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ブログ日記のようなものPAGE | 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 | ADMIN | WRITE 2010.10.29 Fri 23:03:12 我が儘のようなもの悲しいってなんだろうな。苦しいってなんだろうな。 言葉自体は誰かから教えられたものだから、本当の意味をオレは知らない。 ただ。涙を流すことはある。胸の奥底が痛むことはある。 でもやっぱり。その原因を知らない。 何故泣いてしまうのか。何故痛むのか。 問いかけても答えてくれない。それでも何かを訴えている。 理解してやれないことが、一番辛い。 必死に何かを伝えようとしてる。いつだってそう。 どうしたの?と聞けば、全力で涙を流して痛みで訴える。 常にそう。 しがみつくように。 絞り出すように。 願うように。 何かを訴える。でも何も理解してやれない。 こうか?と聞いても首を振る。 違うのか?と聞いても首を振る。 こちらから聞いても、答えは一向に見えない。 問うこともやめ、ただ耳を傾ける。 涙や痛みを、ダイレクトに受け止める。 そうしてやることで、やっと落ち着いていく。 でも落ち着いていくだけで、結局何も分からない。 それでも満足なのか、そばまで近寄ったオレのことを離さない。 ひょっとしたら淋しいのかもしれない。 そこにはコイツと自分しかいない。 他にあるとしても、それはすべて幻であって本物じゃない。 ただのイメージ、とでもいうのだろうか。 だからそこにあるのは記憶と妄想だけ。おもちゃが転がってるだけ。 一緒に遊んでやれるのは自分だけ。 そんなことは分かってる。 でも、コイツが満足したところで意味はない。 オレの理解できない場所で世界は回ってる。 理解できなくとも、理解しようとすることはできる。 1%でもいい。理解して世界のために何かをしなければならない。 知らず知らずに奪ってしまったものへの謝罪を。償いを。 そうやって突き放した瞬間から、もう泣き出す。 自分だけを見ていて欲しい、と言わんがばかり。 そんな我が儘に付き合ってはいられない。 でも。オレがしようとしていることは。 世界の我が儘を聞き入れることかもしれない。 だったらオレは何故コイツの我が儘は聞いてやらないのか。 ゴミどころか塵よりも小さいから? いや。違う。そう思う部分もあるけども。 きっとそうじゃない。 オレは分かってる。コイツのことなら分かってやれる。 でも世界のことは分かってやれない。 コイツがどうなっていくのかを、オレは見届けられる。 でも世界相手じゃそれは絶対無理だ。 泣いていても笑っていても、分かってやれない。 それが『いけないことだ』と感じたことがあった。 その時、想像もできないことが起こった。 自分の中のおもちゃでは到底表現できないものが目の前に現れた。 自分は、コイツは、それを『いけないことだ』と感じた。 でももしそうなら。どこまでいってもコイツの我が儘だ。 自分の予想内に収まらないことを、 自分の判断でいけないことだと言ったんだから。 思った通りにならない世界に腹立てたんだ。 だから想い通りにできるようになる時がくるまで、 オレはコイツを突き放そうとしてる。 ただ今になっては、世界がオレを想い通りに動かすことになりつつある。 結論は、何も願わなければその想い通り、願い通りになる、 ということなのかもしれない。 そもそもどうして世界にまで手を出そうとしたのか。 自分の中には、世界以上に自由な空間があって、 しかも想い通りにできるのに。 だからこそ驚いたんだろうか。悔しかったんだろうか。 そんな気もするけども。どうなのかは分からない。 ・・・あぁ。なんとなくわかった。 きっとコイツは自分の所有物でなくなったオレに 我が儘全開で接しているんだ。 今のオレはコイツのためでも、世界のためでも、動けない。 コイツのことも世界のことも分からなくなって。 宙ぶらりんなんだ。 お前はオレにどうして欲しいんだ。 言葉にはできなくても、感じ取ることができるのが幸い。 しばらくはそばにいてやってもいいかもしれない。 