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オレにとっては興味深い話

思ったことをツラツラと。

世の中他人に対して酷い発言をする人がいる。
「死ねばいいのに」だとか「うざい消えろ」だとか。
でもそういう発言をする人の大半は、本当にそう思っているわけではないらしい。
それこそ、冗談とか遊び半分とかいう部類。
かといって、聞いた側がそれを冗談と受け取ってくれるとは限らない。
その発言があったことは事実だし、そのままの意味を受け止めれば
「あ、この人は自分に対してそう思っているのか」としか受け止められない。
そのままの意味で受け取った人にとっては相当ダメージが大きい。

さて。問題はここから。
冗談で言った言葉をマジメに受け止められてしまった側としてはどうなのか。
「うそうそ。冗談やって」なんて言葉すら冗談として受け止められるかもしれない。
あるいは、相手が本気にしていることにすら気付かないかもしれない。
悪気があったわけじゃない。発言した側としては単なるコミュニケーション。
でも相手にはそう思われていない。距離を取られてしまったり、
酷い時にはその人が自殺する、なんてことになりかねない。
そういう状態になる可能性があることをどう思うか。
今日はたまたまそのうちの一つの解答を聞いた。
「そいつ(言葉を受け止めた側)の精神状態が弱いんだ」
らしい。
自分が悪いんじゃない。相手側が弱いことが問題なんだ。
とかいう解釈。なるほど。そう来ますか。

さて。
それで言うと、オレは精神状態が弱い部類になるんだろうけど、
それが弱いと呼ばれるようなものなのか、自分にはよく分からない。
というのも、ただでさえ相手のことを知る手段として、
大きな役割を担っている『言葉』を、マジメに受け止めることを
否定されてはどうすることもできなくなる。
本当にそう思っていると信じなければ、相手を理解することなんか到底できない。
それとも。
その理解を『当たり前』と呼ぶのかもしれない。
分かっていて当たり前。冗談として受け止めることが当たり前。
そういう見方があるのかもしれない。
そうなってしまえば、もう手の打ち用がない。
当たり前を見つけようにも、目の前には冗談が氾濫しているのだから。
生まれた瞬間から当たり前を知らない人間にとってはある種の大問題。

もし。
誰かがオレに向かって冗談で「死ねばいいのに」と言ったとしたら。
オレは喜んでしまうと思う。
「死んでもいいんだ。許可が下りた。じゃあ死のう」
そうなれば、最早弱い云々の問題ですらないかもしれない。
その後「うそうそ。冗談やって」なんて言われたとしても。
「その発言があったという事実は変わらん」とかいって、
その場でリストカット、とかになりかねない。
さらに第三者がやってきて、そういう状況になったということを聞いたとして、
その人は「あぁ、それは精神状態が弱いからだ」と言い出した日には。
弱いって何だよ、とツッコむしかない。

好き嫌いとか、良い悪いとか、そういうものに意味はないだろ、
とは思っていたけども。強い弱いも意味がない気がした。
それの定義を誰がしたんだ。『当たり前』か。『当たり前』なのか。
当たり前ってなんだよ。こんにゃろう。

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