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という文章を100%理解できるはずもない


人は複雑だ。
人を表そうとしても、そう簡単に表せるもんじゃない。
自分と言う人ですら理解し難いのに、他人に理解できるはずもない。
そんな状態で他人をどうこうしようだなんて、おかしな話だ。
できるはずがない。
そんなことができたら世界征服だろうがなんだろうができるんじゃないか?
まあ、その人自身が他人をどうこうできたと信じてしまえばいいと言えばそう。
勝手に思って、勝手に満足してるだけ。
文句をいう隙もない。勝手にすればいい。

何事にもいろんな要素が絡んでくる。
その要素を100%理解するのは、どんなに単純なことでも、
不可能だとオレは思ってる。
例えば『あ』という概念。
『あ』って何?と聞いて、どこまで思いつくか。
今ここにある『あ』で言えば、これはデジタルデータの一つでしかない。
『あ』を表すドットの集まり。フォント。
そのドットを表示するタイミングを指定する文字コード。
それを保存しているパソコンのメモリと番地。
文字コードを解析して実際にドットを表示するソフト。
その画面を表示しているモニター。
それを見て『あ』として認識する自分。
そこまですべてがあって初めて、とりあえずの『あ』になる。
仕組みとしてそういう手順で『あ』が成り立っている事実がある。

でも、そこから先の『あ』の事実は、人によってそれぞれ異なる。
音として脳内で再生されたなら、その声や高さがある。
その周波数は?誰の声?音の長さは?
無意識でも音である限り、そういう事実が付きまとう。
本当に音にしてしまえば、それに加えて舌の動きと息の流れが出てくる。
舌はどんな形をしていた?息はどの量だった?
吸った息のうち『あ』に使用した空気の量は何%?
他にももっといろいろある。
『あ』の書き順。『あ』と書かれていると認識できるライン。
『あ』という形ができた由来。自分が今まで『あ』を何回使ったか。
自分が知っている『あ』のつく言葉がいくつあるか。
そのすべてを説明しろ、と言われて、
100%答えられる人間がどこにいるのか。

分かっていないにも関わらず、分かった気になるかどうかは人次第だ。
『あ』という形を書けただけで100点を付ける人間がいれば、
その人にとって『あ』はその形である、ということしか見ていなし、
そこから先に関しては無保証だ。どうなっていようが知ったことじゃない。
でも、それで話は進んでしまう。
『あ』で100点が取れたなら、『あ』を100%理解したと見ていいということ。
理解できているならこれは分かるでしょう?と、次の何かを提示される。
もし、本当に『あ』という形しか理解していない人間がいたなら、
「これを声を出して読んでみなさい」と言われても、できるはずがない。
確かに自分は『あ』を100%理解していると思っていた。
なのにそれができない。何故?
悩んでも、その人の中で答えが出るはずもない。
声を出して読め、といったその人が思っている『あ』を、自分は知らない。
そうなれば、どう判断する?
その人が思っている『あ』は『あ』ではないと決めたなら、
「無理です。そんなことできるわけがないじゃないですか」
と反論することになるだろうし。
自分がまだ『あ』を理解しきっていない、勘違いだったと決めたなら、
「ごめんなさい。できません。声に出すとどうなるんですか?」
と質問することになる。
反論すれば、自分にとっての『あ』は変わらない。
質問すれば、自分にとっての『あ』は追加で情報が加わるか、上書きされる。
もっと言えば。
「プログラム中に『あ』と書かずに『あ』を表示しなさい」
と言われて、「できるわけがない」と言うか、「どうやるの?」と聞くか。
そんな差。

『あ』だけでもややこしいのに、人のことを理解なんてできるはずがない。
もし、『あの人は私のしたことに喜んでくれている』と決めたなら。
それが100%その通りだと決めたなら、一体どれだけの歪みが生まれる?
喜んでくれたから、次も、次も。
それが永遠に喜んでもらえるか?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
蓋を開ければ、その人は確かに嬉しいと思ったかもしれない。
でもそれはどこに対して思ったのか。
逆に迷惑だと思った部分も含んでいるかもしれない。
それを知らずにどこまで突っ走る?
それに、そもそもその人が『喜びたい』だなんて願ったかどうかも問題だ。
いつだって喜んでいたい人なんて狂ってる。
泣きたいときもあれば、怒りたいときもあるし、寝たいときもある。
それを理解せずに、四六時中喜ばせようと考えるなら。
それはただの自分勝手で、それでもいいと思うなら、
その判断をした自分に誰かが文句をいうことはない。
自分がそう願った。そして目的は果たしていると思ってる。
誰かがそれを願ったわけじゃない。勝手に願って勝手にやっただけ。
文句の付けようがない。

ただ。自分は100%理解していない、という事実に気が付いたとき、
どうするのか、どうしたいのか。
そこから変わりたいと思うのか、別にいいやと思うのか。
変わりたいと願ったなら、どうすべきか。方法は?
そりゃあとにかく。何を知らないのか、自覚することろから始めるしかない。
『あ』の読み方を知らない、なら誰かに読んでもらう。
何度も、何度も、読んでもらって、どこまでを『あ』と認識すべきか、学ぶ。
人の場合はもっと難しい。
喜んでもらえているかどうかを知らない。
なら喜んでいるかどうかを聞いてみる。
人によっては、お世辞を言うかもしれない。
人によっては、気に入らないことばかりを言うかもしれない。
でも100%のうち、数%は必ずそれだ。
そしてどこまで聞いても100%は分からないとしても、
あとは自分で予想するしかない。
こうかもしれない。ああかもしれない。
それが自分の思い込みか、当たっているか。
どこまで行っても予想でしかないとしても、
どんな状況になっても対応できることには繋がってくる。
予想外だったときに『嘘だ』と思えるか『そうだったのか』と思えるか。
判断するのは自分次第でしかない。

そして自分からの要望となれば、もっと難易度が上がる。
『喜んで欲しい』と願ってしまったら、自分はどうする?
どこをゴールにする?『喜ぶ』ってどこまで?何%?それはいつ?
そして、喜ばせようとしている自分に対して、
周りの評価まで気にするとしたら、周りの評価はどうしたい?
そのためにどんな手段を選ぶ?
例えばプレゼントを用意したとして。
それをあげて喜んでもらおうとしたとして。
あげた時にその人にどう喜んで欲しい?
プレゼントがもらえたということに喜んで欲しい?
プレゼントが自分の好きなものだったことに喜んで欲しい?
プレゼントが後々自分のためになるものだったことに喜んで欲しい?
プレゼントを買うためにかかった代金の高さに喜んで欲しい?
プレゼントを用意するためにかかった労力に喜んで欲しい?
そう願ったとして、それが事実になるために自分が取った行為は、
その願いを叶える確率はどのぐらい?

もし目標を達成できなかったとして。
そこでやめるのか、続けるのか、決めるのも自分。
続けると決めて、同じ方法を取るのか、違う方法を取るのか、決めるのも自分。
どれがいい、なんて簡単に言えるはずもない中で、自分がどうしていくのか。
自分だけの話じゃないことを願ってしまったときに、自分はどうするべきか。
選択肢はいくらでもある。それを選ぶかは自分次第でしかない。
そしてそれが正しかったかどうかを評価するのも、自分だ。
自分のした行為に100点を付けるかどうかは、自分次第だ。
自分が納得するかどうかなんて、他人が知ってるはずがない。

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