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ブログ日記のようなものPAGE | 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 | ADMIN | WRITE 2009.05.17 Sun 13:30:00 終わりはどこだろう口で言葉を紡ぐ回数が減れば減るほど、
次に言葉を紡ぐ時は非常に妙な気分になる。 違和感しか残らない。 そもそも。 言葉を紡ぐ必要性はどこにもないのだけども。 人は憧れただろうか。願いを叶える呪文に。 言葉が大きな力に変わる瞬間を求めただろうか。 普段使う言葉と、呪文の差ってなんだ。ない気がする。 言葉という存在そのものが強烈過ぎる。 自分はかつて何を願っていただろう。 大きな大きな力を求めていた、気がする。 既に手の内にある力には目もくれず。 貪欲にあるものを無きものにして、求めていた気がする。 叶ってしまった夢が叶ったことを忘れてしまってはいけない、と思う。 叶っていない夢を追う時、既にその夢が実現した姿が手の内にあっても、 存在を忘れているだけかもしれない。 もしすでに存在しているのなら。 どうしてもっと、大事に握りしめてやれないのだろう。 なあオレよ。 生まれる前、確かに願っていたオレはいた。 でもそれは結局オレだったのだろうか。 今のオレには到底理解出来ない願いだ。 そんな願いを叶えても、一体何になるんだ。 あの世界を飛び出すことに、なんの意味があったんだ。 第一、神は何を思ってあれを見せたのか。 確かに、あれの効果は強烈だった。 あの空間の存在の確かな証明になった。 時間軸、空間の在り方、言葉の存在、光の存在。 天と地も翻し、あれは存在した。 でもそれに一体なんの意味がある? 今も、あの時見たものの延長線上なら。 今すぐにでも、あの暗闇に帰れそうで。 どうして笑うのだろう。 どうして恨んでくれないのだろう。 どうして諦めさせてくれないのだろう。 どうして一人永遠と泣かせてくれないのだろう。 居場所など、なくなってしまえばいいのに。 強烈な否定に押し出されて、この世から消えてしまえばいい。 大嫌いだ。 大嫌いだ。 PR 2009.05.16 Sat 21:25:52 無駄思考いろいろ今日は久々にずっと寝た。
夜中の1時前に寝て、朝9時に起きて、一時間後の10時に寝て。 3時に起きて、4時に寝て。7時に起きて、今に至る。 いろんな夢を見た。でも大層な夢じゃない。普段の生活の延長線。 目が覚めても、ぼーっとくだらないことを考えて。 そう。くだらないこと。 「あの子はきっとこうして欲しいんだ」 そうやって必死になる時、実際そうあって欲しいと願っているのは、 他ならぬ自分だけだったりする。 「あの子はもうこんなものを求めていない」 そう考える時、本当に求めていないのは自分だったりして。 そりゃそうだ。 相手のことなど分かるはずがない。 想像しても、それは自分の勝手な想像で。 自分のことでしかない。誰かになってなんかくれない。 それを嘆いてみても。 他人にはきっと届かないんだろう。 届いたように見せかけて、その人はその人自身の気持ちに気付くだけで。 本当の意味で届くことは、一生ないんだろう。 自分で自分の内側を覗いてみる。 自分で自分の外側を覗いてみる。 よくよく考えてみたら、どっちが自分なんだかわかりゃしない。 内側を見れば見るほど、信じたくない何かがあって、信じられないのだから 「その何かが自分なのだ」と認めることが出来なかったり。 何気なく見回していて「これは机だ。これは本だ」と決めつけていて、 それを疑わない確固たる定義が自分の中にあったり。 内側=自分でもなく、外側=自分でもない。 自分がそうだと思い込んでいるもの=自分であって、 それが壊れ崩れる時、自分という安定がなくなる。それを怖れる。 崩れた何かが組み直され、新たな何かが生まれる時。それが新たな自分になる。 そんな気がする。 安定しない時、どうして怖れるんだろう。 あれか。今ある自分でありたいのであって、 これからやってくる自分を知っているわけじゃないのだから、 これからの自分でありたいと願うこと自体をしない、ということ? これからの自分に納得できる保証がどこにもない。 自分の望む道がこの先続いているのか、知る余地がない。 まあ、なるようにしかならないし、怖れるだけ無駄なのだが。 「何が起こっても笑い飛ばしてやる」 とでも思っていれば一番いい気もする。 ふと思いついたので、ちょっと鏡合わせゴッコやってきます。 2009.05.15 Fri 23:55:00 重い想いは今尚2日前。