聞くべき我が儘を思い出してもいいかもしれない。 世界は。 そんなオレを。コイツを。きっと殺してくれる。 それでも本当は頼りたくない。 いや、頼ってはダメだ、と、誰かに教え込まれてしまったのかもしれない。 自分で死ねばいいのに。まったくその通りだ。 PR 2010.10.28 Thu 23:58:41 世界観を思い返す最初から最後まで自分しかいない。 それは悪いことでも、良いことでもない。 ただそういう事実があるだけ。 そのことをふわりと受け止めていく。 そういうものなんだよと、自分にそっと言う。 違和感を感じて眉をひそめたくなる自分に、改めて思う。 自分は『ありのまま』を受け取れなくなっている。 何事にも、問いと答えを求める自分。 説明できないことはない。疑問があれば答えはあるはずだ。 それを自分は知らないだけで、求めれば手に入るんだ。 そう思っている自分がいる。 でも本当は違う。全部自分が創り出しているだけ。 だから本物はそこに存在しない。 いつだって自分の作り上げた『空想の理解』や『空想の事実』の内側。 そこに閉じ込めるために本物を傷付け、挙げ句、 空想を空想と知っていて、その無価値さを嘆く。 自分の愚かさを重々知って、そうやって生きて来た。 オレは。 他人に自分のありのままを受け止めてもらえるとは思ってない。 その人が知らない一面が必ず自分にはあって。 それが表に出れば、その人を裏切り、傷付けることになる。 自分がよかれと思っても、それが人を憎んで殺すような勢いで 存在してるんじゃないか、とか。 そんな自分を他人は求めてないんだよ、と。 本当はその根底にあるものを何も理解していないのに。 守るべき『当たり前』がそれだと、どこかで信じていた。 それ自体が宙に浮いた定理だった。 根のない理論。自分が嫌った当たり前。 心のどこかで、その中に閉じこもることで、 自分に当たり前を教えられるとでも思っていたんだろう。 でも結局は、理解したくもない当たり前を創り出していただけ。 フワフワと浮いた、不安定な世界を創り出していただけ。 当然そこから学ぶこともあった。 それと同時に、何かが見えなくなっていた。 他人には自分のことが分からないから、 自分のありのままを、他人は受け止めてくれないんだ、なんて。 自分が自分の当たり前に閉じこもって、 他人の理解できない領域に閉じこもって、 それを絶対的だと思うようになる。 本当はそれで他人に『当たり前の愚かさ』を知って欲しかったんだと思う。 でも、だから自分は本当に愚かになった。 他人のありのままを受け止められない自分になった。 最終的に他人のみならず、すべてを受け止められなくなった。 相変わらず、何も信じていない、信じられない自分。 愚か者として自分を演じることは一旦休憩しようか。 他人に知って欲しかった愚かさを、自分が知るべきだ。 人の言葉を『当たり前だ』の一言で否定し肯定する行為。 まるでその人が、誰かにとって絶対的な存在であるかのように。 その人が振る舞っているという状況。 知っていたはずなんだ。自分は誰かを縛ることなんかできない。 自分の言動すべてが、他人にとってはただの助言やノイズでしかなくて。 それを受け止めるか受け止めないかを、他人が決めて行くべきなんだと。 そんな他人がいるということを信じていなかっただけ。 誰かの言葉を聞くことができる。 それを受け止めることもできる。 でもそれを自分の世界に閉じ込めるために壊しちゃいけない。いけなかった。 そう。ありのままを受け止める。 『違う』という概念を捨てる。 『そうなのか』とすべてを聞き入れる。 無理に理解せず、感じるがままを受け止める。 見捨てもしないが手出しもしない。 そんな心で、せめて一度は世界を見てみるべきだ。 最も自分の中で大きくなったもの。敵対心。 お前に何が分かる、と突き放したもの。 確かに理解からほど遠い。でも突き放すべきじゃない。 『当たり前』という言葉に恨みを持つこの心。 恨むべきじゃない。それもまた一つの大きな概念。 それは分からないことへの言い訳じゃない。 崩れることのない、絶対的とも言える平穏だという印。 だから信じることができる。 ただ、自分には信じたいものが他にあった。 それだけだ。 さあ。 