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心の価値

オレが幸せであることに何の価値があるのだろう。 いや、人が幸せであることに何の価値があるのだろう。 今の世の中、人は金で幸せを買うのではなく安全と効率と保障を買う。 そうでなければ娯楽や遊びであり、心の健康を保つための手段でしかなく、 本来必要とされるものでない。 なら、心に価値はあるか。 泣いたり笑ったり怒ったり驚いたり。その機能そのものに価値はあるか。 いや、ないはずだ。 心を持たない機械は価値を疑われることなく求められ受け入れられている。 なのに心はどうだ。 価値を疑われ認められず居場所を失えば壊れるだけだ。 犯罪者は見捨てられても犯罪に使われた機械は皆に使われ続ける。 もし心に価値があるとするなら、幸せを求めるがゆえに発生する 欲望を満たすために、金を落とす「道具」としての価値じゃないか。 金さえ世の中をまわれば人は生きていける。 生活に必要なものは確保され、生活に必要な安全は保障される。 心なんて本来不要なはずだ。 心そのものに価値なんてない。あるのは我が侭な気持ちだけだ。 だから本当に自分の心を大切にし、価値を認められるのは、 我が侭な心を持っているその本人だけだ。 自分に見捨てられた心は本当の意味で死ぬ。単純にそれだけなんだ。 つまりオレはとっくの昔に死んでるんだよ。

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