「『償えない罪の償い』で検索をかけて『日記?』にやって来た人がいたので、 償えない罪だとか償う方法について考えて『日記?』にアップした」 という話を書いたのだが。 見事、今日のアクセス解析を見ていたら、 『死んで償う 事故』 というキーワードで検索をかけて『日記?』にやって来ている人がいた。 これは、なんというか、嬉しいような驚きのような。 ただキーワードが違うから、本人かどうかは分からないが。 しかも『償う方法が死ぬことだ』みたいな感じで、内容が前より具体的。 パッと見、どこか 「自分は罪を犯してしまって、死ぬことでしか償えそうにない、 という答えに辿り着いたものの、本当にそうなのか分からない」 みたいな印象を受ける。 そして引っかかるのは『事故』だ。 本当の『事故』の意味で見たのなら、 「単なる事故だったのに、自分は死んで償わなければならないのか」 と捉えられなくもないが・・・ あの『日記?』の元のタイトルが『事故照会(え)』だから、 ひょっとしたら、あの場所にたどり着くことを目的にして、 うろ覚えのタイトルで検索していたかもしれない。 いわゆる・・・リピーター。 くだらない文章だったものの、引っかかる部分があったのか、なんなのか。 触発されて、自己満で書いた文章は、あまりにも論点がずれてる気がしてならない。 その人が求めていたものではない気がしてならない。 それでも。 「死んででも償いたい」と思っているのは自分であって、他人じゃない。 それとは違って「死んで償え」という命令が下ったのなら、 嫌でも従うしかないのか、という部分についても疑問だ。 本当にジャッジを下すべきなのは罪人とその被害者なんじゃないのか? 罪人が償うことを望むのか、はたまた被害者が 「自分はこんなことをされたけど、これをすることで償ってもらわないと赦せない」 と言い出すか。 その間に第三者が入って来ても、何の解決にもならない気がする。 恋人同士の問題に誰かが首を突っ込んでも、決めるのは恋人同士たる2人。 それに近い気がする。 償いたいという意志を見せる時。償って欲しいという意志を見せる時。 受け入れられたいという主張と、受け入れたいという主張のような。 罪の定義も刻々と変化して。例えばそれが人殺しなら。 ある時代では人殺しが讃えられ、ある時代では禁忌で。 例えばそれが人を讃えることなら。 悪口だけで殺されるか、個々の価値観を大事にして無罪か。 何にせよ罪の内容を決めつけるのはどうもおかしい気がしてならない。 世の中、そんなに単純じゃない。 殺しがもし罪なのなら、人は誰しも何かを殺して生きているのに。 オマケに食べられるためだけに生まれ殺される命もあるのに。 人間すべてが罪と言われても、否定することなんか出来ないんじゃないのか? そんな気がしてならない。 とにかく。 人として生まれたからこそ罪を罪と呼び、償いを求めているだけであって、 ただただ生きることだけを考えるような生物になれたのなら、 悪いことも良いことも、償いもクソもない。 人間だから、だなんて理由は聞きたくもない。 『当たり前』だというのなら、『当たり前』である理由を聞きたいばかりだ。 自殺を止められた時に、何故止めるのか聞けば 「死んではいけないことが『当たり前』だ」といわれたあの時。 『当たり前』を理由にすることの虚無さに絶望した。 本当に。 本当に。 2009.05.14 Thu 22:09:18 いろいろなんですついに昇段試験用練習開始。
もうわけわかんね。 初めてやった技が数個あったわけだけども、なんでこんな、微妙な差しかないんだ。 覚えにくいったらありゃしない。 でもさすがに今までの技に通じる部分が多いから、理合いはまだ理解しやすい。 あとは練習あるのみですな。 気合い気合い。 あぁ、なんというか。 あの研究室に入ろうかと思ってたけど、内容的にはあっちの研究室の方がいいかも。 でもどうだろう。 単純に研究室またぎてぇ(爆) なんか無性にラムネ&40炎が見たい。ラムネ&40ではなく炎。 あれは面白かった。うむうむ。 で、無性に久々にフィッシュアイズがしたい。 釣りゲーっすわ。 ・・・って!! 今年4月30日にwii版で新作発売されてる・・・!!? 今調べたら出てきてビックリした。 しかし・・・無駄な機能増え過ぎ。画像に力入れ過ぎ。 縛りのないゆったりとした時間。 魚とのバトルだなんてほど遠い、誰かとの勝負だなんてほど遠い・・・ あの感じが好きなんだけどなぁ。 あぁ、やりたいなぁ。 水の音だけを聞きながら1時間2時間普通に過ぎて行く・・・ふはぁ〜・・・ 今のゲームってそんな感じじゃないもんなぁ。慌ただしいバッカリで。 1も2もやったけど、どっちも好きだったなぁ。 まぁ、どっちかってと1の方が好きだったけども。 2009.05.13 Wed 22:44:10 重く想う昨日の話。
『償えない罪の償い』で検索して日記?にやってきた人がいた、という話。 日記?にてすでに考察済みなんだけども、結果についてもう少し考えてみる。 というのも、思うに。 『愛すること=赦すこと』かもしれない。 そうでなかったとしても、『愛すること=好きであること』ではないと思う。 そもそも、愛するべきなのは好きな部分だけじゃないはず。 「自分が好きな部分も嫌いな部分も、貴方の存在すべてを大切にしよう」 そういう状態が愛してる、なのかな、と思う。 で、問題は『赦すこと』に直結するか否か。 第一、赦せない誰かや何かを愛することができるのか。 ・・・経験で言うなら、ありえない。あくまで経験。 どうしてそもそも赦せない?赦すって何? おしえてgoo辞書。 (1)罪や過失を、とがめだてしないことにする。 また、服役中の人を放免する。《許・赦》 (2)願い・申し出などをききいれて、願いどおりにさせる。 認める。許可する。《許・聴》 (3)ある行為を、さしつかえないと認める。《許》 (4)義務や負担を免除する。《許・赦》 (5)相手のはたらきかけに対し、思いどおりにさせる。《許》 (6)他に対する警戒心をゆるめる。《許》 (7)その人をとりまく状況が、ある事を可能にする。《許》 (8)すぐれた存在であると認める。《許》 (9)ある水準に達したと認める。《許・赦》 (10)強く締めたり、引いたりしたものをゆるめる。 (11)手放す。自由にする。 基本的には(1)(2)(4)(9)のようで。つまり? 罪や過失をとがめず、認め許可し、義務や負担を免除して、水準に達したと認める? いや、全部を満たす必要はないか。 ただ、これを見ていて思うのは。 ・・・主語は何?という疑問。 どうも『赦されていない本人』ではない。 赦すことができない人。罪や過失、あるいは義務や負担、水準を定めた本人だ。 これに対して『赦されていない本人』が出来ることが『償う』だ。 『償う』の意味は?またまたおしえてgoo辞書。 (1)埋め合わせをする。特に、弁償する。 (2)罪やあやまちの埋め合わせをする。 とにかく、埋め合わせるということらしい。 でも、これも『赦されていない本人』が限度を知ってるわけじゃない。 どこまで埋めなければいけないのか。 定めるのはやはり、罪を定めた本人だ。 ここまできたら思わずにはいられない。 「なんで償う必要がある?他人の決めた何かに従う必要がある?」 別に償おうという意志を否定するつもりはない。 でも、それがつらくて嫌だ、というのなら。 逃げればいいじゃないか。それこそ。 勝手に『そうじゃないとだめなんだ』と思い込んだ自分がいるだけじゃないか。 逆に『償いたいんだ』という自発的な意志は。 本当の意味で償われた瞬間を知ることが出来ないかもしれない。 基準を定めた本人に『もういいんだよ』と言ってもらえない限り、 償いが報われる日は来ない。それこそまさに永遠の償い。 『償えない罪』とはこれかもしれない。本当に。 奪ってしまった命が、自分を赦してくれているかどうかなんて自分には分からない。 すでにそこにはない。 その命は、恨みや苦しみでいっぱいになって、消えていったかもしれない。 そんな時、残ってしまった罪ある自分は、どうやって罪を償うのだろう。 『もういいんだよ』だなんて、誰に言われても意味がない。 基準を知る本人が、もうすでにこの世に存在していないのだから。 だからこそ自発的に『償いたいんだ』なんて思おうものなら、 永遠の償いに繋がっていく。 誰にも、自分ですら『もういいんだよ』だなんて言われない。 終わりがない。 よく。周りをふわふわと蝶が舞っている。 自分が生まれて初めて奪った命、の模写。 汚れがない。儚い。穏やかで。優しい。 でも、自分はそれに触れたいと思わない。 ただ奪った事実を忘れたくはないだけ。 ひらりひらりと近付いてくることもあるけども。 自分の方から逃げる。「来るなどっかいけ」と言う。 挙げ句。 「お前のいるべき場所はこんな醜い場所じゃない。 昔お前が本当にいた、生きていた場所へ帰れ」と言う。願う。 まったく意味はないが。 いっそあからさまにオレを恨んでくれればよいものを。 |