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ブログ日記のようなものPAGE | 2902 2901 2900 2899 2898 2897 2896 2895 2894 2893 2892 | ADMIN | WRITE 2011.10.12 Wed 22:25:44 理不尽な生ビクっとした。 そろそろweb拍手を撤去しようか、と思った矢先。 拍手が1つ。 ここ数ヶ月なかった拍手。 これには意味があるのだろうか。 オレは、何かしただろうか。 ふと昨日の日記を読み返した。 ・・・ふむ。 オレの無力さについて書いていた。 そう。そうだ。 オレに「誰かが生きることを望む」なんて大層なことはできない。 それはある意味、縛りだ。 「そのためだけに生きろ」と言い換えることだってできてしまう。 現にオレ自身がそうだ。 オレは誰かに「生きろ」と言われて生きてる。 それが苦しくて仕方がない。 でも。何かを創り出す立場として、思う。 どう存在させるべきか。 偶然の産物にはしたくない。 ただ、思いをつめこんで、絵にする。プログラムにする。 これでいいのだろうか。不安でたまらない。 本当は、オレは何も創らない方がいいのかもしれない。 「生きたい」ってなんだろう。 生きることを求める、ってなんだろう。 何故、オレは泣いているのだろう。 いや。そもそも。 オレ自身が、悲しいとされる対象なのか。 成り行きで産まれ、成り行きで生き、成り行きで死ぬ。 オレ自身が、オレに対して「悲しい」と思うのだろうか。 ・・・分からない。 ただ、少なくとも、他には関係のないことだ。 オレの感情や望みなんてものは、他にとって無関係な出来事なのだから。 せめて、誰かがオレの死を願い、祈ってくれればいいのに。 そう思うからこそ。 オレは誰かの死を願い、祈るのかもしれない。 無理矢理生かされるより、死んだ方がマシなんだって。 そんな言葉を、成り行きで生まれてしまった何かに 投げかけるのかもしれない。 本当の絶望が欲しい。 拍手に「死ね」と書いてもらえるだけで、 オレの気持ちがどんなにスッキリすることだろう。 あぁ。 そう思うのなら、オレは死を望む誰かに向かって、 「死ね」という力を欲するべきなのかもしれない。 いつか自分に跳ね返ってくると信じて。 無力なりの足掻きを、するべきなのかもしれない。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |