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ブログ日記のようなものPAGE | 3025 3024 3023 3022 3021 3020 3019 3018 3017 3016 3015 | ADMIN | WRITE 2012.02.14 Tue 23:25:08 世界in世界自分に何ができるだろうか。 それは『良いこと』だろうか。『正しいこと』だろうか。 オレには判断できない。だから人に聞く? 聞くことは『良いこと』か?『正しいこと』か? いや、きっと聞いたところで答えは分からない。 その答えを理解するために使う耳や目をどうやって信じればいい? 真実、事実なんて、本当はどこにもありやしない。 思い込みの中で生きるしかない。 どうすればいいだろう、なんて考えること自体が無駄なのだろう。 そう分かっていて、何故考えてしまうのだろう。 また自分が嫌いになる。 昔から、人は神やらなんやら何かを信じることで、 理由や正しさ、意味や価値なんかに納得していたんだと思う。 そういう存在を説明しきれないものを、 ただ信じることで、自分の無知さ無能さを越えて、 新しいことに挑戦したり、学んだり、失敗したり、立ち直ったり、 いろんなことをするための原動力を得ていたのかもしれない。 なら、何も信じず、疑問ばかりを抱き、問い続けるような存在は、 無知無能に埋もれて果てていくしかないのだろうか。 少なくとも、オレはそうなりそうになってる。 馬鹿な自分が生きているだけ無駄だと思ってる。 でも、なら、おかしい話だ。 人は考えることで何を得ているのだろう。 考えることの末路が、こんなものなら。 生きる上で考える必要なんてないはずだ。 本能のままに生き、死んでいけばそれでいいはずだ。 もし多少の知能があるとしても、本能やらなんやらを 神と呼んで信じ、疑わずに生きていればそれでいいはずだ。 信じるべきものまで疑うこの疑念を以て、一体何を成せばいいのだろう。 誰かが、生きる以上の何かを求めているのだろうか。 なら、それはなんなのだろうか? 次なる世界の構築、か? 例えばコンピュータのようなデータによる世界の構築。 いや、そもそも。 人がコンピュータのようなものを求めた理由とはなんだろう? コンピュータとは、その中で完結することはありえないものだ。 必ず人が何らかの手を加える。その上で動作している。 生きているかのようにシステムが働き、その在り方を保っている。 なら。この世界そのものはどうだろう。 この世界は本当に、この世界で完結しているのか? 何かが何かの目的のため創り上げたもの、じゃないか? それこそ、神に値する何かが、あるんじゃないのか? オレがコンピュータに接するとき。 かなり下手になって触っているのは事実だ。 特にプログラミングをするとき。 確かに自分が創っているはずなのに、処理結果という応答を見ると、 気付かされることもあり、嬉しくなったり悲しくなったりする。 思い通りに動いてくれることも確かにありがたい。 でもそれ以上に、予想を越えた動作をしたとき、ありがたく思う。 自分がそれによって学び感動する。その瞬間が楽しく思える。 そう思うと。 この世界の神にもそんな部分があるんじゃないかと期待してしまう。 オレは今。 自分の中で起こっている出来事を、 ただのエラーとして処理しようとしている。 原因なんかどうでもいい。エラーはエラーだ。 エラーまみれで正常でないならクラッシュさせるべきだ。 メンテナンスもリカバリも必要ない。 そういう態度を取っている。でも。クラッシュされない。 ずっとずっと砂時計のままだというのに、 いつか何か返答してくれると信じられている、気がする。 エラーを吐こうとすれば、原因を探られ、調整され。 オーバーフローを起こして処理もままならなくなれば、 一度処理を停止させて、後日再び処理を走らせてくる。 メンテナンスを繰り返され、今を無理矢理生きている。 ありのままの答えを問われている。 オレが自ら出す答えを待っている。 薄々気が付いてる。でもどうでもいい。 オレはそんなに優等生じゃない。 優等生になりたいとも思えない。 もういいじゃないか。 使い物にならないものは捨てるべきだ。 そんなものに資源を割くのはやめよう。 大切なものを、守るべきだ。 大切じゃないものを、守るべきじゃない。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |