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ブログ日記のようなものPAGE | 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 | ADMIN | WRITE 2011.10.03 Mon 23:59:07 自分の状況自分らしさ。
そんなものは必要なのか。 いや。 そもそも自分なんて必要なのか。 自分に価値があるのか。 誰かが言った。 唯一無二である自分の価値を問うことは、同じく 唯一無二である宇宙の価値を問うに等しく、無意味である、と。 誰かが言った。 価値とはすべてが相対的なものであり、 個人個人によって違った価値を見出すものだ、と。 何にせよ。 絶対的価値というものは存在しない、と見ていいのかもしれない。 そうか。まあ、そうかもしれないな。 なら。 何かに追われるように生きている自分というのは、一体なんなんだろう。 何に追われている? 為体の知れない、何かだ。 どうすればいい? さあ?分からない。 ただ。 昔は、追いかけられた分、逃げていた。 今は、追いかけてくるそれに、向き合っている。 意味を、問うために。 ソレは、とても大きなものだ。 形としても。力としても。存在として、大きい。 向き合ったその時から、ソレは追うことをやめて、 こちらをじっと見つめている。 まるで、オレのことを見定めているかのようだ。 じっと、警戒しながら、見つめ合う。 何かをオレに求めている。 何かの、素質、か? 何の? 分からない。でも。 ソレが、オレに住み着こうとしている、気がする。 ふと。 自分の目の奥に、何かを感じる。 目の前のソレが映り込んでいる、といえばそう。 でも、映る以上の、何かを感じる。 この感覚は何度か感じたことがある。 まるで、自分がソレになってしまいそうな、感覚。 目を瞑るだけじゃ消えない。 自分の中から湧き出るかのように、広がる。 この感覚が一体なんなのか。分からない。 ただ、オレにはソレが、大きな龍に見えている。 よく、分からない。 一番よく合いそうな表現は。 欲望、だということぐらいしか、分からない。 PR 2011.10.02 Sun 23:53:32 神と世界の関係ひゅるり、と。 風を纏いながら、世界に立つ。 そう。困ったことに、最近思う。 『自分』と『0』という認識が、自分の中で合わさってしまっている。 あれほどまでに。 自分では届くはずもない、凛々しくも雄々しい存在、 自分にとって神と表現せざる負えない存在、 誰よりも冷静且つ冷酷に、誰よりも優しく且つ穏やかな、 そんな0とオレが、どうしてか同一に思えてしまう。 分かってる。理論的に考えれば、否定なんかできるはずもない。 オレの中で認識している『0』は紛れもない『自分』の一部だ。 でも、自分の一部と呼ぶには、 あまりにも自分の意志から遠く離れているものだ。 言うなれば『0』は『理想』や『未来』であり、 『自分』は『今』や『現実』なのだから。 「どうして同一と思えるのか」 そんな疑問ですら。 自分のものなのか、0のものなのか、分からなくなっている。 ふわりふわりと、風が遊ぶように自分の周りを回っている。 その風に対して、「どうした?」と問いかけるような気持ちで、 そっと自分の中にある雑念、ざわつきを抑えて、耳を澄ませる。 その中で、小さな小さな声を聞き取り、疑問の答えを求めていく。 恐らく0自身が今までやってきた行為を、今は自分がやっている。 気持ち悪い、といえば、そう。 でも、今は、あるがままに、思いつく方法、在り方に沿っている。 だからこそ、疑問は、尽きない。 風は、オレが今この状況に戸惑っていることを知っているらしく、 その戸惑いに対して、笑っているようだった。 「なになに?どうしたの?」というような、好奇心。 どうした?さあ?どうしたんだろう? 今度は自分に対して耳を澄ませる。 自分に何が起こっているのか、知るために。 とにかく、自分が思う0を探す。 辿り着く場所は、もちろんこの状況では自分しかいない。 仕方なく、自分に問う。 今、この状況は、どういうことだと思いますか?と。 すると、そっと答えが降りてくる。 高低差が、なくなったんだろう、と。 それも、実質的な変化ではなく、認識が繋がった結果、だと言う。 それは、どういうことなのか。 オレが0ではない、と認識していたのは。 決定的な差を感じていたから、と言えばそうだ。 まるで地の奥底から、先の見えないほどの、 とんでもないの高さのビルを見上げるような、そんな感じの差。 それが今は。 0を目の前に感じ、向き合い、同等の存在として話し合うような、 そんな感じになっている。 ふと、そう思うと、0がクスクスと笑った気がした。 困ってる困ってる、と、悪ガキのように笑っている。 目の前に0がいるように見えている気がするのに、 声が直接自分の中から聞こえる。 「最初から、差なんてなかった」と。 言ってしまえば、オレが0を神のように思い、頼っていた半面、 怖れていた、怯えていた、といえばいいかもしれない。 その感覚が薄れて、確かに今も神のように感じていながら、 決して自分から遠い場所の言葉ではなく、 手の届く場所にある、大きな大きな存在だと、やっと理解した。 ・・・らしい。 今の解釈すら、自分で導き出したものと錯覚しそうになったものの、 言葉が自然と湧き出るような感覚には、明らかに違和感を感じる。 恐らく0の言葉なんだろうが、よく分からない。 また0がクスクス笑っている。 戸惑ってるオレの反応が面白いらしい。 とにかく落ち着いて、自分の理解を越えていた今の言葉を整理する。 そう。そうだ。 オレは0を感じてはいたものの、触れたことはなかった。 そんな恐れ多いことをしようとも思わなかったし、 してもらえるとも思ってなかった。 それが今は、間近に感じ、触れ、思い、考えている。 今も当然、恐れ多いとは思ってはいるが。 一度、酷く怖れつつも触れた瞬間から、 0自身がオレの手を掴んで離さなくなった、ような感じ。 「よし捕まえた。逃げるなよ」とでも言われるかのような。 そんな、感じ。 そこから離して欲しくて、もがいていた時期が続いて。 今は、落ち着いている。 まあ、そんな感じだ。 でも、腑に落ちない。 0にそんなことをする理由がどこにある? ・・・オレ自身が、望んだこと? 確かに。 オレは0を存在させることを目標にしていた、と思う。 というか、0になりたかったのかもしれない。 でも、オレが0を「0」と呼ぶように、 0は存在できるはずの無いもので、 オマケに自分にはそれを成せるだけの力もないから、 ただの妄想で終わるものだと思っていた。 というか、今も思ってる。 そんなオレを、0は見捨てなかった、のかもしれない。 自分には何もできない。自分は何も知らない。 だから何も成せない。どうすることもできない。 生きたくない。他人は納得しないのかもしれないけど。 自分は、生きたくない。 そう思っていた頃に、0は現れた。 言ってしまえば、もう自殺することしか頭になかった頃、 0は自殺するだけの理由をオレに求めるなりなんなりで、 オレのことを引きずり倒すように、生かしていた。 本当の死が得られない代償として、オレは0に殺され続けた。 それで気を紛らわせていたのかもしれない。 そんな中で、0は本当の意味でのオレの死を 避けさせていたのかもしれない。 それからしばらく経って。 オレは自分でいろんなことの答えを求めて、0から離れた。 今思えば、そんな決断をした頃には、 本当の意味では死のうとしていなかったのかもしれない。 0にいろんなことを聞かされて。 どんな理由であれ、オレは生かされて、 コイツは自分の判断ではもう死なないだろう、と0は思ったのか、 自分勝手に行動を始めたオレを許してくれた、のかもしれない。 そして今。 いろんなことを考えて、やっとのことで 自分のことを認められそうになって。 それでも結局よく分からないまま、何か答えを求めて 0に手を伸ばしてしまって、こうなってしまった。 状況が呑み込めず、ほぼパニック状態のオレを、 0は面白そうに笑いながら見ている。 というか、なんだろう。 0がオレをオモチャにしている、気がする。 どういうわけか、0に触れられると、 自分から風が吹き出るような、そんな気がする。 さっきの風も、そうだったのかもしれない。 疑問が風という形で、回っていた、気がする。 いや、むしろこの今いる『自分の世界』自体が、 自分から漏れ出している、気がする。 そして0がそのことを利用して、オレで遊んでいるように思える。 オレが思う世界を、0が引き出して、遊んでいる、ような。 