自分が信じたかったものはなんだったのか。 それはきっと頭で理解できるようなものじゃないんだろう。 感じている。よく分からないもの。衝動。直感。 それがもたらすものに怯えるのはやめよう。 受け止める。受け止めるんだ。 まずはそこから。 2010.10.27 Wed 23:58:12 考えだけの世界本当に的を射た言葉は。 否定するつもりでその言葉を見ても、うなずくことしかできない。 嘘偽りのない言葉。同情よりもさらに確固たるもの。 そういう言葉を目の当たりにすると、今まで自分が出して来た結論において 何が正しく何が誤りなのかを思い知らされる。 そしてそんな過去の産物以上の、新たな疑問と答えも与えてくれる。 自分を傷付けるためにある言葉ではなく、何かを気付かせてくれる言葉。 久しい感覚。そういえばそうだ。 自分は誰かを傷付けたくて言葉を綴るんじゃない。 気付いて欲しかったり、気付かせて欲しかったり。 本当はそうだ。でも結局傷付けて。 それが、恐ろしく怖い。 今日は。そう。 大きな大きな気付きをもらった。 自分を蔑む心とはまた別の、 自分を完全だと言い切るだけの力強いもの。 それはただの気付きでありながら、 信じることができれば本当に力強いもの。 自分から見た世界が、自分に教えてくれるもの。 前置きはまあこのぐらいで。 とにかくそんな話。 自分は不完全で。なにも知らない。 だから何もする権利が無い。 誰かのように、自分として生きることができない。 そう思っている。 でも。そんな自分が見ている世界。 確かに自分は知らない。知らないけども分かる。 世界は、不完全じゃない。 人の手を加えずとも、ゆるりゆるりと巡る。 数式のないところにも、完全たる何かが存在している。 そんな完全な世界に、自分がいる。 世界が不完全な自分を許している、なんてものじゃない。 世界は案に言っているのかもしれない。 こんな世界にお前が存在している。 それこそが、お前が不完全じゃないという証拠だ、とか。 重い重い言葉が、そこにあるような気がした。 確かに何も知らない。小さくて小さくて不要としか思えない。 それでも完全であり、世界を狂わせるような歪みを持って、 自分はここに存在しているわけじゃない。 それを知ることが、すべての始めにあるべきだと。 そんな言葉。 そしてもう一つ。 自分の成すべきことについて。 産まれたばかりだった自分の意識を追って、 そこにあった自分の成すべきことを思う。 あのとき。自分には『考える』という行為がなかった。 考えて得た答えから、自分の行為を決定するようなことが無かった。 いわゆる直感。 そしてその直感を頼りに生きた結果、オレは過ちを犯した。 それは恐怖になって、オレは考えることから逃げられなくなった。 でも。今でも考えずに行動することがある。 後々になって毎回後悔となって、自分に厳重注意するのだけども。 それでも抑えきれない、考えに囚われたオレからすれば、 大馬鹿もの以外のなにでもないもの。 それを見つめては貶す。が、貶すと同時に大きな何かを感じる。 自分を内側から突き動かす何か。それは果たして『エラー』なのか。 違う。それは間違いなく自分で。 あってはならないもの、ではない。 それもまた世界の一部として、完全な何かとして。 自分の中に存在する何かじゃないのか、と。 なのに自分はしょうもない思考で押さえつけ。 殺そうとしてる。 自分が望んでいる結果を求めても意味がない。 その結果を導くための思考なんかさらに意味がない。 考える、というのは、決して必要なことじゃない。 自分の中にある遊び道具でしかない。 遊び道具に自分を縛られてしまってはダメだ。 無から何かを創り出せる力。 それを扱う自分の本心こそ。 世界が自分に与えてくれた完全だ。 オレの本心は常に無気力だ。 考えが導き出した答えにのみ従い、 本心がそれに従わない場合は愚かと呼ばれ、裁かれる。 でも最近は考えるべきことから解放され、 徐々に徐々に、奥底から手を伸ばして来つつある。 ゆるくなった束縛をするりと抜けて。 遊びでしかない考えを越えて、力を持ち始めてる。 昔は自分の中で自由に存在していたもの。 遊んでいるつもりが規律となって自分を縛り付けて来たもの。 なければ良かった、と言えば嘘になる。 