オレは神じゃない。ただの人間だ。分かってる。
でも、その感覚が溢れ出てくるとき、
引っ張り上げられるような錯覚に襲われる。
プログラミングをするとき、絵を描くとき、曲を作るとき、
誰かを助けるとき、何かを創るとき、何かを勉強するとき。
今の自分には到底できないことをできるように、
グイグイとひっぱりあげられる。
自分を殺したい、自分なんていらない、死ねばいい、
という気持ちを裏手に取られて、
ボロボロになりながら、それでも死なない程度に、引っ張り回されて。
気が付けば、認めざる負えない、自分の価値を突きつけられる。
泣きたい。これは普通に悲しくて泣きたい。

オレが死にたいのは、自分が無価値で無意味だから、という部分もある。
だから死ぬ理由を奪われつつあるのは確かだ。
でもそれだけじゃない。オレは生きたくないんだ。
価値を与えられ、意味を与えられようが、関係ない。
誰かの居場所を奪い、運命を変え、何かを創り壊す行為をしたくない。
存在する限り逃げることができない現実から逃げ出したい。
根底にあるのは、自分が奪ってしまう可能性のために、といえばそうだ。
自分が奪う可能性に対して、一切の責任が背負えない。
無責任な自分から逃げ出したい。ぶっちゃけそれだけだ。

でも、その奥にあるのは、世界を愛しているから、なのだろう。
無責任な自分を許せないのは、世界に対して申し訳ないからだと思う。
自分を生かすために与えられるすべてを、無に返すような。
そう感じるだけで胸の奥が抉れるように痛くなる。
きっと、そのことに対する「大丈夫」という言葉が、
どこから降ってきているのだろうと、どこかで分かってはいる。
でも認めるわけにはいかない。
為体は知れなくとも、所詮自分の言葉でしかない。
だから静止を振り切って、自分を壊そうと自分の胸ぐらを掴んで爪を立てる。
抉れるような痛みが自分の中に満ちて、自分が絶望していく。
その先で勝ち取れるであろう『死』を夢見て、深く深く傷付ける。
根源にあるものが為体の知れない、愛というヤツだったとしても。
それが世界ではなく、ただの人間という自分である限り、
自分の判断で、自分の思う最善を、死を、思う。
それだけだ。

オレは本当の世界を知らないし、永遠に知ることなんかできない。
妄想の中にありながら、無責任に生きる自分に、自分で罰を与えるだけ。
誰のせいでもない。悪いのは自分だ。行動するのも自分だ。
本能や欲望なんてものに負けるわけにはいかない。
例えその先にあるものが自分にとって、世界にとって、
幸せな何かだったとしても、関係ない。
オレは幸せになりたいんじゃない。
死にたいんだ。
自分への憎しみにまみれて、死んでいきたいんだ。

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空を駆ける龍の如く




「年賀状を描け」と言われてから頭の中にあったイメージを吐き出した。
それらしい格好をした男性と龍。
まだ線は雑だし色は塗れてないけど。
珍しく、ほぼイメージそのままの絵を描けたと思う。
人が龍を従えているでもなく、龍が人を従えているでもない。
上下関係のない、ただ同じ思いの下、共存する存在。
人の平和を願うでもなく。ただ破壊を望むでもない。
忘れ去られた何かを背負い、振りまきながら空を駆ける。
そんなイメージ。

龍と言えば、どうしてだか思い入れがある。
自分のハンドルネームを空竜にしてるからとか、
その元となった自分のオリキャラの擬人化版の苗字が
空竜(こうりゅう)だからとか、まあそのあたりもあるけど。
そんなレベルではないほど、どうしてだか深く思うところがある。
というのも。
小学生の頃、意味不明な絵本を2冊描いてしまうほど、
龍の絵を頻繁に描いていたからだ。

カッコいいから、なんてものじゃなかった。
現に描いていた絵は決してカッコいい龍ではなかったし、
かといってカッコよさを追求するでもなく、偉大さもなかった。
どちらかというと、龍の巣(家)や龍の親子といった、
もっと親近感のあるような表現をしていた。
どこか、そばにいて欲しい、遊んで欲しい、みたいな気持ちがあった。
理由は分からない。どこで龍の情報を得たのかも分からない。
気が付いたときにはすでに、龍に対してそんなイメージを抱いていた。