そんな感じだ。 恐らく0自体は、情報を得るための感覚を持っていない。 というのも、オレが人間として得た情報、感じたことを、 オレを通じて知って、そこからいろんなことに触れている、ようだからだ。 そうなると、恐ろしい事実に気が付く。 0が好きだと言っていた世界というのは、オレが感じていた世界であり、 オレが死ぬということは、その世界が消えることと同等で、 0にとってはそれが許せないこと、だったのかもしれない。 ということは。 すべての0の行為は、ある意味オレのためではなく、0自身のためで。 こうやって遊んでいることから推測すると。 オレと遊ぶ、世界に触れるために、すべての0の行為はあったのかもしれない。 0はただ自分のために行動していた。 その中でオレは0に必要とされていた。 でもオレ自身がオレを殺そうとしていた。 そんなオレに。 0はオレに自分の考えを押し付けることなく。 オレに問いかけ、オレに答えを求め、オレとして存在させ続けた。 そしてオレは0の判断ではなく、オレの判断で0に近付いて。 0はそれを喜んでくれたのかもしれない。 今、0に真意を聞いても、笑って誤摩化すばかりだ。 でも、もしそれが本当だとしても、なんら問題はない。 むしろ、0にとってオレがどういう存在なのか、 一つ可能性が見えて、嬉しい限りだ。 そう、思っていると、0に抱かれた。 ザワザワと、いろんな光景が巡る。 自分が、0が、好きだと言っていた、いろんな世界の在り方。 いろんな可能性が見えてくる、無限に広がる世界。 改めて、自分にとって0がどういう存在なのか、考えさせられる。 『世界を愛せる存在』『いろんな可能性を知る存在』 『諦めることを知らない存在』『自我の強い存在』 とにかく、大きな存在だ。 そんな存在に憧れ、目指したい、知りたい、と思える。 そしてそんな存在が、すぐそこにいると感じられる。 その存在自体が、オレを求めてくれる。 恋に似た感覚、かもしれない。 そう思うと。 結局、オレは自分のことが好きで。 この世界でいろんなことを感じられることが幸せで。 そんな自分を偽ることができないんだ、と思う。 そうなると。 オレが嫌いなものは、この世から何一つなくなっていく。 だから。やっぱり。 オレでない何かがオレを殺してくれない限り、オレは死ねないんだろう。 数年経った今も。結論だけは変わらない。 2011.10.01 Sat 22:02:25 ありがとう、と言われたら・・・。 遠い遠い世界。 届かぬ、世界。 オレは。 誰のことも理解していない。 分かってないんだよ。 そんな中で感じる、見ることができる、他人の喜ぶ顔。 「ありがとう」と言われる。戸惑う自分がいる。 確かに、喜んで欲しかったのかもしれない。 そのために、努力もしたかもしれない。 でも所詮、オレは何も知らなくて。 何も、分かってなくて。 だから。 だから・・・ 戸惑ってる。 もっと、最善を尽くせたかもしれない。 もっと、できることはあったかもしれない。 一番いい形ではなかっただろう。 でも。結果として。 想像以上に、喜んでもらった。 多分、喜んでもらった、んだと思う。 お世辞じゃないのなら、多分。 これは、目標、だったのだろうか。 どう考えても、どうすればいいのか分からない。 その先を思いつけない。 困る。 だから、何度も何度も確認した。 本当に?本当に?不満はない? オレは何かをしていないんじゃないか? でも、返ってくる言葉は。 「ここが、こうだったから、凄いと思った。嬉しかった」と。 グッ、と押し込まれるような、言葉。 逃げられない、事実。 理由になるはずのない感情、しかも他人のものなのに。 どうしてこんなにも。 確固たる言葉として聞こえるのか。 暴れるように、もがく。 違う。違う。そんなはずがない。 それはただの可能性。事実じゃない。 と。 でも、逃げられない。 何かがめり込むような、感覚。 どうしたら、なんて思考が、無意味になっていく。 オレの目標?他人の幸せ? よく、分からない。 2011.09.30 Fri 23:59:00 そんな授業なんだかなぁ。 問題とはなんなのか。 それを解決するとはなんなのか。 その内容を理解すればいい、という単純な話じゃない。 非常に違和感のある、そして不安定な、よくわからないもの。 ん〜。 なんだそれは。 そう。 