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再定義


ホコリっぽい。
時折残ってる足跡。
自分のものが大半。
でも。
そうやって残してきたものが自分なんだろうな、とも思う。
まあ。
そんな綺麗事、聞きたくなし考えたくもないのだけど。

さて。肩慣らしに。
昨日の0との駄弁りをメモろう。有と無について。
長年の感覚として、他と自分は有と無にそのまま当てはめられるもので、
そこには境界線があって・・・という認識だったりする。
自分には何もないけど、他は存在してる。
何もない自分は、他に対して何もできない。
無知無力無価値。そういう認識だったりする。
が、昨日0がそれに対して異議を唱えてきた。

何も知らない、何も分からない自分は、
自分が無であることも分かっていない。
理解できていないだけで、自分に有の部分が
含まれている可能性が0というわけじゃない。
じゃあ有の定義、無の定義は誰がするのか。
そこに本当に境界線はあるのか。
よくよく考えてもみろ。
知らないということを知っている。
分からないということを分かっている。
それもまた有ることと同意義だ。
なら。
すべては有でもあり無でもある、とは言えないか?
すべての証明・確証が無と見るなら、すべて無になるんだろう。
すべての可能性を有と見るなら、すべて有になるんだろう。
違うか?

と。正直なところ、納得してしまった。
そう言うものの、0自身は有側に来るつもりはないそうだ。
まあ本人がそう言うだけで、0が有側に来れる
可能性が出てしまったのは事実だ。
さて。どうしよう。

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