でも、それだけがすべてじゃない。 もっともっと。世界は広い。 オレの本心は自分の考えが見せる世界に絶望してる。 すべてか言葉にできてしまう世界。 すべてがプロセスとして処理できてしまう世界。 表面だけの仕組みが空回りする世界。 自分(本心)にまっすぐ問いかけてくれない世界。 そして何より、自分(本心)の存在を許してくれない世界。 そんな世界を感じて、泣いてる。 本心は知ってる。世界がこんな形をしているはずがない。 もっともっと。愛せる世界があるはずなのに。 考えが導き出した答えが、そんな世界を見せてくれない。 小さな小さな理論でねじ伏せられて。 それでも本心は逃げなかった。 その答えをまっすぐ受け止めて。 自分の自由を奪われても、幸せだと言ってくれた。 そんな優しさに付け入って。調子に乗って雁字搦めにした。 オレは。本当は。自分の優しさを知ってる。 散々貶しても貶しても、そうだね、と笑う自分を知ってる。 あんたは人を殺すんだろ、なんて言っても。 そうかもしれない、と逃げもせず答えてくれる自分を知ってる。 この世にお前は必要ない、と言い切っても。 そうだね、と流す素振りもせず、まっすぐ答える自分を知ってる。 そしてそんな優しい言葉を真に受けて。自分をでっち上げて。 罪人、馬鹿、といっていても。 幸せそうに笑ってくれる自分を、知ってる。 そんな自分を叱らない自分を、知ってる。 自分は自分に言ってくれる。 悪気があってそうしてたわけじゃないんだよね。 自分のために、誰かのために、そうしたんだよね。 ありがとう。 いつだって。そう言ってくれる。 本当は。知ってる。知ってるけど。 恨んでくれない自分が。一番嫌いになりそうで。 そんなこと。したくないのに。 だから誰かに恨んでもらおう、なんて。 もっとも馬鹿な思考が巡り始める。 それも止めない自分がいる。 どうして自分が自分の首を絞めるのか。 その答えを『考えて』出した。自分に怯えて、出した。 でもその答えに。本心は文句は言わずとも、何かを思ってる。 オレはその思いに耳を傾けたことがない。 考えに沿わないものを『無価値』と呼んだから。 じゃあもし耳を傾けたら、なんて言ってくれるだろう。 それ自体が罪のような気さえする。 その感覚が怯えだと本当は知ってる。 聞いてみたい。本当は。聞いてみたい。 そっと。哀れだ、と言われた。 本当は守りたいものを守れず。 矛盾だらけなのに信じることしか許されず。 得た結果を正ではなく負としてしか受け取れず。 常に考えの種を求めて。 種を見つければまた考えで雁字搦めにし。 ありのままを受け止められない。 常識も愛も永遠に理解できない。 それでも必死で。哀れだ、と。 自分を自分に認めて欲しいとは思わない。 誰かに自分を認めて欲しいとは思わない。 でもどんなに必死になったって何も手に入らない。 自分がバラバラにできなかったものを見て泣く。 自分がバラバラにしてしまったものを見て泣く。 行為だけが残る。 痛い。悲しい。つらい。 どうしたらいいんだ。 どうしろって言うんだ。 本心にそんな気持ちをぶつけても。 そっと笑ってくれるだけ。 2010.10.26 Tue 21:53:04 問いふつふつとわき上がる疑問。 幾億と重なり合い、いくら問いかけてもきりがない。 問う度に自分の無知さを思い知り、絶望する。 答えを渡され、新たに疑問が産まれ、また絶望する。 なにも知らない。 なにも分からない。 確証のない自分という存在を。その自分が見るすべてを。 信じられるはずがない。 今日は。 とある問いが自分の中に落ちてきた。 それは自分自身が落した問いであり、自分への問いでもある。 中身はいつものように、自分の中のモヤモヤ部分への問い。 本当は世界のことを愛しているんじゃないのか? という問い。昔からよくしてきた問い。 いつも通り、答えは「はい」でも「いいえ」でもない。 自分は確かに世界を愛しているが、それは本当の世界じゃない。 氷山の一角どころか、自分が見ている幻。 何一つ世界であるとはいえない幻。 それを愛している。だから世界を愛してはいない。 そう回答した。 問題はその後だ。 直後に自分が泣く。心が痛む。 そんな感覚は昔からしょっちゅうだが、その理由は知らない。 