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ブログ日記のようなものPAGE | 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 | ADMIN | WRITE 2011.11.17 Thu 21:01:46 呑まれる遠い。遠いんだ。何もかも。 自分のことが惨めに見えて仕方がない。 ゴミ、汚点。そう思えて仕方がない。 自分のことが嫌いか、と聞かれれば「うん」というだろう。 でも。それでも。 自分は本当は自分のことが好きで。 たくさんの理想と、その理想のための努力を、 心のどこかでずっと追いかけてる。 それが正しくない、当たり前でない、不要な事柄だと、 心から理解するために、オレは全力で否定する。 理想を追いかける自分を自分で叩き潰そうと、 自ら首を絞めて、自分を殺そうとしている時。 どこからか声がする。 そうじゃない、と。 その存在を感じ取る都度、心の奥から何かが這い出て来て、 自分の思考回路を呑み込んでいくのを感じる。 その声が自分が殺そうとしている思考を庇う。 自分が自分でなくなっていくような気さえする。 悲しい。 生きたくない。 認めて欲しくない。 ほっといてくれ。 そんな気持ちがあるのに。 聞きやしない。 怖い。 ひたすら、怖い。 PR 2011.11.15 Tue 23:54:03 光とは何だったか続き。 写真はなんとなく地元。 人工物より自然物の方が落ち着く。 田舎人だからか? 「光の庭ーKOBE」 暗闇で光る色とりどりの何か。 星のようにも見えるが、よく見れば星のようで星でないものも多々ある。 知識が少ないからどうとも言えないが、 神戸に縁のあるものを表しているのだろうか。 触れればそれが表す何かが見えたりするのだろうか。 そう思うと、神戸のありとあらゆるものが ここにぎゅっと詰まっていると言ってもいいのかもしれない。 一つ上の次元の世界、宇宙と呼ぶには少し小さいけども。 ぎゅっと濃縮された世界。いいね。素敵だ。 「SEEDS」 非常に単純と言えば単純な作品。 やろうと思えばマネができてしまいそうなほどに。 でも、ただ「やってみた」というのではなく、そこには気持ち、願いがある。 種を植えて。育てて。花が咲いて。だからどうした?と言えばそうだ。 花そのものは何の役にも立たないだろう。それでも人は花を求めることがある。 花を買って飾る。人を弔うときも、花を添える。 そこには何があるんだろう。癒しか?ちょっと違う気がする。 花も命ゆえに、どこか話し相手になるような。そんな気がする。 ここにある種とは、すべて命と見れば、それもまた凄い話だ。 「Cargo Guitar」 緩やかにアーチのようなカーブを描くように張られた、光る数本の弦。 音は、正直悪い。あまりいい音はしない。 でも、どこか子どもの好奇心から生まれたような作品のように思える。 広い部屋に長く弦を張ったらどうなるだろう。 その弦が光っていて、それを弾くんだ。きっと綺麗だろう。 そんな好奇心から生まれたような、そんな気がする。 いいな。光る弦が張り巡らされた部屋で、その弦を弾けば綺麗な音がする。 どこかのRPGでありそうなほど、幻想的だ。 「Lus」 ただ置かれている、光る球体。 かやのようなもので編まれた球体の中から、光が漏れている。 よく見れば、その光は少し揺らいでいるようにも見えて。 じっと近付いてみれば、自分に映り込んだ、かやの影にふと気付く。 考えてみれば、そう。単純な話じゃない。 そこにあるのは確かに光る球体だけだ。でもそこにある世界はそれだけじゃない。 そこには影もあれば、ちょっとした時間の流れも存在している。 微かな音に聞き耳を立てるような、そんな繊細さがあってもいいな。 そんな見方も嫌いじゃない。 「Sound Perspective」 これはどちらかというと、狭い空間を 広く見せることに重点を置いた作品なのだろうか。 そこにある映像。弦を弾くと響く音。 どれも広さを感じさせようと言う意志を感じる気がする。 それも、宇宙の広がり的な。SF的な。そんな感じ。 弦を弾いて出る音も、奥ヘと進んでいく点も。 システム的な世界だ。それも、一昔前の。どこか懐かしい気さえする。 「Camera Projection」 一つの映画を見せられているかのような作品。 エレベータらしき映像がちょっと長い。 が、辿り着いた先はなかなかにいい眺めだ。 でも、これは一体どういう状況なのだろうか。 エレベータと言うには、辿り着く先があまりにも無関係だ。 ということはエレベータではない、ワープマシン的なものなのかもしれない。 と、いいつつ。その中はあまりにも質素だ。ドラ◯もん的な発想なのだろうか。 「Chandelier-brightness of nature-」 季節を表すそれぞれのオブジェ。 まるで葉っぱが舞い散るような、そんなイメージ。 それがそれぞれの色で照らされている。季節を表しているんだそうな。 光に手をかざせば、それぞれいろんなものが見えてくる。 