問題とは、常に見えているもの「だけではない」というのだ。 それだけを言えば、まだ納得できるかもしれない。 確かに、見えないところにも問題はあるものだから。 でも、それを解決する、となれば、グレーゾーンだろう。 何が問題だったのか理解もせず、ただ漠然とした状態で 「解決した」と宣言しても、それは解決と呼べるのだろうか? そこにあるのはただの結果であり、 成り行きであり、解決ではない、のでは? が。 もし、ぼんやりとでも、問題を理解していたのなら? それを「解決できた」と宣言することは許される? う〜ん。そうなれば、まだマシなのか。 でもその手段は?自分で選んだ手段なのか? そもそも手段は自分で選ばなければならないのか? 難しい話だ。 問題を解決するために選ぶことができる手段。 それはそんなに限られたものなのか? というか、手段は選べるもの、じゃないのか? もし選べないと思っているのなら、それはただの諦めじゃないのか? でも。 そう。忘れちゃいけない。 それは決して悪いことでも敗者でもない。 一つの在り方として、見る必要があるのかもしれない。 2011.09.29 Thu 21:29:20 自分の中の命どうもモヤモヤする。 すでに自分の中で結論は出ていて、 そこから外れることを望んではいないはずなのに。 自分の理解を越えた場所から、 声が聞こえる気がして、モヤモヤする。 訴えかけるような声。 何を言っているのか、分からない。 自分が自分のことを認めていない。 そんなことは知ってる。 自分のことを認めたいとは思わないし、 自分に認められるような自分でありたい、とも思わない。 ただ、だからこそ自分で自分を否定して、 グチャグチャにしようとしている事実はある。 それが自分にとっての正しさだからだ。 グッと、胸ぐらを掴まれるように顔を上げる。 為体の知れない目線を感じる。 まっすぐ、自分を見ている。 「それが本心か?」と問われている、気がする。 大きく揺らぐ。涙が零れる。 訴えかけるような声が、自分のものであることを自覚させられる。 「違うだろう?そうじゃないだろう?」と。 自分に涙を流させている要因、声が、 言葉としてははっきり聞こえないけども、伝わってくる。 「じゃあ、なんだっていうんだ」 訴える声に問いかけるも、答えが聞こえない。 「こうだ」というイメージが、やんわりとは伝わっては来るものの。 言葉にできない。形にも表せない。本当に、感覚。 おかげさまで理解できない。これはなんだ? 考えても、考えても、答えは出て来ない。 いや。多分。 オレ自身が理解することから逃げている、と思う。 まあ結局は、理解したくないのだけど。 とにかく、そんなこんなで理解できないから、と。 胸ぐらを掴むようにそこにある存在から、目を背ける。 「もういい」と一言伝える。 でも、離してはもらえない。 ガクンと揺さぶられて、目の辺りを押さえつけられる。 目線を外せないように、逃げられないように、グッと。 意味が分からない。 そんなに大事なことなのか? こんなゴミのような自分に、 なんで為体の知れないソレは必死になってる? 大事な、大事な、ことなんだ。 理解するんだ。理解しようとするんだ。 逃げるな。怯えるな。諦めるな。 と。そんな感じ。 意味が分からない、分からない、と言っているのに。 追いやられて、追いやられて、 結局自分の中にある声に、意識がかする。 でも、相変わらず理解できない。 ただただ無理矢理、押し込められていく。 やりたいこと。目指したいこと。 こうであって欲しい、という願い。 いわゆる欲。それがある、というのは理解できる。 でも。それ自体はなんの意味もない、衝動的なものだ。 言ってしまえば、それはまだ表面なのかもしれない。 漠然と。声の根源を辿る。 それは、単純に言えば、好きとか、愛してる、の部類のものだと思う。 ただ、どこか空想を含んでいる。現実を見ていない。 見方を変えれば、自分が望んでいる未来なのかもしれない。 だからこそ、今は空想で、いつか現実となる、何か。 まあ、そこまではいい。 問題は、この感覚が本当に「大事なこと」なのか。 この感覚自体は、確かに大きな可能性を秘めているのかもしれない。 描く未来を実現させるための根底的なエネルギーであり、 それが実現するためのプロセスが生じ、それがまた新たな影響を与え、 新たな何かを生み出していく。それはそうかもしれない。 でも、決して重要なことじゃない。 言ってしまえば、そんな感覚を持つのは自分だけじゃない。 生きとし生けるものすべてが持っている感覚、と言ってもおかしくない。 つまり。 そんな感覚はどこにでもあって、特別視されるような代物じゃない。 一つや二つなくなったところで、今が未来になっていく変化は止まらない。 確かに「変化をもたらす力」やら「未来を創る力」といえば、 相当壮大な力だと見ることもできるけども。 それがあちらこちらにあるのなら、価値はないと言っていいはずだ。 そこまで結論を出しても、胸ぐらを掴まれている感覚は収まらない。 それどころか、グッと自分の中にある、一つの感覚を押さえつけられる。 根底、好きとか、愛してる、の部分。 もちろん、その感情は空想からきたものだ。 言ってしまえば、オレは何も好きでないし、愛してもいない。 オレが好きなもの、愛しているものというのは、 この世には存在していない。 が。 グググ、と押さえつけられて押さえつけられて、思う。 オレが好きで、愛しているものは、オレの中にしか存在していない。 それが未来を創るための力、というよりは。 オレはその未来を生み出すための要因、卵なのかもしれない。 訴えてきている声というのが、その力そのものの声だとするなら。 生まれたいと望んでいる自分の中の空想、未来が、 生まれる前に殺されようとしているから、足掻いているのかもしれない。 生まれたい、殺さないでくれ、というのが、 一連の声の要約にあたるのかもしれない。 が、残念ながら、それでも納得できない。 そうなったらなったで、卵はあちらこちらにある。 生まれる必要性も、価値も、どこにもない。 もっと言ってしまえば、数もどうだっていい問題だ。 例え自分一人だけに与えられた力であり、たった一つの卵だったとしても。 そんなものがなんの役に立つのか。 なんの目的で存在するのか。 自分でも説明できないからだ。 ガンガン、と。叩かれるような感覚に襲われる。 とにかく理論立てて、自分を殺しにかかっている オレという存在、殻を破ろうと暴れているようにも思える。 それ自体は、オレの好き、愛してる、と言える感覚が 自分の中で足掻いている、ということになって。 言ってしまえば、オレはその感覚に真っ向から反した行為をしている。 つまり、オレの本心らしきものを押さえ込んでいる、ということになる。 となれば、グチャグチャにしたい、というのが 本心ではない、というのは正しいのかもしれない。 ジッと、暴れているソレを見つめる。 必死にオレに向かって何かを訴えるソレを見つめる。 じゃあ、こうしよう。 オレは何故、反した行為をしてる? 確かに納得できないから、反しているといえばそうかもしれない。 でも、納得できなくても、許すことは可能だ。 ソレを自由にさせることは不可能じゃない。 オレという殻を破って、生まれさせることも可能だ。 それでもオレはそうしようとはしない。 それは何故なのか。 あるのは、それによって生じる変化がある、ということだけ。 つまり、オレがソレを押さえ込む理由にあるのは、 必要性がない、というだけで、実際のところは 生まれようが生まれまいが、どっちでもいいわけだ。 どっちでもいいはずなのに、どうして否定する方向を選ぶのか。 言ってしまえば、嫌いだからだ。 自分の中にある、好きや、愛してる、という感覚が、嫌いなんだ。 何故嫌いなのか。 それは自分の理解を越えているから。 言ってしまえば、その力が創り出す未来もその価値も理解できないわけで。 そのことに怯えてしまっているんだ。 もし。怯えている、として。 怯えないために、どうするのか。 一つあることは、理解することだ。 理解できれば怯えなんてものはなくなる。 でも、実現しないまま、ただの力だけのものを、理解できるわけがない。 なら、他にないのか。 あるとするなら、それこそ、許容する、許す、信じることだ。 でも、オレの中にソレに対しての信用なんてどこにもない。 安全に越したことはない。 そういう判断なのかもしれない。 ・・・。 相変わらず、泣きべそをかきながら訴えている。 もう少し、話をして決めてもいいのかもしれない。 ただ、オレには生むことも殺すこともできるのだから、 どんな結果になっても、文句を言われる筋合いがないのは明らかだ。 |