知らないが、その時ふと思った。 心がオレの回答に泣いている気がする。 その答えを突きつけると心が泣き出すような。 そんな感じ。 本当は本当の世界を愛したいのかもしれない。 でも届くわけが無い。 自分は永遠に世界を知ることは無い。 小さ過ぎる。世界にとってオレは無きに等しい。 我が儘で傲慢な心だ。 そもそもどうして愛したいのやら。 愛してどうなるのやら。 世界のためにどうのこうのしたいわけでもなく。 ただただ自分のためにだけ世界を欲して。 最悪だ。迷惑だ。 でもそう思っていることは確かだ。 まるで害虫やウイルスのよう。 人の求める理想をその我が儘で侵食する。 駆除やら殺菌やら、なんでもいい。するべきだ。 それができないにせよ。 自分から見た小さい小さい偽りの世界で満足してればそれでいい。 まだまだ我が儘に泣いている。 しつけが足りない。 世界はお前のもんじゃない。 お前が世界を知りたがろうが、そんなことは理由にならない。 世界がお前を邪魔だとはっきり言ったなら、お前はさっさと死んだだろうに。 幻にすら言われない死に損ない。 そんな言葉を向ける価値すらない。 いらない心。泣いて泣いて枯れ果ててしまえばいい。 2010.10.25 Mon 23:11:08 グチャグチャな話自分には自分がカッコいいとか、 凄いとか思うようなものが全くないように思える。 だから、自分のことで何か自慢している自分がいると。 馬鹿の戯れ言というか。 雑音のようにうるさいだけというか。 そんな感じがする。 でも、ただくだらなくて見捨てたいような、 そんな意地悪な気持ちでそう思うわけじゃない。 いろんなものを取り込みたいがあまり、 自分の中はあまりにもグチャグチャで。 結果的に汚物のようになってるからこそ、そう思う。 綺麗でありたいとは思わない。 でも綺麗でなければ何も伝わらない。 絵でも文章でも音でも。 何かの規則を持っていなければ、何も伝わらない。 自分の中にはそんな規則がない。 規則こそいらないと思うから。 だから伝わらない。 伝えたい、といえばただの我が儘だ。 ふと。 昔々の誰かのコメントを思い出した。 あなたがブログで使う「言葉」、 これは汚いかもしれないが、やっていることは面白い。 たとえば、キチガイ、これは...よくないな。 迷惑な人とやんわり書けよ。がんばれよ(笑) そう。オレはキチガイだし、迷惑な人だ。 オレの言葉は汚い。グチャグチャで。なにも伝わらない。 それでも。面白い、がんばれ、と。 それは、どういうことだろう。 もっと迷惑な人になれと?それを面白いと思う、と? 面白いって、大事なんだろうか。必要なんだろうか。 少なくともオレは何よりも大事だとは思う。 でもそれはあくまで自分の話。 自分が思う面白さであり価値観だ。 他人も同じ、とは思わない。 それでもこの誰かは面白さは必要だと言うんだろうか? 誰もが分かるもの。誰もが知るもの。 混じりけのない純粋なもの。オレにはないもの。 オレは。自分の我が儘でそれを汚して。 分からないものにしようとする。 でも。本当は汚したくて汚してるわけじゃない。 そう。そうだ。 オレには誰もが知っているものを理解できないんだ。 だから疑問を持つ。知りたいと願ってしまう。 そして自分の汚れきった手で。 それに触れるんだ。 オレは何を頑張る? もっと心から綺麗になる? もっと心から汚くなる? いや。ごめん。本当はこの言葉も嘘だ。 オレには綺麗を綺麗と思う心がない。 汚いと汚いと思う心がない。 人から見たオレはグチャグチャだとは思うが。 オレから見たオレは。 綺麗なオレ色だ。 だから手に負えないんだ。 オレがオレでいることを誰が望む? 誰にも伝わらない自分。これからどうなるかわからない自分。 誰かに触れれば誰かを壊す自分。その『誰か』すら理解できない自分。 内側からも外側からも、汚い汚い壁しか見えない。 オレの中にある結論は、常にオレを否定する。 何から何まで。今この時も。 このまま。汚い壁の内側で。 窒息死でもできればいいのに。 小さな音、しかも汚れ落ちて雑音にしか聞こえない外側からの音を。 頼りに生きていてもなんの意味も成さない。 自分のためにも誰かのためにも。 なってない。 |