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創る、創られる


一つ。
世界を創ってみよう。
そこにあるのは、砂のように小さな小さな点。
それはそれより大きくなれず、小さくもなれない。
壊れることも、増えることも、できない。
そこに線がある。
点は線の上を歩む。
進むことも戻ることもできるが、
それは常にゆっくりと動き、止まることはできない。
線はあらゆる次元を繋ぐ。
まるで面と呼ぶにふさわしいほどに、張り巡る。
このとき、点は自由だろうか。
いや。
線の外を歩むことはできない。
止まることもできない。
大きくなることも小さくなることも、
壊れることも増えることもできない。
それは確かにルールの上にあり、形として存在できる。
でもそのルールの外には出られない。
世界にルールが存在する限り。
逆に産まれたものもあるだろう。
止まることのない世界。
線によって産まれた社会。
世界を歩むために線の先を学ぶかもしれない。
そのをただの線とは見ず、その次元をただの次元とは見なくなるかもしれない。
線の疎密による分類が産まれ、歩む己の性質が産まれ、
その不自由な世界に望む理想が産まれ、まだ見ぬ世界の夢が産まれる。
奪われたことによって産まれるものがある。
この点と線は創造主をどう思うだろう。
もし。自分が点だったなら。線だったなら。
どう思っただろう。
分からない。
でも、興味深い。

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