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他人が抱える『問題』を軽視する『問題』

最近、『自分』の、ではなく『一般的な』人生の目標なり、人生で成すべきことなりについて考えることがある。
人の役に立つことだったり、名誉を残すことだったり、過去の遺産や伝統の存続と維持だったり。
そういう結論に至っては、「しょーもな」という感想が湧き出てくる。

元々自分は、人というものに関心はあれど、思い入れはないタイプなんだろうという認識ではいるんだけども。
だからこそ、人が人として提示する正しさや、在り方について、大して同意できない部分があってもおかしくはない。
挙句、自分自身が掲げる人生の目標が早々の死なんだから、相入れない部分が大半になるのは、自然な流れでしかないんだろうけど。

とはいえ「しょーもな」という感想そのものについては、いかがなもんかという感覚自体はある。
仮にも誰かにとっては大事な評価軸であり価値らしいソレを、軽々しく否定するような感想に違いはない。
厳密に言えば、自分が巻き込まれる状況が好ましくないことであって、ソレそのものを否定する気はない。
んじゃなんで好ましくないのか。
自分の感想を疑うなら、自分の感覚そのものを疑うしかなくなってくる。

人の欲求消化に付き合うのに疲れたような。
人の善悪判断と概念依存に疲れたような。
そういう感じはする。
人が抱えている問題が、認識方法の差でしかないレベルの事柄で。
さも大事のように苦痛を叫び散らして、蓋を開ければ自分勝手に構築した概念に自ら苦しんでて、酷いと解決自体を望んでなくて、叫びたいだけだったりする。
誰が仲間で、誰が敵で、敵がただただ許せない、許す気もない、とか。
何をやってもできないことがある、ということにして、できるようになろうとも思ってない、とか。
もっと良くなりたいと言いながら、悪い部分を探すこともせず、指摘されることも拒んで、改善らしい改善もなく、ただただ肯定の言葉を貰えたらそれでいいとか。
オレが実際にそういう相談を聞いて、真に受けて、真剣に解決しようとして、最終的に求められていたものの正体に気づいてしまって、がっかりしたんだろう。
そういう感じはする。

人は完璧じゃない。まあそうだろう。
人は矛盾する。まあそうだろう。
そんな中で問題解決のために人が人を頼る。
そもそもあるかどうかも怪しい問題を、どういう形を解決とするかも不明瞭なまま、頼る。
結果がどうであれ、満足すれば、そこで終わり。
コミュニケーションが取りたいだけ。
問題を問題として作り出した自分を他人に認めて欲しいだけ。
他でやって欲しい。オレを巻き込まないで欲しい。
純粋に、そう思う。

分かってる。そういう態度が一番求められてない。
むしろオレのこの態度が新たにそういう問題を作り出していることも十分あり得るだろう。
でも、オレは、そんなこと、どうでもいい。
オレにとっては、どうだっていい。
そういう系統の問題が発生するのは、問題だと感じている本人が原因なんだから。

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