忍者ブログ

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

最新コメント

[07/13 ♀はっか]
[07/13 ♀はっか]
[07/11 ♀はっか]
[07/11 ♀はっか]
[03/16 空竜]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
空竜
性別:
女性

バーコード

ブログ内検索

アクセス解析

忍者アナライズ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

理想とは

社会に真理は必要ない。
社会が求めるのは自分たち全体の
成立ちを守るための知識と技能。
そこには疑問も無知もあってはならない。

社会に従い生きるのなら、
社会が行う教育を「そのまま」
受け止めなければならない。
疑念を抱いてはならない。
答えは自分の中にはない。
許されるのは教育で得たものだけ。
また自分が誰かを教育するとしても。
自分の解釈が社会にとって「正しい」ものなのか、
社会に絶対的保証をされなければならない。
疑念も。教育によって得られた解で。
すべて打ち消さなければならない。

自分勝手に抱いた疑念は
いつか社会を壊すか、
自分を社会から追放するだろう。
それが社会が抱く理想であると。
私は思う。

疑問とは概念の破壊だ。
すべての概念を破壊する強靭な力だ。
社会どころか、家族も、親友も、知り合いも、
愛人も、国も、自然も、世界も、宇宙も、
その宇宙すら包容する何かも、
疑問を抱いた自分自身すら、
絶対的と保証されたはずのものが、
疑問によってその在り方を崩され、形を失うほどに。
破壊される。
疑問の答えを求め、行動する誰かがいるのなら。
その行動は、自分の能力が許す範囲のものすべてを、
破壊していくだろう。
答えを得られない疑問は、時には純粋な疑問として。
時には恨みとして。時には不満として。時には争いとして。
大きく変貌し、何もかも失うだろう。
その疑問の解に、微塵の曇りもない本当の正しさ、
真理を求めるのなら。それが理想だと言うのなら。
お前は世界の敵だ。

今の社会が理想とし、必要としているものとは何か。
もし、その問いに「私が思う社会」の解で
答えるのなら、私は「平和」と答えるだろう。
もし、その問いに「私が思う正しさ」の解で
答えるのなら、私は
「社会に疑念を抱く人間を、
社会に影響を与えずに、
社会から抹消するための知識と技術」
と答えるだろう。

もう一つ。

愛とは。
何かを思い、考えることらしい。
哲学とは。
知を愛するために考え、学ぶことらしい。

真理とは。
すべてを構成する基礎となる理であり、
世界は真理による演算結果であり、真理そのものではない。
自分が見て触れて感じる世界の中に真理は存在しない。
今この瞬間、演算によって生じている「自分」の中。
意識的、無意識的に行われている演算を逆流し、
最早「これは自分である」と
自覚することができない領域こそ。
真理に一番近い場所なのかもしれない。
ここには「存在するもの」として触れてはならない、
何も、まだ、存在していない。何もない場所。
これは「存在することが理想」とするものが
目指すべき場所ではない。
そこには。意味も。価値も。存在できない。
この世界は。永遠に孤独であるべきだ。


あぁ。そうだ。
今日、初めて「葛藤」を理解したよ。
嘘を付いたつもりはないのに、
辿っていけば矛盾していた。
嘘ではない、と思っているのに。
どうやってもどちらかが否定される。
葛藤して対立する、正しいものと、正しくないもの。
正しいものの中で正しくないものを定義できない。
正しくないものの中で正しいものを定義できない。
正しい判断の中では正しくない行為はできず。
正しくない判断の中では正しい行為はできない。
自分の思考は正しくない、とする自分の思考は正しいのか。
自分の思考は正しい、とする自分の思考に
正しくない部分は存在しないのか。
何一つとして。答えが出ない。
初めてだった。
なんだか、驚いた。

拍手

PR

あぁ

何故。
諦めてくれないのか。
それが納得いかない。


拍手

誰も理想を理解してくれない


なんかもう。
どうでもよくなってきた。
自分が生きようが死のうが。
どっちだっていい気がしてきた。
いや、それは元から分かってるんだけど。
どんなに死のうとしたって。
自分も含めて誰も殺してくれないし。
なんかもう。
拗ねたくなってきた。
拗ねていいよね。
ふーんだ。