逆に言えば、手をかざさなければ見えないものがそこにある。 そう考えると、なんだか嫌みのようにも聞こえる。 慌ただしく、見た目だけで判断する世の中。 触れることも忘れれば、いつか本当の季節も忘れるのかもしれない。 「FROM OFF TO ON」 黒い部屋に黒い箱。上からぶら下げられたバケツ、その中のペン。 ペンを使って何かを書けば、ブラックライトでそれが光る、完全参加型の作品。 参加しなければそれは作品として成り立たない。かなり極端だ。 が、逆にあまりにも描き込みすぎれば、それは何がなんだかわからなくなる。 挙げ句。ペンのインクすらなくなって、そこから発展しなくなる。 やり過ぎはよろしくない。「綺麗さ」はほどほどだからこそある。 いっそ、一人ですべてを描いてしまうような、そんな大胆さが欲しくなる。 ちょっと貪欲すぎるかな。 はい。一通り終了。 2011.11.14 Mon 20:28:46 世界遊泳昨日の続き。 画像は某作品のスクショ。 こうなってしまえば、ただの画像だ。 その画像が綺麗なのは『絵が綺麗』ということだとオレは思う。 オレは綺麗さを殺さないプログラミングができただろうか。 絵を描いた本人が満足してくれても、どこか不安だ。 「White Dots Room」 足下がふらつくほどに現実離れした部屋。 とはいうものの、実現方法は大したことはなく、非常に現実的だ。 網を二重に重ねてライトで照らしたものを鏡に反射させているだけ。 でも、これは日常の中の発見に近い気がする。 まるで網戸が重なり合ってできた模様にハッとさせられるような感覚。 模様としては、目を擦った時に見えるよく分からない図形の集まりのよう。 そしてどこか、拡大して見た病原菌のように、うようよしている。 白い点の部屋?どうして白なんだろう。どうして黒には触れないんだろう。 驚きはある。でもその後、美しさを感じず、怖さを感じるのは何故だろう。 謎が多い。宇宙か? 「LIKE NATURE」 考え方としては、非常に数学的な気がする作品。 回転体の面積を求めるために積分しているようなイメージを思い出す。 でも元を辿れば、そこには立体はない。あるのは細い光る線だけ。 人間の目が悪いとも言える、錯覚の一種、なのだろうか。 でもこれは現実として存在しているものだからこそ。 うまく回転できずにグラグラ、カタカタと回るものもあれば、 止まってしまっているものもあった。 こうなってしまったものは、一体なんだろうな。 死んだのか?それとも我に返ったのか? 「波光 Light Waves」 これは非常にアート的な『?』がある作品だった。 見える波は純粋に綺麗で。そこにあるものがペットボトルであることに驚いて。 でもそこから、キラキラと輝き出すと、もうわけが分からない。 これは何だ?と思わざる負えない。 でも後になって思えば、川や海に捨てられて、 どこかに流れ着くことのあるペットボトルで、 皮肉にも波を表現しているんだな、と思うと。 モヤモヤがちょっと落ち着く。ゴミもやり方次第で美しいってか。 「megumi-セイメイノキラメキ」 外観と内部で全くことなった世界。 徐々に狭くなっていく通路に大して、奥に広がる光景は鏡に映る無限と来た。 奥に至るまでの経路は茶室をモチーフにしているとか。 確かに低い位置に置かれたやんわり黄色のライティングなんかは、和風っぽい。 で、小さな引き戸を抜けると、白の部屋から一変して、黒の世界が広がる。 蒼く光りながら止まりかけのコマのように回る光と止まってしまっている光。 宇宙というより、光の届かない深海で海ほたるをみているような気分になる。 手を伸ばしたくなるが、それはできない。 まるで格子のように黒い枠が描かれた透明な板に阻まれる。 でも、儚く散る生命の光を守るためなら壁も必要なのかもしれない。 「A WALK IN THE CLOWDS」 雲を光る線で再現した、インパクトで言うなれば、それこそ雲のような作品。 よく見れば、その雲は形が細かく異なっていて、 わざとなのか、光の加減もいろいろだった。 雲にはたくさんの種類があるのは知ってる。 でも種類という境界線は、本当は存在していないはずだ。 そんな種類という枠に押し込められた概念が、 こんな形で再現されるのなら、それはそれでありかもしれない。 種類を表す言葉なんてものは、伝達手段や概念構成でしかないのだから。 ありのままの雲を見ることを忘れちゃいけない。 「Polyphonic Jump!」 これはアートというより、技術的な作品だった。 Kinectを使ったシステムで、映像を画面に合成して、動きを感知、反応する。 絵は確かにかわいらしい。そして描き込まれている。 でも、どこかこのシステムがこの絵を殺している気がする。 というのも、現れる動物たちはシステム的にしか扱われていないからだ。 動画のリピート再生。突然現れて消える。目を背けたくなる。 どちらかと言えば、画面端の樹に目が行った。 綺麗で、樹を駆ける動物を見ていると、こっちの方が生きている気がしたから。 生きたプログラム。自分にとっては課題であり理想だ。 