今でも龍をイメージすると、多少カッコよさや偉大さといった
イメージが付きまといはするものの、
根底にあるイメージは払拭できていない。
というか、まるで自分と深い深い関わりがあるような、
家族なんて生温い表現では済まされないほどの親近感がある。
当然、そんなことはありえない。架空の動物なのだから当然だ。
それは分かってる。分かってるけども。何かがおかしい。
イメージすると高確立で見つめられ、目を通して自分の奥底から
何かが引きずり出されるような、そんな気さえする。

よく分からない。

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自分ではない自分


自分という存在を否定しようとすると、自分の中の何かが邪魔をする。
首を絞めようと手を伸ばせば、その手を掴まれ、グッと引き止められて。
かといってその根源を壊そうと暴れ足掻いても、
するすると指の間をすり抜けて、壊せない。
苛立ちと怒りだけが募っていく。

ふと。睨まれる。突き刺さるような目で。
さすがにたじろぐ。でも引くわけにはいかない。
が。理由が自分の中に落ちてくるのを感じる。
自分とは、決して自分のものではない。
なんとなく、分からなくもない。
でもだったら、自分という『この意識』はなんなのか。
どこからともなく湧いて出てくるこの意識は。
誰のものなのか。一体どんな理由があって生じているのか。
何故かそう考えると、逃げたくなっている自分がいる。

考えれば考えるほど、自分の中に、自分ではない何かを感じるようになる。
というか単純に、自分として認めたくない、受け入れたくない部分だと思う。
それというのは、どうしようもなく、大きい。
睨んでいる本人というのは、まぎれもないソレだ。
そして心のどこかで、どう頑張っても勝てない理由を知っている。
ソレは多分、自分としてなり得るすべての範囲といってもいい。
ありとあらゆる自分の可能性の集合体。神にも似た存在。
でも0とはまた違った存在。

0は本当に無い存在だ。
価値も理由も知識も技術も。何もない。
ただ与えられればそれだけで完全になれる存在。
でもソレは違う。ありとあらゆるものが既にある。
オレとのやりとりでしか存在できない0とは違い、
ソレはオレとのやりとりを必要としない。
為体の知れない自我を持ち、為体の知れない、
価値、理由、知識、技術、すべてを持っている。
そのくせして、喋らない。
厄介だ。

殺気立った中で、ふと気付く。
もしソレが自分にとって自分の取り得るすべての可能性だとするなら。
自分が愛したい、まだ見ぬ可能性、ありのままの世界とは、
ソレそのものなのかもしれない。
自分がもし、自分を殺すことに成功すれば、
もちろんソレは消えてなくなる。が。そんなことは知ってる。
自分が存在しなくなるのだから、自分が対象とする何かとは、
永遠に関わることがなくなる。
だからこそ、その何かが消滅しようがなんだろうか関係がない。
状況は変わらない。

じっと睨まれる。というか見つめられる。
自分の中で何かが波打つ。
変わればいい。自分が変われば、否定などしなくていい。
ざわざわと音がしそうな感覚に呑まれる。
待てよ。違う。否定が目的なんだ。殺すことが目的なんだ。
だから変わらない。オレは変わらない。オレはオレを殺す。
足掻くも、また何も変わらない。
あぁ。オレが変わらないということは、お前も変わらないのか。
くだらなくも気付く。意味はない。

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考えるべきこと


じっくり味わう。
せっかく自分とは異なる世界を見ることが許された
貴重な機会なのだから、じっくりと、ゆっくりと、味わう。
自分の中でいろんな感情が渦巻いているのを感じる。
感動、喜び、共感、嫉妬、嫌み、憎しみ。
零れ落ちそうな情報を、なるべく掻き集めて、
自分の中に取り込もうと努力してみる。
どこか暴れだしそうな感情は、一時的に押し込めて。
とにかく取り入れることに徹する。

時間を経て、今思い返してみる。
とにかく、普段身を置いている環境とは異なっていた。
状況に流され、言われるがままを受け入れ、自分を偽るような、
ただ生きているだけの人形ではない、『人』を垣間見たような。
そんな気がする。
でも、それと同時に疑問も浮かぶ。
そのすべてが世界を回す備品としては不良品のように思える。
自我を持ち行動することを幸せに思う、としても、
決して世界にとってそれは不要な要素であり、むしろ邪魔なはずだ。
いや。オレが思う世界の目的の方がおかしいのかもしれない。
オレは何も知らない。

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