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ブログ日記のようなものPAGE | 3412 3411 3410 3409 3408 3407 3406 3405 3404 3403 3402 | ADMIN | WRITE 2014.05.17 Sat 11:27:04 土産整理はてさて。 しばらく留守にしていた場所に帰ってきた。 落ちているのは過去の産物。もとい汚物と戯言。 そこに、おみやげとも言えるようなものをドサッと広げる。 新しい環境にはいろんなものが転がっているものだ。 得るものがたくさんある。そしてまだまだある。 持って帰ってきたものは、ごく一部でしかない。 まあでも。とりあえず整理しよう。そこからだ。 元々自分が置いていたものをとりあえず引っ張り出す。 ずるりと引き出して。ドサッと座り込んで。 まじまじと新しく得たものと見比べる。 一番でかいところ。『自分』について。 ここから始めよう。すぐには片付かないだろうけど。 自分は罪人である。愚かである。役立たずである。 人の場所を奪い、人を傷つける。 何も知らず、何もできない。否、何も理解できず、 自分がどのような影響を及ぼしているのかすら分かってない。 それらはすべて不信と疑心から来ている。 確信が何一つなく、疑うことしかできず、怯えることしかできず、 自分という存在を自覚する度、コントロールできない自分に怯える。 いや、コントロールできていたとしても、 フィードバックがにあたる内容が一切理解できず、 何が正解か不正解か分からず、とにかく怯える。 自分にとって自分という『存在』は、 自分以外の何かを狂わせる邪魔なものでしかない。 ・・・ここまでは確実に自分がここに置いてきたものだ。 で、だ。 オレは確かに何一つ理解できていない。 納得しているつもりになっている自分の事柄すべては 空想・妄想と呼べるものばかりだ。 決して正しいとは言えず、何一つ確証はない。 でも。そうだったとしても、だ。 「そもそもオレという存在の境界線を創っていいものか」 という疑問が、今のオレにはある。 あれから得体の知れないものにしつこく呑まれ、 『自分』という境界線があやふやにされること幾度。 訴えられるように呑まれ続けた末、オレはそう思った。 今のオレはどこか、あやふやだ。 自分の中の『理解できない』が膨張して、 境界線すら壊してしまったんだろう。 逆に言えば、もう呑まれてしまったのかもしれない。 思い巡らせば、すぐそこに自分ではない何かがいる。 相変わらず、微笑んでる。 結果としてオレはどうなってしまったのか。 大問題なのは『自分以外』『他』の境界線も同時に崩壊したことだ。 自分が分からない、理解できないと怯えていた対象。 汚してはいけない、壊してはいけないと訴え続けていたもの。 それを見失ったことだ。このあたりをオレは整理したい。 境界線が存在しない・理解できない。 それを理由に、今まで怯えていた言動すべてが許されるかどうか。 いや、そもそも許すってなんなんだ。 その感覚すら自分の我侭や思い込みじゃないか。 ・・・そばでまた微笑む気配がする。 誘うように、手を伸ばされる。 やめろって。意識が飛びそうになる。 今は整理したいって言ってるだろうが。 『オレ』が。『自分』が。今は。少なくとも今だけは。 元々あった自分の境界線の中にいるんだ。 邪魔しないでくれ。 そうそう。呑まれてからよく感じるのが、この感覚だ。 『自分』の中に完全に収まりきらない・隔離できていない、何か。 それは境界線をガッツリ引いていた当時から感じていたもので、 『自分』の中にあるくせに『自分』の納得の中にはない、何か。 ポンッと突然現れて、本当に意味不明なことを言うだけ言って、 気が付いたら自分の意識すら持っていって、戻ってきた頃には消えてる。 今は本当に気持ちが悪いほど、近くにあってよく聞こえる。 ひょっとしたら、自分に唯一ある通信経路、 というか入力デバイス、なのかもしれない。 もっと具体的に言えば本能的なもの。 理論じゃ制御できない、末恐ろしいもの。 じゃあ何か?歳食って本能に呑まれたってか? 本能なんだから仕方ないってか?ほっといたら繁殖活動? 嫌だねぇ気持ちの悪い。そんなもん何になるんだって話。 生命誕生から幾億と年数積んだ結果、 そういうロジックができあがってる、としてだ。 そこまでして何を保とうとしてるのやら。 いや、保とうとしているのは生命じゃなく、 ロジック自体なのかもしれない。 世界が成り立っている根底。そこにある基礎中の基礎。 それにしたがっていろんなものが積み重なった結果が、 今回はこうなった、ということなのかもしれない。 だったら存在しているものはすでに『答え』であって、 疑うべき『正しさ』なんてどこにもない。 『過ち』は、この世界のロジックが存在を許さない。 そう考えるのが妥当なのかもしれない。 幾億と積み上げられた年月で算出された『正しさ』を、 たかが数年生きただけの馬鹿が全力で疑ってかかったとしても、 いわゆる世界の基礎中の基礎のロジックには辿り着けるわけもなく。 じゃあ諦めるか?と言われたら、絶対納得もできず。 無力すぎて腹立たしい。 ここで言う無力は、本当にどんなものでも無力だと思う。 言ってしまえばすべてが正しさ、結果でしかない。 逆行したところで。逆行した先が結果に直結しないなら。 存在しないも同じ、だ・・・? 『存在しない』の一言で0が脳裏を過ぎった。 いや、これとそれは、規模が、違いすぎる。 それに話が別件だ。関係はない・・・はず。 今は、とりあえず。 これぐらいにしておこうか。 PR CommentsComment Form |