「Ten thousand thoughts」 写真を並べて一つの作品に見せる。が、ただ写真を並べるわけじゃない。 その写真はまるで現像する前の色付き透明フィルムのようなもので、 それを後ろから照らすことで見せている。 一つ一つの写真もまた味があるが、それによってできあがった作品は、 どこか宇宙から見た地球のよう見える。 遠くから見ても、それは何かを成していて、 近くで見ても、それは何かを成している。 世界とはこういうものだとも思える。 「Small City」 床も天井も高さが異なる立方体で構成されている。 小さな町と言われれば、確かにそうも見えるが。 立方体が並ぶ様子は、ビルが建ち並ぶ都会を思わせる。 それに対して素材が木であるというのも、ギャップがあると言えばある。 木の匂いも、嗅ぎ成れたいい匂いだった。 もし都会のビルがこんな木で出来ていて、こんな匂いがするものだったら。 素敵かも知れない。 が、奥に進むために乗ると軋むのはちょっと怖いから勘弁。 「TALKING HEADS」 自分の家を彷彿とさせる配線のゴチャゴチャ感。 ギーギーと音をたてるテープ。ガチャガチャと音をたてる機械。 こういう露骨に機械機械した機械を見るのは久々だ。 そして手書きのCONTROLLER文字。 この手作り感満載なところに、どこか子どもらしさを感じてわくわくする。 テープに自分の声を録音して、加工して再生できるようだったが。 ノイズまみれで本当にちゃんと再生されているのか分からなかった。 が、それもまたいい。完璧なシステムより、よっぽど楽しい。 今日はここまで。 自分勝手な考えに耽るのは、嫌いじゃない。 が、人の傷付けかねなくて、ちょっと怖い。 2011.11.13 Sun 23:59:42 他人の世界今日は友人を引き連れ、客としては2度目の神戸ビエンナーレへ。 1人は体調不良で来れず、1人は途中でダウンという、 季節の変わり目の洗礼をまともに受けつつも、 ファミリオとモトコーだけ回った。 写真はモトコーにあった店の写真。 まずはファミリオでアートインコンテナの作品を鑑賞、体験。 「人工地形」 どこの国のどこだったか忘れたが。 これを見ると風の影響で緩やかな曲線を描いた茶色の谷を思い出す。 が。作品のタイトルからすると、これは人工だ。自然じゃない。 大きな差と言えば、デジタル的な曲線という点じゃないだろうか。 あくまで一つ一つがその大きさ、形にきっちり作られていて。 結果的に段差となり、それが連なっている。 そう見れば、人工らしいと言えばらしい。 そこまではさておいて、その奥にある映像は何なのか。 神戸の町並み、とは言うが。どこか映像に気持ちを感じない。 いわゆる、広告的な映像。これも含めて人工なのか。 これが人が創り出した土地、神戸か。そうか。 これ「だけ」なら、オレは神戸を好きにはなれないな。 「白昼の夜空へ」 田舎住民からすれば、見慣れたもの。 田舎のベンツ、トラック。それが都会にある。 乗り込めば、嗅ぎ慣れた車の匂い。そして目の前に続く道。 後ろを振り返れば牛。コンセプトに沿ったものだろう。 そして壁に貼られた一列の写真。牛が会場に来るまでの道のり。 何も考えずに見ても、牛に愛着が持てる。どこか牛に何かを思う。 でも。この牛はどういう目的で運ばれるのか。 そこまで考え出すと、この牛がどこか幸福と思えない。 そんな偏見を持つ自分が嫌いだ。 この世の牛がすべて不幸だとでも思っているのかオレは。 「THE STARRY FOREST」 暗くて写真が全く取れない中、白い木が無数に並べられている。 森を表現するためか、壁にも白く木が描かれている。 奥の方をよく見れば、無数のライトが見えた。 恐らく星を表現してると思われる。 ここで「暗い暗い」と文句を言いはするものの。 現実の夜の森とは本来もっと暗いものだ。 そこから比べれば、会場の明るさが漏れるあの状態は、まだ明るい方のはずだ。 明るさを求めることが当たり前になっている日常。 星の輝きを忘れた日常。どこか怖い。 「CONQUERORS' LURE」 遠目に見ればよく分からない模様のように見える。 近付いて初めて、それが骸骨だと理解する。 その道のりは徐々に狭くなっていって、 最奥では骸骨が鏡によって永遠に続く。 綺麗に並べられた骸骨は、まるで工場を思わせる。 家畜、とでも言うのだろうか。 その末路として処理され、こうやって機械的に並べられたかのような。 そんな気さえする。 きっと何も思われるまま生きて死んだんだろう。 相手が人だから悲しいと思うのなら。 人故の罪のようにすら感じる。 「道のり」 どろどろとしたイメージの茶色の布、糸が垂れ下がる洞窟。 少し曲がりくねった道を奥に進めば、 そこはまるで何かの巣のように、白い糸で空間ができている。 茶色と白という色の差の効果なのか、 不安と安心という気持ちの差が浮き彫りになる。 どうしてだか、奥の白い空間に居座りたくなる。 どうして茶色ではダメなのか。考えてみれば変だ。 本能なのだろうか。わからない。 ただ、茶色の洞窟の途中で立ち止まることに 不安、不安定さを感じることに驚く。 今日はここまで。 頭痛がする。 |