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そんな授業


なんだかなぁ。
問題とはなんなのか。
それを解決するとはなんなのか。
その内容を理解すればいい、という単純な話じゃない。
非常に違和感のある、そして不安定な、よくわからないもの。
ん〜。
なんだそれは。

そう。
問題とは、常に見えているもの「だけではない」というのだ。
それだけを言えば、まだ納得できるかもしれない。
確かに、見えないところにも問題はあるものだから。
でも、それを解決する、となれば、グレーゾーンだろう。
何が問題だったのか理解もせず、ただ漠然とした状態で
「解決した」と宣言しても、それは解決と呼べるのだろうか?
そこにあるのはただの結果であり、
成り行きであり、解決ではない、のでは?

が。
もし、ぼんやりとでも、問題を理解していたのなら?
それを「解決できた」と宣言することは許される?
う〜ん。そうなれば、まだマシなのか。
でもその手段は?自分で選んだ手段なのか?
そもそも手段は自分で選ばなければならないのか?
難しい話だ。

問題を解決するために選ぶことができる手段。
それはそんなに限られたものなのか?
というか、手段は選べるもの、じゃないのか?
もし選べないと思っているのなら、それはただの諦めじゃないのか?
でも。
そう。忘れちゃいけない。
それは決して悪いことでも敗者でもない。
一つの在り方として、見る必要があるのかもしれない。

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