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必死になる意味

何故自分はこんな人間なのだろう。 誰のために必死になるのか。 自問自答の果てに何もできず。 それで納得できればいいものの、悔いる。 あぁ、もっと早く全力を尽くせていれば、と。 でも。それでも悔いる。 確かに、こんなことをする理由なんて無いはずだ。 そして結果としてやってくるのは、 どうあがいても自分が望む結果ではない。 この一時に全力を尽くす意味があるのか。 ない。 ないんだ。

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すべての輝き

人にもモノにも特徴がある。 そこに目的が現れた瞬間、評価が生じる。 ときに良く働き、ときに悪く働く、と。 その一時にすべての価値を見出してはいけない。 それは決してすべてじゃない。 じゃあどうすればいいのか。 その特徴を受け入れること。知ること。 オレはそう思う。

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著作権

何かしら問題が発生するときって、大抵人の気持ちが関与してくる。
そもそもなんで問題なのかといえば、誰かが問題だと感じたから、なのだから。
人でないものはそんなことを微塵も理解してない。
世界一のビルだろうが犯罪に使われたナイフだろうが、
人になされるがままになっただけで、価値を認めるのも怒りを覚えるのも人だ。
本来そこには価値も問題も生じてない。人がいて初めて生じたものだ。
パソコンだってそうだ。
有益だろうが害だろうが成されるがまま動いてるだけだ。
プログラムがウイルスを感知するのだって
「こういうパターンに当てはまってたらウイルス」
という定義があってこそ感知するのであって、それ以外なら知らん顔だ。
んでだ。著作権がらみの問題も、
起こってる出来事だけを見れば問題なんてどこにもないはずだ。
ただ、どこかで人が嫌な気持ちになって怒り始めたから問題なんだ。
その気持ちを定義することなんてできないし、
だからこそ本当の意味で著作権問題が消えることもないと思う。
じゃあ人の気持ちに着目する必要がでてくるんだけども。
何か絵を見て「これは○○だ」と判断する機能は人が持つ知識依存だ。
で、その判断結果から気持ちは生じていく。
つまり知識の内容によっては判断が全く異なるし、
そこから生じる気持ちなんてもっと異なるはずだ。
日本人はこういう判断や気持ちを共有したいタイプが多いらしくって、
良い悪いの判断基準もある程度統一されてる。
逆に言えば共有できない人はボッチになる。
そしてまったく悪気がないまま言動して集団リンチにあう。
ある意味宗教的だなぁとオレは思う。
で。
集団リンチで叩き潰せば解決なのか。
それは違うはずだ。
オレはこれが問題だと思う。
じゃあこの問題解決のためにどうするべきか。
相手方の言い分を理解しあった上で、
せめてお互いのズレを把握するべきだとオレは思う。
「あいつは話が通じない」じゃない。
「あいつはこう思ってるが、私はそうは思わない」だ。
今まで生きてきた中で得た知識の共有なんてできるわけがないけど、
知識をそのまま吐き出すだけで生きていけるわけがない。
自分も相手も相応の考えを持って結論を出してるはずだ。
だからこそ喧嘩になる。
で、お互いが自分の正しさを訴えあって、傷つけあって、
結局理解し合えないのが一番悲惨だ。
その正しさは他人の正しさじゃない。
爆弾発言かもしれないが、作品の改ざんそのものは問題じゃないとオレは思う。
コピーができる。編集もできる。できるからやった。
いいものが出来た。それ自体はむしろ良いことだとオレは思う。
一つの手法だし可能性だとオレは思う。でも他人の領地を侵す行為だ。
問題は改ざんそのものじゃない。ここだ。
人の領域にひそかに踏み込んで持ち帰り、自分のものとして世に放つ。
自然や現象、もう人がいなくなったフリーな領域ならまだしも、
そこに人がいるんだから、そりゃ怒る。
持ち主に一言声をかけることがどんなに意味ある行為かよく分かる。
でも曖昧になってくるのがその後だ。
人の領域にある何かを見て、持ち出すことができないからマネたものを作る行為。
そして相手に気づかれないまま領域からものを持ち出す行為。
目的としているものはどちらも同じで、結果としてもとめているものも同じだ。
もしマネが完璧だったら結果すら同じだ。
じゃあ何が違うのか。
経過が違う。
この経過の違いがどれぐらい違うか。
盗む技術、同じものを作り出す技術がそれぞれ必要だ。
その技術を得るためにはどうすればいいか。
ここに来てやっと大きな差が出てくる。
じゃあ次に、目標とするものをずらそう。
相手の領域にあるものに何かを加えて、よりよいものを作りたい。
よりよいものを作り出すためには?現状のクオリティのものが必要だ。
自分がそのクオリティを出せるのか?
出せない。あの人と自分はどうあがいても違う。
これじゃ目標に達せない。じゃあどうする?
1から作るのがダメなんだ。トレースしよう。
これで満足できるか?いや、だめだ。これじゃ満足できない。
こんなもの求めていたものじゃない。じゃあ・・・と。
経過だけ見れば悪意もクソもない。
視点を変えよう。
相手が自分の領域にあるものを見て、何かしたい、何かしようとしている。
こっち見んな!と、ここで怒る?
むしろ興味を持ってくれたと喜ぶ?
自分の領域にあるものを見てマネし始めた。
マネすんな!と怒る?
むしろそこまでしてくれることに喜ぶ?
自分の領域に入ってきて持っていこうとする。
お前泥棒かよ氏ね!と怒る?
満足して喜んでもらえるのなら。
いいものができるといいですね。なんて相手の幸せを願う?
結果的に何か出来上がったとしよう。それも良いものが。
お前、おれがいなかったらそれできなかったくせに!と怒る?
良いものができてよかったと喜ぶ?
じゃあ良くないものができたら?ざまーみろ!と笑う?
残念だったなぁ。いや、こうしたらよくなるかもしれない。と新たな創造の種にする?
自分の考え方一つで相手を良くも悪くもできてしまう。
それがある意味権利なのかもしれない。
じゃあ権利を振りかざしてどうしたい?
その権利で何をしたい?
それは誰のためになる?自分?それとも他人?
自分はその権利を持つ存在だと理解している?
人を裁く責任を背負っている自覚があるのか?
むやみやたらに叩くのやめようぜ。ホント。
何でも許せ、なんて言わないけど。
権利を侵してたらなんでも怒るのもおかしいだろ。
現に自分たちが権利侵しまくって楽しんでるのを許してもらってるのにさ。
自分が権利を侵してる自覚がなくて、
それでも許してもらってることに気づかないなら最悪じゃないか。
楽しいから許される。よくなるから許される。
誰も彼もグレーゾーンじゃないか。
その中でも問題を問題にしてるのは人だし、
問題にできるだけの権利を自分も持ってるんだから。
自分の正しさを絶対的と訴えたり、怒りに任せて権利振りかざすの、やめてほしい。
オレはそう思う。

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孤独

人の言葉を聞いて、気がつく。 本来自分が感じていたもの。 あきらめていたこと。 もういい、という自分の言葉の意味。 でも気がついたとしても何も変わらない。 言葉は空を切る。

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無知の意見

言葉がめぐる。 自分の意見、というヤツだ。 どうしてこうじゃないのか。 どうしてこうしないのか。 どうしてそう考えないのか。 でもすべてが無意味だ。 なんの知識もない自分が何を言っても意味はない。 どうしてそうなったのか理由を知りもしない自分が やすやすと意見を言えるわけがない。 オレは人の苦労を知らないからそんなことを思えるんだ。 オレは間違ってる。 分かってるのに、どうしてこんなにもギャーギャーと言葉がめぐるのか。 また自分を嫌いになる。 自分と向き合いたい。 最近強くそう思う。

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