拍手

引かれ歩む


大きな何か。
その何かを砕いて破片にして。
まとめたいんだけど、まとまらない。
一つの形にしたいんだけど、形にならない。
こんな感じにしたい、というビジョンはある。
でも。砕くだけでも大仕事。
派手に砕けば砕くほど、大仕事。
そして。
砕いた分だけまとめて形にするのも、大仕事。
今はまだ砕いてる。
そして1週間かけて砕いたものを、
明後日までに形にしないといけない。
もう、いいかな、とも思う。

妥協しようかと、心に思う。
こんなに砕く必要もない。誰も求めてない。
やめてしまえばいい。
そう思う。
なのに。どうしてかな。
為体の知れない何かが。
立ち止まろうとしているオレの手を引いて、
歩かせよう、走らせようとする感覚。
オレが目指そうとしたビジョン、目指そうとした場所に向かって。
グイグイと。引かれる感覚。
もう見失ってもいい、と、目を逸らそうとすれば。
「ダメ」と言わんがばかりに引かれる。
それも、叱るとか怒るとかそんな感じではなく。
泣きつかれるような、感覚。
なんで悲しそうにするんだ。
こんなことをしても無意味なのに。

振りほどこうと思えばできると思う。
そんなに強い力じゃない。
引かれるがまま従う理由もない。
でも。
自分ではない誰かであって、自分ではないはずなのに、
その誰かはまるで自分のことのように悲しんでいる。
止まりかける度に、オレの方をジッと見つめて。
満ちあふれているところも、穴が開いているところも。
オレの中を全部見透かすように目を細めて。
泣く感じ。
見透かされていると感じる度に、
ふわっと何かがそよ風のように通り抜ける感じがする。
身体が少し、軽くなる。
応援されている、と錯覚しそうなほどに。

応援なんて誰もしていない。
価値も意味もないから。
そのくせに誰かを傷付けかねないから。
ごめんよ。
オレが変なビジョンを描くからいけないんだ。
変な目標、変な目的地を思い描くからいけないんだ。
辿り着けないからって、泣かなくていい。
泣かなくて、いいんだよ。
それすら無意味なんだよ。

拍手

自由な我


ずっとずっと。
今日一日無意味なことをしていた。
誰のためでもなく。
自分の満足のためだけに。
ずっとずっと。
字を書いていた。
本の内容を理解しようと。
文章を分解して。組み合わせて。考えて。
あぁでもない、こうでもない。
そんなことをやっていた。
誰のためにもならないのに。

当たり前や常識に従うなら、必要のないことだろう。
求められていることをするのなら、必要のないことだろう。
どんなに時間を裂こうが関係ない。自分勝手で。無意味だ。
なんでこんなに必死になっているんだろう。
なんでこんなにがむしゃらになっているんだろう。
パッと思い浮かぶ理由は。
「自分の我が儘を無意味だと証明するために」
なんだけど。
本当は。
どうだろう。

自分に我が儘を一瞬でも許されて、
嬉しくて、張り切っているんだろうか。
そんな気もする。
楽しそうに笑っている自分の気配がする。
自分は、楽しそうだ。幸せそうだ。
まあ、無意味だけど。

これで周りからケチョンケチョンに言われれば、
それだけでノルマ達成、証明完了だ。
じゃあもし、そうならなかったら?
自分が、ケチョンケチョンに言うだけ。
自分なりの証明の道筋を言うだけ。
そうなってしまえば無意味だけど。

喋るだけでも正直許すべきか悩むところだ。
でもまあ。
「人に教えろ=人を洗脳しろ」だと思ってるから。
他人を自分色に染めることを許した感じで。
本来なら絞め殺すところだなぁ。
本当に。
これが終わったら、再帰不能になるまで叩き潰してやろう。

拍手