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ブログ日記のようなものPAGE | 2889 2888 2887 2886 2885 2884 2883 2882 2881 2880 2879 | ADMIN | WRITE 2011.09.29 Thu 21:29:20 自分の中の命どうもモヤモヤする。 すでに自分の中で結論は出ていて、 そこから外れることを望んではいないはずなのに。 自分の理解を越えた場所から、 声が聞こえる気がして、モヤモヤする。 訴えかけるような声。 何を言っているのか、分からない。 自分が自分のことを認めていない。 そんなことは知ってる。 自分のことを認めたいとは思わないし、 自分に認められるような自分でありたい、とも思わない。 ただ、だからこそ自分で自分を否定して、 グチャグチャにしようとしている事実はある。 それが自分にとっての正しさだからだ。 グッと、胸ぐらを掴まれるように顔を上げる。 為体の知れない目線を感じる。 まっすぐ、自分を見ている。 「それが本心か?」と問われている、気がする。 大きく揺らぐ。涙が零れる。 訴えかけるような声が、自分のものであることを自覚させられる。 「違うだろう?そうじゃないだろう?」と。 自分に涙を流させている要因、声が、 言葉としてははっきり聞こえないけども、伝わってくる。 「じゃあ、なんだっていうんだ」 訴える声に問いかけるも、答えが聞こえない。 「こうだ」というイメージが、やんわりとは伝わっては来るものの。 言葉にできない。形にも表せない。本当に、感覚。 おかげさまで理解できない。これはなんだ? 考えても、考えても、答えは出て来ない。 いや。多分。 オレ自身が理解することから逃げている、と思う。 まあ結局は、理解したくないのだけど。 とにかく、そんなこんなで理解できないから、と。 胸ぐらを掴むようにそこにある存在から、目を背ける。 「もういい」と一言伝える。 でも、離してはもらえない。 ガクンと揺さぶられて、目の辺りを押さえつけられる。 目線を外せないように、逃げられないように、グッと。 意味が分からない。 そんなに大事なことなのか? こんなゴミのような自分に、 なんで為体の知れないソレは必死になってる? 大事な、大事な、ことなんだ。 理解するんだ。理解しようとするんだ。 逃げるな。怯えるな。諦めるな。 と。そんな感じ。 意味が分からない、分からない、と言っているのに。 追いやられて、追いやられて、 結局自分の中にある声に、意識がかする。 でも、相変わらず理解できない。 ただただ無理矢理、押し込められていく。 やりたいこと。目指したいこと。 こうであって欲しい、という願い。 いわゆる欲。それがある、というのは理解できる。 でも。それ自体はなんの意味もない、衝動的なものだ。 言ってしまえば、それはまだ表面なのかもしれない。 漠然と。声の根源を辿る。 それは、単純に言えば、好きとか、愛してる、の部類のものだと思う。 ただ、どこか空想を含んでいる。現実を見ていない。 見方を変えれば、自分が望んでいる未来なのかもしれない。 だからこそ、今は空想で、いつか現実となる、何か。 まあ、そこまではいい。 問題は、この感覚が本当に「大事なこと」なのか。 この感覚自体は、確かに大きな可能性を秘めているのかもしれない。 描く未来を実現させるための根底的なエネルギーであり、 それが実現するためのプロセスが生じ、それがまた新たな影響を与え、 新たな何かを生み出していく。それはそうかもしれない。 でも、決して重要なことじゃない。 言ってしまえば、そんな感覚を持つのは自分だけじゃない。 生きとし生けるものすべてが持っている感覚、と言ってもおかしくない。 つまり。 そんな感覚はどこにでもあって、特別視されるような代物じゃない。 一つや二つなくなったところで、今が未来になっていく変化は止まらない。 確かに「変化をもたらす力」やら「未来を創る力」といえば、 相当壮大な力だと見ることもできるけども。 それがあちらこちらにあるのなら、価値はないと言っていいはずだ。 そこまで結論を出しても、胸ぐらを掴まれている感覚は収まらない。 それどころか、グッと自分の中にある、一つの感覚を押さえつけられる。 根底、好きとか、愛してる、の部分。 もちろん、その感情は空想からきたものだ。 言ってしまえば、オレは何も好きでないし、愛してもいない。 オレが好きなもの、愛しているものというのは、 この世には存在していない。 が。 グググ、と押さえつけられて押さえつけられて、思う。 オレが好きで、愛しているものは、オレの中にしか存在していない。 それが未来を創るための力、というよりは。 オレはその未来を生み出すための要因、卵なのかもしれない。 訴えてきている声というのが、その力そのものの声だとするなら。 生まれたいと望んでいる自分の中の空想、未来が、 生まれる前に殺されようとしているから、足掻いているのかもしれない。 生まれたい、殺さないでくれ、というのが、 一連の声の要約にあたるのかもしれない。 が、残念ながら、それでも納得できない。 そうなったらなったで、卵はあちらこちらにある。 生まれる必要性も、価値も、どこにもない。 もっと言ってしまえば、数もどうだっていい問題だ。 例え自分一人だけに与えられた力であり、たった一つの卵だったとしても。 そんなものがなんの役に立つのか。 なんの目的で存在するのか。 自分でも説明できないからだ。 ガンガン、と。叩かれるような感覚に襲われる。 とにかく理論立てて、自分を殺しにかかっている オレという存在、殻を破ろうと暴れているようにも思える。 それ自体は、オレの好き、愛してる、と言える感覚が 自分の中で足掻いている、ということになって。 言ってしまえば、オレはその感覚に真っ向から反した行為をしている。 つまり、オレの本心らしきものを押さえ込んでいる、ということになる。 となれば、グチャグチャにしたい、というのが 本心ではない、というのは正しいのかもしれない。 ジッと、暴れているソレを見つめる。 必死にオレに向かって何かを訴えるソレを見つめる。 じゃあ、こうしよう。 オレは何故、反した行為をしてる? 確かに納得できないから、反しているといえばそうかもしれない。 でも、納得できなくても、許すことは可能だ。 ソレを自由にさせることは不可能じゃない。 オレという殻を破って、生まれさせることも可能だ。 それでもオレはそうしようとはしない。 それは何故なのか。 あるのは、それによって生じる変化がある、ということだけ。 つまり、オレがソレを押さえ込む理由にあるのは、 必要性がない、というだけで、実際のところは 生まれようが生まれまいが、どっちでもいいわけだ。 どっちでもいいはずなのに、どうして否定する方向を選ぶのか。 言ってしまえば、嫌いだからだ。 自分の中にある、好きや、愛してる、という感覚が、嫌いなんだ。 何故嫌いなのか。 それは自分の理解を越えているから。 言ってしまえば、その力が創り出す未来もその価値も理解できないわけで。 そのことに怯えてしまっているんだ。 もし。怯えている、として。 怯えないために、どうするのか。 一つあることは、理解することだ。 理解できれば怯えなんてものはなくなる。 でも、実現しないまま、ただの力だけのものを、理解できるわけがない。 なら、他にないのか。 あるとするなら、それこそ、許容する、許す、信じることだ。 でも、オレの中にソレに対しての信用なんてどこにもない。 安全に越したことはない。 そういう判断なのかもしれない。 ・・・。 相変わらず、泣きべそをかきながら訴えている。 もう少し、話をして決めてもいいのかもしれない。 ただ、オレには生むことも殺すこともできるのだから、 どんな結果になっても、文句を言われる筋合いがないのは明らかだ。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |