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理想


一番気にかかるのは「理想ってなんだよ」ってところで。
オレ以外のすべての存在がオレに求めるものは、
オレの機能・アウトプット・インタラクションであって、
オレという存在そのものじゃない。
だからこそ周りがオレに求めるもの、要求、理想は、
オレのそういった部分のはずだ。
何より、オレと同じ機能を持ち、同じ反応を返し、
同じ挙動をするものが存在するのなら、
このオレは存在しなくたって問題にはならない。
でも残念ながらそんな存在はないらしい。
周りはオレに対して『オレというもの』を要求する。
その要求に応える義務はオレにはない。
あるとするなら応えたいという気持ちだろう。
でも、応える気もさらさらない。
オレはいつだってオレ自身の納得を得るため、
オレ自身の納得の下、言動してきただけ。
自己中心的なことしかしてこなかった。

自己中の事の始めは『当たり前』という概念を理解し、
納得したかったことが始めだったように思う。
誰も答えてくれない。答えてくれても納得できない。
納得したいがために、自分の中のいろんなものを壊しては作り直した。
そんなことの繰り返しだった。
いつだって見ているのは自分の中だけだった。
結局オレは自分の周りにあるものを、
自分の中に納得できる形で再構成したいだけだ。
周りに気を遣う、なんて器用なことはしてこなかったんだろう。
ただ、周りを知るため、理解するために、時に周りの流れや
考え方に染まることを手段として選んできたんだろう。
周りが求める自分を作り出そうと足掻いた。
周りに染まりきれない自分を恨み、腹を立て、傷つけて、壊しもした。
周りの一部になれない自分をゴミと呼んで殺し続けた。
だからこそ断言できる。
オレを傷付けたり壊したり殺そうとしたのは、
紛れもなく自分自身であって、周りじゃない。

オレは他人ためにではなく自分のために他人を理解しようとする。
嫌われたくないとか苦しめたくないとか、そんなものは結果論だ。
他人の嫌いなもの・嫌いなオレを、
他人の苦しみ・苦しめるオレを、理解したかっただけ。
それを理解する手段として、インバータな行動を取っただけなんだ。きっと。
だからこそ、オレらしさだとか、オレだけの価値とか、
そんなものに見向きもしなかったし、
むしろそんなものがあるなら捨ててやろうとさえした。
オレは自らオレを捨てたいと望んだ。
言わば、オレにとってオレの理想の姿は『オレではないもの』だ。
自我が邪魔だ、と自我で判断する。矛盾しすぎてる。

このあたりはもう5年以上も前から出てた結論で。
じゃあ今付け加えるとするなら、どんな結論か。
思い当たる節はいろいろある。
まず、自分の出した結論が決して完璧ではないことが前提だった、というところ。
完璧ではないなら穴があるはず。
それを探すために自殺できずにいたといっても過言じゃない。
何故自殺できなかったのか。
自分がいくら納得しても、他人が納得してくれなかったから。
つまり、自分が理解できていないものが他人の中にある、ということ。
オレはそれを理解したいと望んで足掻きたかったんだろう。

自分の納得を壊すのは不完全といえど大変だ。
他人の言葉から理解するのは難しすぎた。
当たり前だとか、好きだとか、法律だとか、
ギャーギャー言われることは多々あった。
でもどれも納得できなかった。
そういう言葉を聞くたびにイライラして仕方なかった。
その言葉が自分の死を否定しているとさえ感じて腹立たしかった。
なんやかんやで人に直接聞くことはやめた、んだろうなぁ。
自分が納得できなきゃいくら聞いたって意味がない。
で、自分の中に他人が自分の自殺を止める理由がある、
と見るのは妥当で、自分自身を分析することが多くなった、のかな。
多分。

自分にできて他人にできないこと。
他人にできて自分にできないこと。
違う部分。同じ部分。
自分らしさ。自分の考え方。
他人らしさ。他人の考え方。
いわゆる個性。そういう部分に着目することが多くなった、のかもしれない。
今思えばそれが価値なんだろう。
周りがオレに死ぬなと言うのは、オレに少なからず個性があって、
そこに価値があるから、と今は見てる。
そして周りはオレのその価値を求めて、失うことを拒む。
もちろん、オレはその需要に応えるギリはない。
ただ、面白いなぁとは思う。

特に面白いし変だと思うのは、他人であるオレに対してそういうことを言う人が、
自分自身の価値を否定し、自我だったり個性を否定していたりすることだ。
ここは未だに理解できてない。
オレにオレである価値を求めて、オレを失いたくないと望んでいるくせに、
自分自身の価値は平気で捨てる。
憶測で言えば、そういう人は整理が付いていないだけだと思ってる。
「とりあえず周りにあるものはそのまま保っておきたい。
でもそれだけ」みたいな。そのままでいたくない人間からすれば
どうしようもなく腹立たしい要求だ。
お前の安心のためにオレは今のままでいなきゃいけないのか、みたいな、ね。

で、だ。結局オレはどうしたいんだ?
ぶっちゃけ、自分を殺すという矛盾した結論にしがみつく理由を失った。
かといって「自分の価値のために生きなきゃ!」なんて気にもさらさらなれない。
ただあるのは、『オレには価値があるんだろう』という結論が出た、というだけ。
もちろん、オレはいつだって自分の納得のために行動してきただけで、
周りのことをちゃんと理解した、ということとはなんら関係がない。
何一つ理解していないと言われればそうなんだろうし、
だからこそ「分からず屋が俺らに口だすな」と
周りから言われたってしかたがない。
オレはこれからだって何一つ理解できないだろうとは思う。
多分足掻いても無駄だ。
いくら理解できていることを証明するために、周りに問いかけ続けて、
正しいかどうかをテストし続けたとしても、きっと完全にはなれない。
完全になりたいかと言えば、そうじゃない。
オレはただ納得したいだけだ。

ふむ…だったらオレは、
『納得できないことを納得できるように努力できる自分』を
理想に掲げればいいんだろうか。
妥当と言えば妥当なのかもしれない。
でも、どこかその結論そのものに納得できない。
なんだろうなぁ。
自分の中にある、自分自身でも納得できない部分が
「何かを思える自分でありたい」と、やかましいんだよなぁ。
なんのことだかさっぱり分からん。『思う』って何よ?
なんか、どうもこの『思う』ってのが単純に説明できる言葉じゃなさげなんだよな。
もちろん『思う』という言葉の意味そのものは
調べればすぐ出てくるものなんだろうけど、
ここでの『思う』はその定義に準じてない感じがするんだよな…
で、本人に「どういうことよ?」と聞こうものなら、
実践はしてくれるんだけども、やっぱりよく分からんのよね…
明らか具象や模写じゃないし、
かといって抽象かと聞かれたらそうでもないんだよな…
どっちかってと空気みたいな感じ。
何してるんだかさっぱり分からないし、
それをすることでどうなってるのかもサッパリ分からない。
ただ、オレが「納得したい」と思う根底がコレのような気もするし、
どうしたもんやら。

スッキリしたい?
自分の中の濁りをなくしたい、みたいな?
そういうこと?
んー…わかんね。
ただ言えることは、どう足掻いても自己中ってことだけだなぁ…

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